第20話 女。あなた、本当にごめんなさい。
私は生まれて初めて、一日中山の中を歩いた。
靴ずれも痛かったけれど、あちこちの筋肉も痛かった。
智もきっと全身の筋肉が痛いはず。
私よりも、はるかに重い荷物を背負っている。
智は肉体労働者ではないので、細身の彼が無理しているのは分かっている。智が、家族のために重い荷物を背負っているので、私は何も言えなかった。
私のわがままから始まった一連の出来事に、事あるごとに、智に対して申し訳ないと思う気持ちが出てくる。
今回もまた同じ気持ちになっている。
今回は特に強い気持ちになった。
智の大の親友の隆さんが裏切った。私は最初反対したけれど、最後には彼が私を説得して、私は納得した。彼はその判断の甘さに今悩んでいる。でも、全ての始まりは私の強い想いからだ。そう、全ては私の想いから。
「美貴、起きてくれ」
昨夜、寝袋に入って考えていたら、いつの間にか眠っていて、もう朝になっていた。
全身の筋肉が痛い。
慣れない寝袋で寝たせいもある。
道夫はぐっすりと眠っている。
起こしたくないけれど、無理に起こした。
出発の準備のために、道夫に食事とおっぱいをあげなくてはならない。
いつもなら手作りの流動食だけど、今回はビンに入った流動食を与えた。
食べ慣れてないせいか、いつもより食欲がない。
その代わり、おっぱいをたくさん飲んでいる。
「足の方は大丈夫かい?」
「あれから悪化してないから大丈夫だと思うの」
「そうか。心配していたんだよ。道夫の方は」
「この子はいつも通り。元気すぎるくらい。まだつかまり立ちだけど、今にも歩きそう」
「パパがもっとしっかりしていたらな、道夫」
「ぱーぱ」
「え、今、道夫がパパって言った?」
「ええ、間違いないわ。はっきりと聞こえたわよ。パーパ」
智の顔ったら。よほど嬉しかったんだわ。
ほら、あんなにニコニコしている。
「ママって言ったことはあるの。もしかして」
「それが、分からないの。お腹が空いた時ママと言ったけど。私のことか、それとも食べ物のマンマか。もしかして、同じと思っているかも。私のおっぱいから飲んでいるからね。坊や」
「そうか。でも嬉しいもんだな、子供からパパと呼ばれるのは」
「ほんと、そうね。あなたの顔、緩みっぱなしよ」
この時間が、永遠に続けばどれほどいいだろう。
智の笑顔を見ながら思っていた。
「会話の続きは、次のご飯の時だな」
「あ、逃げるのね」
「もちろん、逃げますよ」
私は少し笑った。
この様な時でも私に気遣ってくれ、彼の心の広さが分かる。
しばらくすると川が見えて来た。
追跡を巻く為、川の中を歩くことにした。道夫を背負っているからなのか、川の中は歩きにくい。
おまけにすごく滑る。
一歩一歩足場を確かめながらしか進めない。
気ばかりが焦っている。
乾燥した地面は距離は稼げるが、簡単につかまりやすい。
でもこれは、撹乱目的と頭で理解していても、元の方向に戻っているので不安が増してくる。
周りに私達以外誰もいないのに、音を立てないように気を配っている。
最悪の精神状態。
猫に追い詰められたネズミのように惨めな気持ちになっている。
なんとかしないと。
「美貴、大丈夫か、この辺り滑りやすいぞ」
「この、ヌルッとしたのはコケですか。ゆっくりしか歩けない」
「川の中だから多分コケだろうけど、思っていたより厄介だな」
「でも、これで追跡が難しくなりますよ、あなた」
「ああ、そうだと思うよ」
智の声色からも不安が読み取れる。
彼も警察犬の追跡を振り切る自信がないのが分かる。
もしかしたら、もうそこまで来ているのかもしれない。
いえいえ、そんな事はない。
きっと私達逃げ切れるわ。
もう1日以上経っているもの。
きっと上手く行くわ、きっと。
「美貴、何か吠えているのが聞こえるか。何かの遠吠えがかすかに」
「あ、私にも聞こえます。もしかしたら警察犬」
「ああ、間違いなさそうだ」
「川がこの近くにない。どうしたらいいんだろ」
「あなた、この辺りを2人別々に歩いて、私達の匂いを拡散させ、後は静かに潜むしか手がないのではないでしょうか?幸い、大きな岩陰で3人の身は隠せそうです」
「このまま行くよりも、その方がいいようだ。俺はこっちを行く、美貴はあっちだ。後でここで待ち合わせだ」
「はい、あなた」
最後の悪あがきだと私たちは知っていた。
でも、何もやらずに、このまま捕まるのを選べなかった。
1分でもいい、1秒でもいいから家族が一緒に居たい想いから出た行動だ。
もし捕まったら間違いなく家族はバラバラだ。
悲しくなってきた。
元いた場所に戻ると、智はまだいなかった。
すばらくすると、彼が戻ってきた。
呼吸が荒い。
多分、無理して全速力で走ってきたんだ。
新たな引っかき傷が増えて、少し血が出ている所もある。
私達は無言で岩陰に移動し、彼が枯れ枝で入り口を塞いでくれた。
私は彼の腕から出ている血を拭いて、応急手当をした。
彼の顔を見ると真剣な眼差しになっている。
犬が近ずいて来たからだ。
私は彼の方に寄りかかり、彼は私を抱擁してくれた。
そして、絶望の気持ちが私の心を支配し、涙が後から後から流れ落ちていた。
「智、今まで本当にありがとう。私のわがままから、あなたを巻き込んで犯罪者にしてしまった。本当にすみませんでした」
「美貴、やめてくれよ。俺は感謝の気持ちしか持ってないよ。アンドロイドと結婚したら決まり切った空虚な生活しかなかったのを、こんなにも素晴らしい人生に変えてくれた。本当の愛を教えてくれたのは美貴だし。それに、俺の血の繋がった子どもを産んでくれた。感謝の気持ちしかないよ。し。外で音がする」
「おかしいな。この辺りなんだが」
「この辺りを、でたらめに歩いていた事は確かだ」
「おい、あそこの岩陰、怪しくないか」
「そうだな、確認してみるか」
私たちは、ついに捕まった。
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