最終話『おっさん、嫁と実家に帰ります』

「ト、トシキさん……服を……」


 脱衣所から顔を半分だけ出しているロロアの顔が赤いのは、シャワーを浴びて火照ったせいだけではあるまい。

 脱衣所に据え付けのタオル以外、布きれ一枚ないことが何を意味するのか、シャワーを浴びてクリアになった頭で彼女は理解したのだろう。


「はいよ。ガウンでいい?」

「あ、はい……」


 敏樹が寝室からガウンを取り、バスルームへ向かうと、ロロアは脱衣所の奥に引っ込み扉の隙間から手だけを出していた。


「ください……ここに……」

「はいはい」


 扉の奥から聞こえるロロアのくぐもった声に応えつつ、敏樹は彼女の手にガウンを掴ませてやった。


「あの、朝からお見苦しい物を……」


 ロロアは普段キャミソールにショーツという姿で寝ているのだが、昨日はいろいろあって何も身につけていなかったのだった。

 しかし寝ぼけてそのことをすっかり失念し、いつも通りにバスルームへ向かってしまったようである。


(うーん、でも着替えなりガウンなり持っとかないと、シャワー浴びたあとに同じ下着を着るってことにならないか?)


 いつも通りであったとしても、今朝はアウトなロロアであった。



「ロロア、俺んち来ない?」


 朝食を終えたタイミングで敏樹はロロアに問いかけた。

 問われたロロアは声もなく目を瞠って敏樹を見返し、そのまま固まってしまう。


「おーい、ロロアー?」

「あ、はい。すいません。えっと、トシキさんの……おうち?」

「そ、俺んち」

「……すごく遠いのでは?」

「遠いね。でも転移で一発」

「あ、そうでした」


 トシキの故郷が遠く離れた場所にあるということに思い至ったとき、口元は多少にやけながらも少し暗い表情を浮かべたのは、遠く旅に出ることでシーラやファランたちと長く離れることに対する不安を覚えたからであろう。

 しかし転移スキルのことを告げられて不安が消えたのか、いまは喜色満面といった様子である。


「あ、だからこの服……」


 と、ロロアはすこしゆったりとしたトップスの袖を掴み、自分の服を再確認するように見た。

 ロロアは朝食前に敏樹が用意した服に着替えていた。

 それは敏樹が日本に帰っていたとき『レディース シンプル コーデ』で検索をかけて表示されたものを適当に見繕ってマネキン買いしたものである。


「変じゃ……ない、ですか?」


 ロロアはソファから立ち上がると、両手を軽く広げて敏樹の方を向いた。

 サイズに関しては<情報閲覧>で確認しているので問題はなく、ゆったりとした白のトップスにカーキのパンツスタイルというコーディネートは、センスの善し悪しはともかく違和感はないように思える。


「うん、いい感じ」


 容姿に優れたロロアであれば、何を着ても様になるだろうと無難な服を選んだ敏樹の選択に誤りはなかったようだ。

 カップに残った食後のコーヒーをぐいっと飲み干したあと、敏樹も立ち上がり、ロロアの傍らに立つ。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 ロロアの肩を軽く抱き寄せた敏樹は、<拠点転移>を発動した。


「……あれ、もう?」


 何の違和感もなくただ景色だけが変わるという現象に、ロロアは戸惑いの色を隠せない様子である。

 せめて視界が歪むだとか、なにかしら浮遊感のようなものを感じるとか、そういう変化があればいいのだが、この<拠点転移>というスキルはよほど高性能なのか、そういった感覚が一切なく、気がつけば立っている場所が変わっているのだ。

 そのせいで、“移動した”というよりは“突然景色が変わった”という風に錯覚してしまうのである。


「ここが、トシキさんの……」


 『拠点1 大下家』には敏樹の仕事部屋が設定されている。

 土足で立っても問題ないよう、以前はブルーシートを敷いていたのだが、見栄えが悪いのでいまは少し大きめの玄関マットを敷いており、敏樹とロロアはその上に立っていた。

 ロロアは戸惑いながらも口元にはわずかに笑みをたたえ、キョロキョロと敏樹の部屋を見回していたのだが、敏樹のほうはそんなロロアを凝視していた。


「あ、あの……トシキさん、なにか?」


 一通り部屋の中を見回し、ある程度好奇心が落ち着いてきたところで敏樹の視線に気付いたロロアは、戸惑いがちにそう問いかけた。


「いや、ちょっと見た目が変わってるな、と」

「見た目……?」

「うん。多分<世渡上手>の影響だと思うんだけど……」

「?」


 きょとんと首をかしげるロロアにドキリとしつつも、敏樹は彼女の容姿を確認していった。

 まず髪の色が変わっている。

 元々青緑だった髪は、少し癖のある濃い茶髪になっており、光の反射具合でわずかに緑色に見えなくもない、という色合いに変化してた。

 黄色だった瞳の色は薄めの碧眼に、縦長だった瞳孔は円形になっている。


「失礼」


 ロロアの服の裾から手を入れた敏樹は、そのまま彼女の背中を直に触った。


「や、あ……トシキさん?」


 そして何かを確認するようにまさぐっていく。


「あん……ちょ、トシキ、さん……?」

「ふむう、なるほど」


 ロロアの背中の一部は蜥蜴獣人特有の鱗状の皮膚があったのだがそれもなくなっており、背中全体が柔らかいヒトの肌になっていた。

 触れた感触が少しひんやりとしたのは、単に平熱が低いというだけであろう。


「ごめんな、急に」

「あ……、い、いえ……」


 確認すべきことを確認し終え、服から手を抜いた敏樹に対し、なにやら名残惜しげな視線をロロアが向けたように見えたが、おそらくは気のせいであろう。


「あの、なにか問題でも……?」

「いや、むしろ解決済みって感じ」

「?」


 異世界においてはヒトとわずかな差しかなかったロロアであったが、こちらの世界ではそのわずかな差が問題になった可能性は非常に高い。

 しかし<世渡上手>の最適化機能によってそのあたりはうまくクリアできたようだ。


「これ、いらなかったな」


 念のため敏樹は髪の色を隠すための帽子や、瞳を隠すためのサングラスなどを用意していたが、必要なくなったらしい。


「なんか違和感とかない?」

「違和感、ですか?」

「そう。実は――」


 敏樹はいまさらながらここがロロアのいたのとは異なる世界であること、そして世界を渡るにあたって容姿など身体に変化が起こっていることを説明した。


「あ、それで……」

「やっぱなんか変な感じある?」

「い、いえ、特にそういうことは。ただ……」

「ん?」

「その、さっき、背中を触られた感じは……、いつもと違ったかな……って」

「あ、ごめん」

「いえっ! その、別に、嫌じゃ、なかった……かな……?」

「そ、そっか……」


 なんとなくお互い目を合わせづらい微妙な空気は流れたものの、容姿が変わったことに対する違和感などを、ロロアは特に感じていないようだった。


**********


「婚約者……?」

「あー、うん。ロロアっていうんだけど」

「あの……ロロアです。よろしくお願いします」


 敏樹の部屋を出てダイニングに行ったところで、彼の母親と遭遇した。

 そして婚約者としてロロアを紹介されたところで、敏樹の母は目を見開き、口をぽかんと開けて息子とその婚約者と、そして両者の左手薬指に光る指輪との間でしばらく視線を行き来させていた。

 1分ほどで我を取り戻した母親は、敏樹の元へ歩み寄ると、息子の両肩をがしっと掴んだ。


「ウチに、嫁に来るのかい……?」

「あー、うん。そのつもり」

「アンタが婿に行くんじゃないんだね?」

「まぁ、そうだね」


 嫁にもらうか婿に行くかというところまで考えていなかった敏樹だったが、そもそも水精人でもない彼がロロアの祖父であるグロウの直系としてその系譜に連なるのは困難であろう。

 仮に婿入りするにしても、それは異世界での話。こちらの世界ではロロアを嫁に迎えるという形を取っても問題ないと思われる。

 戸籍云々をどうするかはともかくとして。


「あなたは、大下家の嫁に来るってことでいいんだね?」


 敏樹の母は、続けてロロアの前に立ち、彼女の手を取ってそう問いかけた。


「オーシタ……?」

「あ、ウチの家名」

「あー……」


 敏樹の答えに納得がいったようにうなずいたあと、ロロアは彼の母の手を少し強く握り返し、優しくほほ笑んだ。


「私でよろしければ、ぜひ」

「おお……!!」


 実は敏樹には兄がひとりいるのだが、その兄は他家に婿入りしている。

 なので、敏樹には是非嫁をもらって欲しいと、母親は常々漏らしていたのだった。



「しかしアンタ、こんな綺麗な娘とどこで知り合ったんだい?」


 ダイニングにお茶とコーヒーが用意され、敏樹とロロアは改めて母親と向かい合っていた。


「うん、まぁ旅先でお世話になった感じかな?」

「そうかいそうかい。最近フラフラしてるのも、無駄じゃないってこったねぇ」

「フラフラって……。まぁフラフラか……」

「にしても、ロロアちゃん、だっけ?」

「はい」

「あなた、日本語お上手ねぇ」

「あ、はい、トシキさんのおかげで……」


 <世渡上手>はあくまで“この世界”に合わせた容姿に変更するのであって、日本に限定されているわけではない。

 さらにいえば、元の容姿をできるだけ残そうともするのだろう。

 その結果、ロロアはその目の色や顔の作りから、西洋人風の容貌になっており、誰がどう見ても日本人には見えないのであった。


「へええ。アンタ、語学の才能でもあったの?」

「ま、まあな」


 実際は<管理者用タブレット>を使って<言語理解>の『日本語』にチェックを入れただけなのだが。

 ちなみにこちらの世界の言葉で<言語理解>に含まれているのは『日本語』のみである。

 これは与えられた<管理者用タブレット>が敏樹仕様となっているせいであろう。


「じゃあ、俺らちょっと出かけてくるわ」

「おや、ゆっくりしていきなよ」

「いや、彼女にこの町を案内するだけで、夜には帰ってくるから」

「そうかい。じゃあ赤飯でも炊いて待ってるよ」

「はいはい……」


 きりのいいところで話を打ち切り、敏樹はロロアの手を取って立ち上がった。


「あの、お邪魔しました」

「ロロアちゃん、そこは“いってきます”だろ?」

「あ、そ、そうですね。その……いってきます……お、お義母さん」

「……っ!?」


 突然ロロアから“お義母さん”と呼ばれたことに一瞬息を詰まらせそうになった母親だったが、すぐに気を落ち着け、優しい笑みを浮かべてロロアを見返した。


「うん。楽しんでおいで、ロロア」



 敏樹は家の車を出すと、町の中をぐるりと走り、ショッピングモールやコンビニエンスストア、ファミリーレストランなどを回った。

 デートコースとしては無難というにもおこがましいほどにお粗末な物だが、異世界からの訪問者であるロロアにとっては、見る物すべてが新鮮なのである。


「にしても、そんな驚いてないね」

「そうですか? 見たことないものばっかりで、すごく楽しいですけど」

「うーん。でも、ヘイダの町に着いたときと比べてもそれほどの差がないというか……」

「それはそうですよ。私にとっての世界はあの集落だけだったんですから。だから、そこから一歩でも外に出れば、それはもう別世界なんです。ヘイダの町も、この町も」

「ははぁ……、そういうもんかねぇ」


 現代人は自分たちの住む世界の全容をある程度把握しているからこそ、その外側にある異世界という物を“自分たちの住む世界とは異なる世界である”と認識できるのだろうか。

 例えばまだ世界地図が出来る前、天動説が当たり前のように唱えられていたころの人たちが仮に異世界へ飛ばされたとしても、“遠く離れた異国の地”ぐらいの認識しか持てないのかも知れない。

 つまり、ロロアにとって敏樹の町は、“異なる文化を持つ遠く離れた場所”程度の認識になっているのだろう。

 その認識に何か問題があるのかと問われれば、これといってないような気もする敏樹であった。


「ここが?」

「そ。ここであのどぶろくが作られてんの」


 一通り町を回り、偶然出会った旧友にロロアのことを驚かれたり茶化されたりしたあと、敏樹は一度家に帰って車を停め、彼女を連れて徒歩で近所の神社を訪れていた。

 そこは敏樹の氏神が祀られている場所で、年に一度どぶろくを作り、神宮に奉納しているというそこそこ由緒ある神社であった。


 修繕されたばかりの真新しい石の鳥居をくぐり、階段を上って境内へ。

 盆正月と祭りの時期以外、この神社にはほとんど人がおらず、神主も常駐していない。

 無人の境内を通り、賽銭箱に小銭を投げ入れ、ロロアは敏樹から簡単な手ほどきを受けながら参拝した。


「ここに、神様がいらっしゃるんですか?」

「どうだろうね。まぁ祀られてるのはぬえだから、神様というより神獣ってことになるんだろうけど」

「神獣……」

「でも、神獣そのものが実際にいるわけでもないし、身体の一部があるわけでもないからね。言い伝えなんかを元になんとなく祀ってるだけなんだよ。この世界の神様ってのは、なんというか、その存在がふわっとしてるのさ」

「ふわっと、ですか」

「まぁ実際に神様やら神獣やらがいるかどうかなんてのはあまり問題じゃないのさ。大事なのはこういう場所があるってことかな」

「場所?」

「そう。こういう神様やそれに類するものが祀られている場所っていうのは、古くから誓いを立てる場所とされているんだわ」


 そこまでいうと、敏樹は真剣な表情でロロアに向き直った。


「ロロア、俺はこれから先も君と共にあるとこの世界の神に誓おう。だからこれからもずっと一緒にいて欲しい」


 この日この場でこのような誓いを立てるなどという計画はなかった。

 なんとなく訪れ、話している内にそういう気分になった、というところか。


「……はい」


 なので、昨日と違って敏樹にはこれといった気負いもなく、そのおかげかロロアも自然にその言葉を受け入れることができたようである。


「じゃ、帰ろうか」

「ふふ、そうですね」


 敏樹はロロアの手を取り、社に背を向け境内を歩き始めた。


「今度はシゲルちゃんやシーラたちとも一緒にきたいですね」

「ああ。あっちの世界とこっちの世界と、みんなでいろいろ回るのも楽しいかも知れないな」

「それいいですね!! ところでトシキさん。ふわっとした存在の神様に誓うって、どうなんです?」

「んっんー? ああ、アレだ、こういうのは本人の気の持ちようが大事なんだよ。うん。神様云々はついでだついで」

「うふふ……、そういうことにしておきます」

「ささ、帰ろう帰ろう。階段、気をつけて」

「はい」


 神社の敷地を出ると、そこには田畑に囲まれた田舎道が続いていた。


「そういや赤飯炊くとかいってたな」

「赤飯?」

「そう。赤飯は知らない?」

「えっと……はい、たぶん」

「赤飯てのは餅米と小豆を一緒に炊いた赤いご飯でね」

「餅米?」

「ああ、えーっと餅米ってのは……」


 日が傾き始めたそんな田舎道を、敏樹とロロアはとりとめなのない話をしながら、手をつないで家路に着くのだった。




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本作はこれにて打ち切りとさせていただきます。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


小説家になろうにて同名の作品を公開しております。

設定を変えて書き直す予定ですので、興味がおありの方はそちらもよろしくお願いします。

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アラフォーおっさん異世界へ!! でも時々実家に帰ります 平尾正和/ほーち @hilao

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