第11話『おっさん、依頼する』
翌朝、日の出の少し前に目覚めた敏樹がちらと視線を動かすと、寝息を立てるロロアが目に入った。
敏樹は寝返りを打ってロロアのほうを向き、軽く抱き寄せて唇を重ねた。
「ん……」
わずかに反応はあったものの、ロロアが起きる様子はない。
まだお互い眠りに就いて3~4時間程度しか経っていないのだが、敏樹は<無病息災>のお陰で、すでに万全の状態となっていた。
しかしロロアの方はまだぐったりとお疲れのようで、敏樹にキスされたことに気付くこともなく寝息を立てている。
おそらくちょっとやそっとのことでは起きないだろう。
昨夜あのようなことがあった以上、そのようなことになるのは必然であり、結果このようなことになっているわけである。
唇を離した敏樹は枕元に肘をついて頭を乗せ、しばらくの間ロロアの寝顔を見ていた。
いまのキスでもしロロアが目覚めていれば、あるいは朝の生理現象の勢いで――、ということもあったかもしれないが、起きる気配がない以上敏樹はただロロアを眺めるだけに止めたのである。
そうやって朝の生理現象が収まるのをのんびり待とうと思っていた敏樹だったが、つい視線を下に向けてしまう。
(むむっ!? あいかわらずけしからん……)
ロロアを始め、人と過ごしている内に、少しずつではあるが独り言の悪癖は改善されているようで、敏樹は視線の先にあるものを凝視しながら、頭のなかでそうつぶやいた。
敏樹が肘をついて上半身を少し上げていることで布団が少しめくれ、視線を落とせばそこにはけしからん双丘が見えるのである。
(こういうけしからんものは没収であるっ!!)
などとアホなことを考えながら、敏樹は空いている手を丘のひとつに伸ばした。
種族の特性か、普段体温の低いロロアではあるが、布団にくるまっていれば少なくとも体表の温度はそれなりに上がるようで、敏樹の手のひらには柔らかく、温かい感触が返ってきた。
「んぅ……」
わずかなうめき声とともに、ロロアが敏樹のほうを向くように寝返りを打った。
そして、彼女の腕や足が敏樹に絡みついてくる。
「むむっ!?」
その後敏樹はしばらくのあいだ布団の中でもそもそしたのだが、多少反応のはあるものの結局ロロアが目を覚ますことはなかった。
根気よく続ければあるいは、という可能性もなくはないのだが、早起きした理由を思い出した敏樹は断腸の思いで絡みついたロロアを引き剥がし、ベッドから抜け出したのであった。
軽くシャワーを浴びて理性を取り戻した敏樹は、昨夜その存在に気づいた連絡用の収納箱のそばに立った。
そして傍らに据え付けてあるメモ帳とペンを使い、さらさらと何かを書いてその一枚を引き剥がし、ふたつに折って収納箱に収めた。
中に物を入れて蓋をするだけで、収納物が自動的にフロントへと届くという説明が、小箱に書かれている。
身支度を整えた敏樹は一旦ベッドのほうに向かい、まだぐったりと眠っているロロアの額に軽くキスをしたあと、枕元にメモを残して部屋を出た。
部屋を出た敏樹は、廊下を挟んですぐ向かいの扉の前に立ち、少し強めにノックする。
「シゲルー、起きとるか―?」
「おーう」
部屋の奥から返事が聞こえ、扉へと近づいてくる足音が続いた。
そしてガチャリと扉が開く。
「なんでぇ、親父? ずいぶん早ぇじゃねぇか」
「おう。ちょっと話があってな」
「母ちゃんは?」
「まだ寝てるよ。入っていいか?」
「おうよ」
シゲルは敏樹の言いつけを守っているようで、ベッドで寝る以外のことはほとんど何もしていないようである。
ベッド以外の設備が使われた形跡がまったくなかった。
そろそろそのあたりも教えてやらねばならないとは思うのだが、と少し頭をひねった敏樹は、ふと何かを思いついたように部屋の一角を目指してスタスタと歩き始めた。
そして立ち止まった先にはこの部屋の連絡用収納箱があった。
敏樹は先ほどと同じようにさらさらとメモ帳に何かを書いたあと、それを収納箱に収めた。
「親父、さっきから何やってんだ?」
「ん? まぁいろいろな。とりあえず座れよ」
敏樹は一人がけのソファを示し、シゲルに着席を促した。
この部屋は一応一人部屋として借りているが、ベッドはダブルサイズであり、ふたりまで宿泊できるようになっている。
なので、一人がけのソファも二脚あるのだった。
「座っていいのか?」
「おう、いいぞ」
ベッド以外に使っていいものが増えたことが嬉しいのか、シゲルはニコニコしながらソファに座り、肘掛けや背もたれなどを興味深げに触ったり見たりしていた。
「こらこら、落ち着け」
サイドテーブルをはんさんで向かい合うように設置されたもうひとつのソファに敏樹は座りながら、シゲルを窘める。
そしてひとしきりソファを観察して満足したのか、姿勢を正して座り直したシゲルに向かって敏樹は口を開いた。
「いいか、シゲル。よく聞け――」
**********
シゲルと15分ほど話をしたあと、敏樹は彼を連れて一階に降り、食堂へ向かった。
朝のかなり早い時間なので客はほとんどおらず、そこで待っているシーラ達の姿をすぐに発見することが出来た。
「どうしたんだい、こんな朝早くに呼び出して」
朝の挨拶を軽く済ませたあと、同じテーブルに着こうとする敏樹にシーラが問いかけてきた。
さきほど敏樹が自室からフロントへ送ったメモに、シーラたちをこの食堂へ呼び出すよう書いていたのである。
「いや、もうちょい遅いと下手すりゃシーラ達は依頼を受けに行くだろ?」
「まぁ、身支度は終わってたけどね」
「やっぱり……。朝ごはんは?」
「まだだよ」
「じゃあ好きなもん頼んでくれ。おごるよ」
「ほんとに?」
シーラの目が輝く。
ほかのふたりも同じく嬉しそうであった。
ここ『新緑のそよ風』は、クレイグの紹介で安く泊まれているものの実際にはそこそこ高級な宿屋である。
その宿屋に併設された食堂である以上、ここの料理はそれなりに値が張るのであった。
いくらクレイグの紹介だからといって、食事代まで値下げしてもらうわけにはいかないので、シーラたちはあまりここで食事をとるということがなかった。
「じゃ、遠慮なく」
「おう」
シーラたちは本当に遠慮することなくかなりの料理を注文した。
さすが冒険者だけあって、食事量は日本の女性の倍以上はありそうだ。
敏樹はついでに自分とシゲルの分、それに部屋で寝ているロロア用にテイクアウトも適当に注文しておいた。
「で、一体何の用なの?」
「あー、とりあえず先に飯を食おう」
飲み物と一緒に、サンドイッチなど手間のかからない料理から運ばれ始めたので、とりあえず一行は食事に集中することにした。
そうやって30分ほどがたち、食事もほとんどなくなったあたりで、新たな来客があった。
「トシキさん……こんな朝早くからなに?」
そう言いながら現れたのは、ドハティ商会の娘ファランだった。
数歩遅れて付き従うようにギリウも姿を現した。
身支度はそれなりに整えていたが、化粧は簡単なものしかできていないようである。
「果実水を。彼にも同じものを」
寝ぼけ眼をこすりながら、ファランは注文を取りに来た給仕に告げ、空いている席に座る。
6人掛けのテーブルだったので、ギリウはひとり離れて隣のテーブルに着いた
「で、何の用?」
「うん。実はだな――」
「お待たせしました」
敏樹が何かを言おうとしたところで、給仕がファランとギリウの果実水を運んできた。
「ありがとう。あ、ここの会計はドハティ商会につけといて」
「ちょっと待て。ここは俺が持つ」
「何言ってんのさ。ボクが同じテーブルに着いた以上、トシキさんに払わせるなんてことできるはずないだろ?」
「あのなぁ。今から頼み事しようとしてんだよ、俺は。だったら俺が払うのがスジってもんだろう?」
「ふーん…………。あ、会計のことは後で伝えるから、さがっていいよ」
「失礼します」
少し戸惑いがちに立ち尽くしていた給仕にファランが声をかける。
このあたりの気遣いができるのはさすが商会の娘と言ったところか。
ファランは果実水を一口飲むと、じっとりとした視線を敏樹に送った。
「で、頼み事って?」
「そうだね。そろそろ話してくれてもいいだろ?」
ファランの問いかけにシーラが乗る。
敏樹がシーラに用件伝えなかったのは、ファランの到着を待っていたからであり、このタイミングで用件を伝えることに問題はなかった。
「うん。実は少しの間ロロアと旅行でもしようかと思ってね」
「旅? どこに行くのさ?」
ファランが少しおどろいたように問いかけた。
敏樹らがヘイダの町を訪れてまだ何日も経っておらず、町を離れるには少し早いのではないかとの思いがファランにはある。
すでにドハティ商会の一部業務を引き受けているファランはこの町を離れるわけにもいかないので、敏樹らがヘイダを出ると言うことは、そこで別れるということになるのだ。
いずれそのときが来ると思っていたファランだったが、そのあまりにも早い訪れに呆然としてしまう。
「えっと、まだこの町に来てそんな経ってないし、もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃないかな?」
そう提案したのはシーラだった。
彼女は冒険者であり、この町に定住しているわけではないので、その気になれば敏樹らについて行くことは可能である。
しかしこの町に着いてあまり経っていないというのもまた事実であり、彼女は少なくともひと月ほどはこの町で鍛錬がてら生活したいと考えていた。
「お、おい。何を勘違いしてるのかしらんけど、そんな顔するなよ」
ある者は呆然と、ある者は沈痛な面持ちで、今にも泣きそうな者までいることに、敏樹はあわてて説明を始めた。
「いや、旅行といっても、べつにこの町を離れようって訳じゃないんだぜ? 早ければ2日で帰ってこれるし、ちょっと出かけてくるぐらいの感じだよ? 宿だってそのままにしていくつもりだし」
その言葉に、一同は大いに安堵したようで、みな崩れ落ちるように全身の力がぬけた。
「ちょっとー。それならそうと早く言ってよー」
「いや、俺が詳しく話す前に君らが勝手に早とちりしたんだろうが」
「えへへ。それもそうか」
最初は口をとがらせて抗議していたファランだったが、敏樹につっこまれて照れたように頭をかいた。
「で、旅行ってどこにいくのさ?」
「ん? ああ、ちょっと俺の故郷にな」
「トシキさんの故郷? それってすごく遠いんじゃ……。2日で往復できるの?」
「ああ。一人ぐらいなら転移で、な」
それを聞いたファランはあきれたようにため息をついた。
「忘れてたよ。トシキさんが規格外ってこと」
しかしすぐに顔を上げ、興味深げな視線を敏樹に向けた。
「それってさぁ、いつかボクたちも連れて行ってくれるのかな?」
その言葉に、ほかのメンバーも興味津々といった様子で敏樹に視線を送る。
「あ、ああ。そうだな、機会があれば」
「やった!!」
ファランが嬉しそうに手をたたき、ほかのメンバーも、なにやら嬉しげにうなずいたりしていた。
一応<世渡上手>のスキルがあるので、こちらの住人を連れて行き来するのは問題ない。
しかしただ行き来するだけにとどまらない可能性もあり、それがなんらかの問題を引き起こす必要もあるのだが、そのあたりは後になって考えればいいだろう。
「で、改めて本題なんだけど」
「あー、そういや、なんか頼み事があるんだっけ? なに?」
そこで敏樹は、隣に座っていたシゲルの肩をガシっとつかんだ。
「んぁ?」
「こいつ」
「……シゲルさん?」
「うん。俺とロロアが旅行に行ってる間、こいつの面倒を見てやってほしい」
「えっと……」
そう言われて、ファランはシーラたちと少し困ったような表情で顔を見合わせ、すぐ敏樹に向き直った。
「世話って、具体的に何をすればいいの?」
「とりあえずシーラたちはだな、たまに依頼に連れて行ってやってくれ」
「依頼に?」
「そ。こき使ってやってもいいからさ」
「まぁ、シゲルさんが同行してくれるってんなら、むしろありがたいけどね」
シーラはどうやら納得してくれたようで、メリダとライリーも同じくうなずいてくれた。
「で、ファランに頼みたいことなんだけど」
「うん、何でも言って」
「ああ。このシゲルなんだが、長いこと山奥で独りだったんだわ。なんで、一般常識に疎いところがある」
「あー、うん。そうみたいだね」
ファランとシゲルはあまり関わりがある方ではないが、その少ない関係の中でも心当たりが多々あるようだった。
依頼などでファランより少しだけ長くシゲルと関わっているシーラたちは、より多くの心当たりがあるのか、三者三様にうんうんとうなずいている。
「でだ、ファランには悪いんだけど、こいつに一般常識なんかを教えてやってほしいんだよ」
「ボクがかい?」
「うん。まぁファラン本人が忙しいなら、別の誰かに頼んでもらってもいいけど、その場合もできれば信頼できる人物に頼んでほしい」
「うーん、わかった。がんばるよ」
「まぁ、あれだ。平民レベルで最低限の常識があればそれでいいから」
「うん。それぐらいならなんとかなるかな」
そこで敏樹は再びシゲルの肩をガシっとつかみ直した。
「こいつには、君らを姉だと思って言うことを聞くように言い聞かせてあるから」
「弟って……」
「またずいぶん大きな弟ができたもんだねぇ……」
ファランとシーラがあきれたようにつぶやく。
当初シゲルは自分ひとり置いていかれることに不満を漏らしていたが、先ほど彼の部屋でしっかりと説得し、なんとか納得してもらっていたのである。
「おう、姉ちゃんたち、よろしくたのむぜぇ!!」
そう言ってシゲルがニカッと笑うと、ファランたち4人はそれぞれハッと息をのんだ。
「ま、まぁ、大きな弟ができるっていうのも、悪くない、かな?」
「そうだね。せいぜい可愛いがってやるとするよ」
どうやら姉呼ばわりされたのが彼女らの萌えポイントだったらしく、全員照れたように頬を染めていた。
ライリーに至ってはものすごい勢いでうなずいている。
「でもさぁ、トシキさん」
「ん?」
「なんでいきなり旅行――って、あー……そういうこと」
ファランの視線が敏樹の左手薬指に光る指輪を捉え、彼女はニタリと笑った。
「うまくいったみたいでなによりだよ」
「ああ。いろいろ手を回してくれてありがとな」
「……余計なおせっかいじゃなかった?」
「まさか。助かったよ」
「そっか、よかった」
「いやファラン、なにひとりで納得してんのよ? あたしにも説明しなさいよ」
シーラが少しいらついた様子で敏樹とファランの間に割り込んできた。
「んー? ボクから言ってもいいのかなぁ」
「あー、すまん。その辺のことは帰ってから話すわ」
「む……。まぁトシキさんがそう言うんじゃ仕方ないね。ちゃんと説明してよ?」
「おう」
少し不満げなシーラの言葉に軽く返事をしたあと、敏樹は立ち上がった。
「じゃあそろそろ部屋に戻るわ。まぁ2~3日で帰るから頼むな」
「ふふん。もっと長くてもいいから、楽しんでおいでー」
「そうだね。いまいいち事情はわからないけど、シゲルさんのことならあたし達に任せといてくれていいから」
「おう、ありがとな。じゃ、シゲル。彼女らの言うことをちゃんときくんだぞ?」
「おうよ。任しといてくれや」
「いや、お前は任される側なんだよ」
「ん? よくわかんねぇけど心配すんなよ。母ちゃんと楽しんできてな」
「おう」
敏樹は席を離れて給仕の元へ行き、ロロア用に注文していたテイクアウトの朝食を受け取ると食堂をあとにした。
そして自室に戻りながら、彼は大きな肩の荷が下りたのを感じていた。
旅行のことはもちろんだが、最大の懸案事項はシゲルのことであった。
ここ数日はできるだけ余計なことをしないように制限をかけてなんとか乗り切ったが、いつまでもそうやってやることなすこと禁止していれば、いずれストレスがたまって大きな問題に発展するかもしれない。
なので、できるだけ早く人間社会で生きていくための常識を教えてやる必要があるのだが、異世界人である自分と人里を離れて生活していたロロアでは教育係として不適当ではないかと、敏樹は考えていたのだ。
となればほかに適任者を探す必要があり、数少ない知人の顔を一通り思い浮かべた結果、ドハティ商会の娘としてこの世界の一般常識を身につけているであろうファランに白羽の矢が立てられたわけである。
そしてそういった教育ばかりでは気が滅入るだろうと思われるので、気晴らしに狩りにでも連れて行ってもらえればと、その点はシーラ達に依頼したのであった。
自室にたどり着いた敏樹は、ギルドカードの効果で鍵が開いたことを確認し、そのまま部屋に入った。
ガチャリと音を立ててドアが開き、敏樹が部屋に入ると、その物音でどうやらロロアが目覚めたようである。
「んん……んぅ……、トシキ、さん……?」
「あ、おはよう」
「ふぁ……ぉあようごゃいましゅ……」
ロロアは眠そうに目をこすりながら体を起こし、布団がめくれないよう胸のあたりを手で押さえていた。
そのあたりは少しばかり成長したようである。
「シャワー浴びる?」
「……ふぁい」
眠そうに返事をしたロロアは、そのままベッドをおり、バスルームを目指してよたよたと歩き始めた。
無論全裸である。
体を起こしたときに布団がはだけて胸を露出するのは防げるようになったが、そこから先はまだおろそからしい。
一歩ごとにたゆんと揺れる乳房を敏樹は凝視していたのだが、まだ寝ぼけたままのロロアはその視線に気付かずそのままバスルームに入っていくのだった。
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