第10話『おっさん、誓う』
宿に戻った敏樹とロロアは、小綺麗な格好に着替えて夜の街へを繰り出していた。
敏樹の方は元の世界でいうところのデニムに近い素材のパンツに生成りのシャツ、その上からツイードのジャケットという、カジュアルとフォーマルの中間くらいの格好であった。
そのうしろを続いて歩くロロアは、胸元と肩を出したシンプルなデザインのドレスに薄手のカーディガンを羽織っており、こちらもあまり派手にならないような種類の生地を使っており、フォーマルというには少し足りないと言ったところか。
街を歩くには自然な格好ではあるのだが、普段と異なる服装のためか、ロロアは恥ずかしそうにうつむきながら、おずおずといった様子で敏樹のあとに続いていた。
夜のヘイダの町だが、大通りに面したところは結構な数の街灯が設置されており、人通りもそれなりにあるので、ふたりは夜の街にうまく溶け込んでいるように見えた。
「お、ここか」
宿を出て15分ほど歩いたところで、目的地に到着したようである。
そこは大通りから少しだけ外れた薄暗い路地にある、落ち着いた外観のレストランだった。
「あの、私なんかが入ってもいいお店なんでしょうか?」
クロエの実家である『黄金の稲穂亭』のような大衆向けの食堂とはまったく雰囲気の異なる、見るからに格調の高い店である。
人里を訪れて間もないロロアからすれば、例え着飾っていようとこういう雰囲気の店には入りづらいのだろう。
「まぁ、大丈夫だろう。クレイグさんの紹介だから」
かく言う敏樹も少なからず緊張していた。
元の世界でほぼ底辺に近いワープアだった敏樹にしたところで、この手の高級レストランなどとは無縁の人生だったのだ。
ドハティ商会の会長であるクレイグの伝手もなく敷居をまたぐような度胸はない。
「ふぅ……」
しかしここで自分が怯むわけにもいかない。
少し大きく息を吐いて自身を落ち着かせた後、敏樹はロロアに手を差し伸べた。
「さ、行こうか」
「はい……」
ロロアは恐る恐るといった様子で敏樹の手を取り、彼に手を引かれるままレストランのドアをくぐるのだった。
『聖銀翼の鷲』という名のそのレストランの店内は、大通りの街灯によって間接的に照らされた薄暗い路地よりもさらに暗かった。
「いらっしゃいませ」
タキシードに身を固めた男が慇懃に頭を下げ、ふたりを迎え入れる。
「予約していたトシキといいます」
「お待ちしておりました」
男は特に何を確認するでもなく、即座にそう答えた。
おそらく予約客の名前や時間などはすべて頭に入っているのだろう。
「どうぞこちらへ」
薄暗く細い通路を男に案内されて歩くと、まずは開けたラウンジに行き当たった。
そこには身なりのよさげな男女が食事や会話を楽しんでおり、彼らの格好を見る限りどうやら自分たちが場違いな格好でないことがわかると、敏樹は人知れず胸をなでおろした。
客の内の何人かは敏樹らのほうを見たが、特に興味をそそられなかったのか、すぐに自分たちの食事や会話に戻っていった。
その後ふたりは引き続き男に案内され、ラウンジの脇を通りすぎたあと、個室へと案内された。
「お席はこちらでございます。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
「ど、どうも……」
敏樹は、内心はともかく平静を装って返事し、ロロアは恐縮したように縮こまっていた。
「よろしければこちらでお召し物をお預かりしますが?」
敏樹がジャケットを脱ごうとした所、それに気づいたのか男が声をかけてきた。
「いや、大丈夫」
「かしこまりました。ではそちらのハンガーをお使いください」
そう告げると、男は一礼して去っていった。
個室の壁にハンガーがふたつ掛けられているのを敏樹は確認し、ジャケットを脱いでそこにかけた。
ロロアは物珍しそうに室内を見回していたが、敏樹がジャケットを脱ぐのを見て、自分も慌ててカーディガンを脱いだ。
「はい」
「あ、すいません」
カーディガンを脱ぐのを見計らったように敏樹が手を出したので、ロロアはそのまま手渡した。
敏樹はカーディガンをハンガーに掛けたあと、椅子に座る。
ロロアのほうも座ると、少し大きくあいたドレスの胸元が、ゆさりと揺れた。
個室の中は蝋燭の灯りのみで、やはり薄暗かった。
テーブルを挟んでふたりが座れば後は人が一人立って入れる程度の広さしかないが、その狭さが逆に心地よい空間である。
「失礼致します」
先ほどとは異なる別の男性が個室を訪れた。
手には陶器のボトルが差し込まれた氷の入ったバケツと、銀製のグラスがふたつ持たれていた。
給仕と思われるその男は、それらを静かに、かつ流れるような手つきでテーブルに配置し、ボトルの栓を抜くと、敏樹とロロアそれぞれの前に置かれたグラスに中身を注いでいく。
「えっと……頼んでないけど?」
「ドハティ様からです」
突然のことに戸惑いつつも敏樹が問いかけると、給仕の男は短く答えた。
男はふたつのグラスに中身を注ぎ終えると、ボトルに軽く栓をし、バケツに差し戻した。
「お食事はいかがされますか?」
「じゃあ、すぐに用意できて、つまめるものを適当に」
すでにギルドの酒場で夕食を済ませているので、とりあえずつまみが適当にあれば問題ないだろうと、敏樹は判断した。
今日この場に来たのはなにも食事のためではないのである。
「かしこまりました」
給仕が去った後、敏樹はグラスを手に取り、軽く掲げた。
「とりあえず、乾杯しとこうか」
「そ、そうですね」
ロロアは相変わらず落ち着きのないようすでグラスを手に取り、ふたりはグラスを重ねた。
キンッ、と金属同士が当たる上品な音が響く。
敏樹はグラスに口をつけた程度だったが、ロロアは緊張していたせいもあってか、こくこくと喉を鳴らして杯をあおった。
「ふぅー……」
空になったグラスをテーブルに置くと同時に、ロロアは肺の中を空っぽにするかのように大きく息を吐いた。
それとともに、少しこわばっていた肩から力が抜けていく。
ちなみにボトルの中身はスパークリングワインであった。
「あの……」
少し上目遣いに敏樹を見た後、ロロアの視線がスパークリングワインのボトルに移る。
「おかわりを、いただいても、いいものなんでしょうか?」
初めて来るような店で勝手がわからず、自分でおかわりを
「ふふっ。俺が注ぐよ」
陽一はロロアの様子を微笑ましく思いながら、ボトルを手に取り、バケツの傍らにおいてあった布でボトルを軽く拭いたあと、栓を抜いてロロアのグラスに中身を注いだ。
「す、すいません……」
ロロアは恐縮したように縮こまりながら、再度満たされたグラスに口をつけた。
「あんま飲みすぎないでよ。大事な話があるから」
「っ!?」
ぐいっとあおりそうになるのを耐えたロロアは、一口だけ口に含むにとどめ、グラスを置いた。
「あの、大事な話って……」
「まぁ、もうちょっと落ち着いてからね」
そう告げた後、敏樹も一口だけスパークリングワインを飲んだ。
数分ほど微妙に居心地の悪い時間を過ごした後、数名の給仕が料理を持ってきた。
一口サイズに切り分けたソーセージやサラミ、スライスした生ハム、クラッカーのような物、何種類かのチーズに、果物の盛り合わせといったものが、狭いテーブルに並べられる。
また、料理と一緒に水差しと陶器のコップも置かれた。
水差しからはからは微かにではあるが柑橘系の香りが漂っていたので、元の世界でいうところのレモン水のようなものが満たされているのであろう。
「以上でよろしいでしょうか?」
「ありがとう。とりあえずはこれで」
「かしこまりました。用がございましたら鐘を鳴らしてくださいませ」
給仕はテーブルの端に置かれた小さな鐘を視線で示したあと、一礼して去っていった。
「とりあえず、軽く食べようか」
「はい」
食事が始まったおかげか、あるいはほどよく酔いがまわってきたのか、ほどなくロロアの緊張は解け、少しずつではあるが、雑談に花が咲き始めた。
敏樹はちびちびとスパークリングワインを飲みながら、ロロアは二杯目を飲み干した後は水差しから果実水を注いで喉を潤しつつ、食事と雑談は進んでいった。
「うふふ。最初は緊張しましたけど、こういうお店でふたりきりでお食事をするのも悪くないですね」
「だな。今度はがっつり食べたいね」
「いいですね」
しかし徐々につまみがなくなり、酒の残りも少なくなるにつれ、不思議と口数も減ってきた。
そして、言葉数が少なくなったぶんだけ、空気が重くなっているように、ロロアは感じていた。
わずかな時間で口の中がカラカラに乾き、そのたびに果実水を口に含む。
できれば酒のほうを飲みたいが、”大事な話がある”と言われてこれ以上酔うのもはばかられ、結果、時間経過とともに程よく回っていた酔いも覚めつつあった。
「あの、何か追加で――」
「いや、いい」
ロロアが給仕を呼ぶための鐘に手を伸ばそうとしたが、敏樹はそれを制した。
敏樹のほうも先ほどからスパークリングワインを頻繁に口にしていた。
<無病息災>のせいで一切酔うことができない敏樹であるが、酔わないとわかっているからこそカラカラになった口内や喉を潤すためにスパークリングワインを飲んでいるのであり、自身のこれからの行為を酔いに任せて行うほど、陽一は無粋ではない。
最後に彼は、グラス半分ほどに残ったスパークリングワインを飲み干した。
「ふぅー……」
そして、覚悟を決めるかのように、大きく息を吐く。
その後、沈黙が続いた。
1分にも満たない静寂であったが、ふたりにはその数倍の時間が流れたように感じられた。
とん、といつ間にか陽一の手に現れた小箱がテーブルに置かれた。
小箱をテーブルに置いたあと、敏樹は何も言わずただロロアをじっと見つめる。
別に何かもったいぶった態度を取っているわけではなく、いざ小箱を取り出したものの何をどう説明すればいいのかということを、彼は今更ながら思案しているのであった。
「あの、これは……?」
結局、沈黙に耐えきれずそれを破ったのはロロアの方だったので、敏樹は彼女の言葉に乗るかたちで話を進めることにした。
「開けてみて欲しい」
「は、はぁ……」
ロロアは恐る恐る小箱に手を伸ばし、蓋を取った。
「わぁ……」
そして現れた美しい指輪に、ロロアは思わず感嘆の声を上げる。
本来白銀色を基調とした指輪であるが、ろうそくの淡い光を反射したそれは、琥珀色に輝いているように見えた。
「これを、私に……?」
「うん、もちろん、そういうことなんだけど……、あ、ちょ、ストップ」
再び小箱に手を伸ばし、指輪を手に取ろうとしたロロアを、敏樹は慌てて制した。
「あっ、ごめんなさい……」
「あぁ、いや、こっちこそごめん。ちょっと、いろいろと、その、手順というかなんというか、そういうのがあってだね……」
指輪に手を伸ばそうとしたのを制止され、慌てて手を引っ込めたロロアは不安げに敏樹を見たが、彼がなにやらあたふたし始めたのが目に入り、思わず――、
「……くすっ」
――と笑みを漏らしてしまった。
「あ……」
それを受けて、敏樹の動きも止まり、なんとも言えない表情でロロアを見たのだった。
「あの……ごめんなさい……」
「あぁ、いや、大丈夫、うん」
敏樹はそう言うと、軽く目を閉じて数回深呼吸を行なった。
ある程度落ち着いたとろこで再び目を開き、ロロアを見つめる。
ロロアは先ほど慌てて引いた手を胸に抱いたような格好のまま、トシキの視線を受け止めた。
「俺の――」
意を決したように敏樹が語り始める。
「俺の故郷の風習でね。婚約指輪というものがある」
婚約指輪の風習自体は海外から伝わったものであるが、明治に伝わって以来100年は経つものであるし、いまや一般的に広く行われているので、日本の風習と言って差し障りあるまい。
さらに、その起源となるローマもギリシャも敏樹のいた元の世界という意味では、故郷と呼んでもいいはずである。
「こんやく……?」
「そう。近い将来結婚することを約束して、それをかたちにするために、相手に指輪を渡すという風習なんだけどね」
ロロアの目が大きく見開かれ、薄暗い室内であるにも関わらず、瞳を中央で縦に二分すようなかたちで瞳孔が絞られる。
「け、けけけ、けっこんっ!? けっこんって、あの――?」
「あのけっこんがどのけっこんかは知らないけど、俺が言ってんのは男女が夫婦になる結婚」
「ふ、ふふふうふ……?」
ロロアはあわあわとなんとか言葉を発しながら、敏樹と自分とを交互に指差した。
「そう。俺と、ロロアが」
「わ、わわ私たち、けけ結婚、する……ですか?」
「あ――、いや、ごめん」
このまま流れで口にだすのはまずいと思い、敏樹は一度言葉を止め、居住まいを正した。
「ロロア、俺と結婚して欲しい」
そしてロロアをまっすぐと見つめ、覚悟を決めてそう告げた。
ロロアはあいかわらず目を見開いたままだったが、やがて口元が軽く歪み始めた。
「あ、あはははっ、あの、あれ、ですよね? その、冗談、というか、いたずら、というか……」
ロロアの口元は笑うかたちに歪んでいるが、見開かれた目は少しだけ戻り、今にも泣きそうになっている。
突然言われたことに対し、思考や感情が追いつかないのだろう。
敏樹は特に表情を変えることなく、じっとロロアを見つめ続けた。
やがてロロアの口元からいびつな笑みが消え、その表情は戸惑いに支配されていく。
「あ、あの、トシキ、さん……? 何か言って……」
「俺が冗談やいたずらでこういうことを言う男だと思うんなら、そう思ってもらってもいいけど」
敏樹は相変わらず真剣な表情のまま、特に感情を乗せず淡々と告げる。
「う……あ……」
そして、混乱していたとは言え自分がとんでもなく失礼なことを口にしたのだと悟ったロロアは、体の芯からさぁーっと体温が下がっていくのを感じながら、身を縮め、うつむいた。
「ご、ごめん、なさい……」
自身の失態が情けなく、視界がゆがむのを感じたロロアだったが、ここは耐えるべきところだろうと、目から涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
「いや、俺も突然こんなこと言って悪かったよ。もし時間がほしいなら今日は帰ろうか。いくらでも待つから――!?」
表情を緩め、穏やかに言った敏樹を制するように、ロロアはバッと手をかざした。
「う……あ……うぐぅ……」
ロロアは手を前に出したまま、下を向いて微かに震えていた。
堪えていた涙はどんどん溢れ出し、結局目からこぼれてポタポタとドレスを濡らしていく。
この涙が一体何を意味するのか、自分でもよくわからなかった。
敏樹の言葉は嬉しくもあり、しかし彼の真剣な告白を茶化してしまった自分が情けなくもあり、なにより突然このようなことを告げられたことによる驚きや混乱もあった。
とにかく色んな感情がぐるぐると胸の内にうずまいており、それが少しでも落ち着くまで、時間が欲しかった。
しかしそれは、敏樹の言う”いくらでも待つ”という単位のものではなく、ほんの短い時間でよかったので、ロロアはただ手を上げて敏樹を制したのであった。
「ロロア、大丈夫?」
敏樹は敏樹で、拙速に事を運びすぎたのではないかという思いがある。
結婚という先の人生を大きく左右する決断を急がせるべきではなかったのではないかと。
それは集落を出るときに告げたような、漠然とした告白とは似て非なるものである。
もっと自然にそれを受け入れられるような関係を築きあげてから、婚約を申し出ても良かったのではないだろうか。
しかし、彼には急ぐ理由があった。
できるだけ早くロロアと自身の関係を、彼女の立場をはっきりとしたものにしておきたい理由があったのである。
それは自分勝手な理由ではあったし、是が非でもというほどのことでもない。
そして自分が婚約を申し出れば、ロロアなら受け入れてくれるだろうというある種の驕りがあったことは否定できまい。
結局のところ自分勝手な理由で拙速に事を運んだ結果、ロロアを大いに混乱させる結果に陥ってしまったのだった。
「……だい、じょぶ……ひっく……だい……じょうぶ……です」
なんとか絞り出すように答えたロロアだったが、それ以上言葉を紡ぐことはできそうになく、敏樹はこのまま、いつまででも待とうと覚悟を決めたのだった。
それから5分ほど経ち、ロロアはあげていた手を膝の上に置いたが、その状態でうつむいたままさらに5分ほどが経過した。
その間ロロアは、おそらく<
そしてようやくロロアは正面を向き、敏樹を見つめた。
目は充血して真っ赤になっていたが、蝋燭の灯りのお陰でそれはあまり目立たなかった。
「ごめんなさい――」
しばらく敏樹を見つめていたロロアが、まず口にしたのは謝罪の言葉であった。
ごめんなさい、といいながらゆっくりと頭を下げるロロアの姿に、敏樹は血の気が引くのを感じた。
結婚や交際の申し出に対する”ごめんなさい”は、敏樹が持つ常識で言えばお断りの流れである。
意識が暗転しそうになるのを敏樹が必死で耐えていると、さらにロロアの言葉が続いた。
「トシキさんの真剣な申し出を茶化すような真似をしてしまいました。本当にごめんなさい」
どうやらロロアの意図は敏樹の想像してるのとは違う方向に向いているらしいことがわかった敏樹は、安堵の息が大きく漏れそうになるのを耐え、表面だけは平静を装った。
「いや、お、お俺も、突然こんなこといって、ごめんな」
大いにうろたえながらも、なんとかそれだけは言葉にできた。
敏樹の言葉を受けてか、ロロアが再び顔を上げ、敏樹を見つめた。
先ほどにくらべ少し落ち着いたようにみえる。
「その、こんなことを今さらいうのは、やっぱり失礼かと思うんですが」
そう前置きした上で、ロロアはそれでもあえて聞かざるをえないと言わんばかりの表情を敏樹に向け、言葉を続けた。
「わ……私で、いいんでしょうか?」
敏樹の申し出が戯れでないことはわかる。
その上でこのような質問を投げかけるのは、その真剣な言葉を疑うようなものであろう。
そうと分かってもいてもなお、自分に自身のないロロアは最後にこれだけは確認しておきたかったのである。
「ロロアがいい」
敏樹の短い答えに、ロロアは息を呑んだ。
そしてその短い答えによって、ロロアの方の覚悟も決まったようであった。
目を閉じ、胸に手を当てて数回深呼吸を行なったあと、ロロアは敏樹に幾分かおだやかになった視線を送った。
「では、私からもいいですか?」
「うん、なんなりと」
「私を……、私を置いていかないでください」
「うん?」
「私をひとりにしないでください」
「そりゃ、もちろ――」
敏樹が口を挟む余地を与えず、ロロアの言葉が紡がれる。
「私は長い間ひとりでした。そりゃ集落のみんなはいろいろ気にかけてくれましたけど、それでもやっぱり一人ぼっちだったと思います。そんな時、トシキさんに出会いました。最初は変な人だと思いましたけど、すぐに他の人とは違うと思うようになりました。トシキさんと一緒にいるのが私は楽しくなりました。時々トシキさんがいなくなるときは、凄く寂しかったです。帰ってこなかったらどうしようと考えたら胸が張り裂けそうになりました。山賊にさらわれたとき、もう二度とトシキさんに会えなくなるかもしれないと思うと、すごく怖かった。でも助けに来てくれたときは本当に嬉しかった。そのあとも、時々トシキさんがいなくなるのがすっごくつらかったです」
ロロアの口から紡がれる予想外の言葉の量に圧倒されつつも、敏樹はそれを表に出さず、耳を傾ける。
「私はね、トシキさん。ずっとひとりだったんです。ひとりで平気だったんです。でももうひとりは無理です。トシキさんと出会ってから、ひとりでいるのに耐えられなくなりました。トシキさんのせいです。トシキさんが悪いんです。だから、責任取ってください。お願いします」
そこまで言い切ると、ロロアは深々と頭を下げた。
さすがにこうくると敏樹としても戸惑わざるをえない
「え……っと、ロロア?」
「はい?」
頭を上げたロロアは、なにやら言いたいこと言ってすっきりしたというような表情であった。
「つまり、その、俺からの婚約の申し出は……、受けてくれるってことでいいのかな?」
そう言われて、ロロアは自分が暴走してしまったことに気づいたのだろう。
目を見開き、瞳孔を収縮させ、頬を真赤にしたあと、両手で顔を覆って俯いてしまった。
「ご、ごめんなさい……、私ったら、また……」
「ああ、いやっ! うん、全然オッケーだよ、うん。ロロアの言いたいこと聞けて、凄くよかったと思ってる、ほんとに」
敏樹がうろたえつつもロロアをなだめると、彼女のほうもすこし落ち着いたのか顔から手を離し、おずおずと頭をあげた。
「たださ、こういうのは、その、俺のほうが返事をもらわないと、締まらないというかなんというか……」
この時点ですでに締まらないことになっているのだが、といってここで返事をうやむやにするわけにもいかないのである。
「だから、その、改めて言うけど……」
そこまで口にしたところで、敏樹はあらためて姿勢をただし、真摯にロロアを見据える。
「ロロア。この先君をひとりにしないと誓おう。だから、俺と結婚してください」
ロロアのほうは敏樹が少しうろたえてくれたおかげで逆におちついたらしく、表情は穏やかになっていた。
そして自分の願いを聞き入れ、それを誓ってくれたことに胸が熱くなるのを感じながら、敏樹に向けていた視線を落とし、わずかに目を伏せた。
「よろしくお願いします」
そして軽く頭を下げるのだった。
「ふぅー……」
敏樹は勢いよく息を吐きながらその場に崩れ落ちたいのを我慢しつつ、目を伏せ、ゆっくりと、しかし肺の中が空になるまで息を吐き続けた。
そして息を吸いながら再びロロアに視線を戻すと、ロロアも頭を上げ、ちょうどふたりの目が合った。
「ふっ」
「ふふっ」
どちらからともなく、クスクスと笑い始めたふたりは、しばらく静かに笑いあった。
それが落ち着いたところで、敏樹が小箱に手を伸ばした。
「ロロア、手を」
「……はい」
「あ、いや、左手を……」
「……? あ、はい」
一度右手を差し出したロロアだったが、敏樹に言われ左手を出しなおす。
敏樹の意図はなんとなくわかっているので、出された左手は開かれ、指先は彼のほうをむいていた。
小箱から指輪を取り出した敏樹は、自身の左手を差し出されたロロアの左手に添える。
「っ……!」
突然敏樹に触れられ、反射的に手を引っ込めそうになるのをロロアはなんとか踏みとどまった。
手に取ったロロアの左手が微かに震えているのを敏樹は感じていたが、気づかないふりをした。
そして右手に持った指輪を、ロロアの薬指にゆっくりと通した。
「……ぴったり」
ロロアが感心したように呟く。
第二関節でわずかな引っかかりがあったものの、通された指輪はロロアの薬指にピッタリとはまった。
<情報閲覧>で完璧に測ったサイズではあったが、敏樹は過去に、女性の指に指輪を通すなどという経験は一度もなく、”合わなければどうしよう?”という不安は最後の最後まで拭えなかった。
無事指輪を通すことが出来た敏樹は、ロロアに悟られないよう静かに安堵の息を吐き、添えていた左手を離した。
「わぁ……」
敏樹の手が離れると、ロロアは目の前に左手を掲げ、うっとりとした様子で自身の左手薬指にはめられた指輪を眺めながら、何度も手首を返していた。
「……あの、トシキさんはしないんですか、指輪?」
ひとしきり指輪を眺めて満足したのか、ロロアが敏樹に訊ねた。
「ん? ああ、一応ペアで用意してるよ」
そう言って、敏樹は同じデザインの小箱をもうひとつ取り出し、蓋を開けた。
中にはロロアに送ったのと同じデザインでサイズ違いの指輪が収められていた。
しかし指輪を取り出したものの、はて婚約指輪というのは双方が着けるものだっただろうかという疑問がわいてくる。
「あの、これ……私がトシキさんの指に通してもいいですか?」
「ん? ああ、うん。いいよ」
ロロアの提案に応じ、敏樹も左手をロロアに差し出した。
まず添えられたロロアの左手から柔らかくひんやりとした感触が伝わってくる。
そして、ロロアは敏樹の薬指に指輪を通そうとするのだが、これまた緊張でかすかに震えていた。
敏樹はさりげなく指を動かし、指先を少しだけ指輪にひっかけてやった。
そのおかげか、無事根本まで指輪が通されたのだった。
こちらもサイズはぴったりだった。
「ふふ、お揃いですね」
「まぁ、そういうもんだからな」
といいながらも、こうやって揃いのリングを互いに身につけるのは、
正解を確認しようにも、こちらの世界のことならなんでも分かる<情報閲覧>も、元の世界のことはあまり教えてくれないのである。
「こ、これで、私とトシキさんは、その……、ふ、夫婦、ということに……?」
「あー、いや。それはまだもうちょい先。今はまだ
「フィ、
夫婦になるのはまだ先と言われて一瞬落ち込んだロロアだったが、すぐに告げられた婚約者という響きに驚き、今は口の端が歪んでいた。
「婚約者……私が、トシキさんの……。うふふ……、ふふふふ……」
なにやら微妙に混乱しつつも嬉しそうにほほ笑む(?)ロロアを眺めながら、遠く離れた異世界で細かい風習にこだわる必要もあるまいと開き直る敏樹であった。
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