ひきがえる 一

 キンキンと、耳の奥に針を通しているかのように不愉快なやかましさに耐えきれず、凍える体をグググ……と捻らせて、チユリは漫然と目を覚ました。裸の体にささくれた床の木目がザラザラとこすれ、いじけた痛みが肌を責める。

 何かに散々に追い回される夢を見ていた……ような気がする。だが、淡く頼りない夢の面影おもかげはどこからか流れてきた隙間風の冷たさに吹き去られ、思い返す間もなく霧散してしまった。ただ、漠然と不愉快な疲れだけが頭の中に引き残されて、思考を泥のようによどませるばかりである。

 よだれか血か……とにかく、口から汚いものがこぼれているのを感じながら、チユリはゆっくりと、額は床につけたままに体を持ち上げた。

 グアァーンと、頭とお腹が激しく痛む。それはスミレ姉ちゃんに、おとなしくしているようにと殴りつけられたがゆえの痛みであったことをチユリは思い出したが、自分がなぜそんな目に遭わされたのか、すぐには思い出せなかった。腕が動かないのは後ろ手に縛られているからだということも忘れていたし、裸なのは、返り血を染み付かせないように脱がされたからだということも覚えていなかった。

 不快な夢から覚めたばかりの、血の巡らないふらつく頭は、途方もない現実を受け入れることを未だに拒否していた。

 だが……。

「いや……いやぁ……」

 泣き腫らした鼻声が、何かしら重大な恐怖をにじませつつ耳元で揺れているのを、チユリは聞いた。

「……おねがい……おねがいおねがいおねがい……やめてぇっ……」

 と、哀願するかすかな声は、先程から蛙の鳴き声に混じって響いてくる幼い泣き声に音をかき消されながらも、その意味、その意思、その内容だけは、しっかりとチユリの耳にも届かせていた。

 誰かが今、泣いている。

 助けを、求めている。

「スミレ……姉ぇ……ど、どうしてこんなこと……するのよぉー……」と、おそらくはカイリのものだと思われるしゃがれ声が、少し遠くから、ジンジンと頭に突き刺さる。見なくとも、顔が涙で無茶苦茶になっているのがわかるくらいに震えた声音こわねで、泣いている。

「お前らが……悪いんじゃねえか」

 深く、暗い、スミレ姉ちゃんの声。

「なんで今日に限って……こんなところまで来ちまうかな……そりゃあヨシ姉ちゃんは探しに来るに決まってんだろうが……なあ?」

 ガタリと、床が軋む音。

「ス……スミレ姉……お願い……こんなこと、おかしい……って……」

 弱々しく怯える声……それがヨシのものだということに、チユリはようやく気がついた。それくらいに力のない、絶え入るほどにか細い嘆願の声だったのだ。

 まぶたの裏にぼんやりとヨシの顔が……かつて一度だけ見たことのある、恐怖にふるえ泣いていた彼女の姿が、夢のように浮かんでくる。それは随分昔……真夜中に、チユリが姉にいじめられていた時のこと。昼のうちから何かに気がついていたらしきヨシは、チユリをかばおうとあんな時間に一人で助けに来てくれたのだったけれど……。

 そのせいで、ヨシはひどい目にあってしまった。

 機嫌が悪かったスミレ姉ちゃんは、チユリの前で両腕を広げていたヨシをイライラに任せて本気で殴りつけたかと思うと、倒れ込んだ頭めがけて、何度もかかとを振り下ろした。おかげでヨシは生え変わる前の歯が二本ほどへし折れて、顔には青黒い大きなアザができてしまったのを覚えている。 

 スミレ姉ちゃんの手加減のない暴力……チユリはそれに慣れていたが、ヨシにはきっと恐ろしくこたえたことだろう。

 あの日……スミレ姉ちゃんが蹴るのを止めたあとで、這いずるようにチユリの方へと逃げ出したヨシは、こんな声で泣いていたように思う。あまりにも容赦のない乱暴なやり方に本気で震え上がり、鼻水を垂らして怯えていたヨシ……チユリがヨシを慰めるために抱きしめたのは、後にも先にもあの一回だけだろう。チユリよりもずっと背の高いヨシだけれど、あの時だけは、なんだかとても小さく見えたものだ。

 もしかして、自分はまだ夢を見ているのだろうかと、チユリは思った。ヨシがいじめられていたあの頃の夢を、今になって見返しているのか。

 ブルリと、背筋が震える。

 ……だけど、それにしてはこの、骨身にしみる寒さはなんだろう。体の痛みの生々しさはなんだろう。かわやのようなこの匂いの、息苦しさはどうしたことだろう。

 鼻にまとわりつく重たい臭気から逃れようと、チユリはゴロリと首を動かした。

 頭が痛くて、思わず、うめく。

 とにかく喉が乾いていた。

「あ……ち、チユリ姉!! 助けて、たすけてええぇっ!!!」

 カイリの金切り声に、閉ざしかけていた目が、見開いた。

「おねがい! スミレ姉を止めて、チユリぃっっ!!」

 チユリはガバと、頭を上げた。今、何が起きているのかはわからなかったが、それでも、何か大変に切迫していると思われるカイリの叫びに、心よりも先に体が反応した。

 頭上、光の揺らめく方へと、視線を向ける。

 丸い光線が、波紋のようにジンワリと瞳を焼いた。

 あまりのまぶしさに、目がくらむ。あの日、お祈りしすぎてからというもの、チユリは自分の目が弱くなったと感じていた。

 にじみ出てきた涙で瞳をかばいつつ、まぶたを細めて、またなんとか光を……それに照らされた、揺らめく大きな影に、像を合わせる。

 その時チユリは、瞳の上に涙が作る波紋の膜越しに、たくさんの顔を見たのだが……。

 まず最初に意識に留まったのは、怯え、縮こまったヨシの顔。

 見開いた目から涙をダラダラとこぼす、あまりにも痛々しくて情けない、恐怖の形相だった。

 ドキリとして、思わず咳き込む。

 ヨシは目を腫らし、頬を腫らし、ひっぐ、ひっぐ、と喉を鳴らして、まるで幼い子どものように泣いていた。それがいつも以上にイナミと似ているように思えたのは、髪を縛っていないからか、それともやはり、恐怖のあまりに顔付きまで幼く変わってしまったからなのか。

 ともかくヨシは、普段の気丈な立ち振舞いはどこへやら、弱りよどんだ声の通りの有り様で、漏れ出す灯りから逃れられぬまま、冷たい床の上、赤々と照らされていた。

 その光は、蛙石の間で揺蕩たゆた灯火ともしびの光。

 スミレ姉ちゃんが、と白幕を上へとまくり上げていたことで、揺らめく炎はまばゆいくらいに煌々と、ヨシの顔を闇の中に浮かび上がらせていた。

 そして、その上にのしかかる、スミレ姉ちゃん自身のことも……。

 最初チユリは、本当に一刹那のことではあるが、姉のことをヤキチではないかと誤認した。だが、すぐにそうではなかったと思い直す。あれは、スミレ姉ちゃんだ。返り血が自分の着物につかないように、ヤキチの着物を身にまとった、スミレ姉ちゃんなのだ。

 スミレ姉ちゃんはヨシの上にのしかかった姿勢で、片手でその頭を押さえつけながら、こちら側の手……右手に小刀を構え、無表情のままにチユリを見下ろしていた。横ざまに灯火あかりに照らされ、深く影の差したその顔は、人形のように無機質で、あやしげで……そしてとてつもなく、恐ろしかった。

 ドクンと、心臓がうなる。

 なんだかとても、嫌な予感がした。

 何かを忘れてる。チユリはそれを思い出した。

 フーっと深く、息を吐く。

 ここは確か、神社の中。チユリはどうやら、蛙石の台座の前にいる二人を、横から眺めるような位置で気絶していたようである。

 そして、重なり合う姉とヨシを挟んだ反対側……そこには年下の子どものうち、男の子たちが並んで座っていた。そちら側は暗くてよく見えなかったけれど、おそらくはイチロウとソウヘイと、それに……あの小さい頭は、ジロウだろうか。ともかく、その三人分の瞳が、暗がりの中、幽かな光を涙で反射させながら、子狐こぎつねのように哀れっぽく震えているのが見て取れた。姿勢から考えて、多分、三人もまた女の子たちと同じように縛られているのだろう。

 女の子たち……カイリとイナミの二人は、場所で言えばお姉ちゃんたちの後ろ、つまりは蛙石と正対する位置に、二人並んで手足を縛られたままうつ伏せになって寝かされていた。その脚の上には重しのように裸の男が一人、こちらにお尻を向けて横たわっている。ヤキチだろうか。よく見ると、その胴体には幾らか縄が巻き付いていて、それがカイリたちを縛る縄につながっている様子である。

 他に見えるのは、崖のように居丈高いたけだかに並ぶ、呪われた人形たちを収めた棚の影だけ。

 見知った顔の子どもたちが、闇と言えるほどに暗い神社の中、蛙石の間の灯りを囲うように、じっとしている。

 じっとして、みんなして、チユリを見ている。

 七人分……十四の目に射竦いすくめられたチユリは、なんとなく自分が責められているような心地になって、何も考えられないままに息を止めた。

 ガサガサと、木々が葉を揺らすやかましい音が、屋根の上から降り注ぐ。

 寒いのに、汗が一滴、脇を伝う。

(……何が、起きてるの?)

 みんながチユリに注目したまま、静止した時間がドロドロと流れていく……物々しいロウソクの光は闇の黒さを薄めることなく、むしろそれを一段と深めているかのようで……。

 蛙が一匹、耳元で鳴いたと思えるほどに大きな声で、いなないた。

 ゲーゲッゲッゲッゲ……。

 そして、それに間を合わせたかのように、突然スミレ姉ちゃんが、唇が頬に裂け広がったと思えるほどにキリリと開いて、笑いたけった。おぞましい、泣き顔に見えるほどに引きった表情で、咳き込むように喉を鳴らした。

 ヒハ……ヒハ……ヒハハハハハハッ……。

 鳥肌が、チユリの全身を這いずった。

 スミレ姉ちゃんの笑い声は不自然に上ずっていて、平時とは明らかに様子が違っている。普段から刺々しいお姉ちゃんの声だけれど、この時の笑い声は金具をこすったみたいなひずみを含んでいて、聞いているだけでも魂がすり減っていくほどに、チユリの不安を激しく煽り立てた。

 一瞬、頭の中に、神社へと向かう階段の情景が思い出される。

 そして、そこに横たわる、誰かの姿も。

(あれは確か……)

 ふと、スミレ姉ちゃんの笑い声がみ、ガランと静寂が耳を襲う。

 はぁ……はぁ……と、誰のともわからぬ荒い呼吸が、深閑しんかんの中から少しずつ染み出してくる。

 グスリと、鼻をすする音も重なって。

 遠くで獣が、鳴いている。

 先までの身を切るほどに不気味であった狂笑の余韻……それは霧のように闇の中に溶け込んで、緊張した静寂を、より一層恐ろしきものへと張り詰めさせていた。

 誰もが、スミレ姉ちゃんが動くのを待っていた。

 勝手に動いたらいけないような心地ここちがして……。

 そして。

 不意にギョロリと、スミレ姉ちゃんの大きな瞳が、下敷きにされているヨシを見下ろした。

 蛙が、鳴く。

 ゲコッ、ゲコッコッコッコ……。

 瞬間、ヨシは「ひぃっ……!?」と震え上がり、必死を絵に描いたような有様でブンブンと首を振った。

「おねがい……や、やめて……助けて……スミレ姉ぇ……どうして、どうしてなのよぉ……」

「……しょうがないだろ……しょうがないのさ」先ほどとは打って変わった、恐ろしいほどに平坦な声で、お姉ちゃんはつぶやく。「今日、この神社に入った人間は……この神社の中に、私がいるのを知ってしまった人間は、死ななきゃいけないんだから……」

 死。

 あっ……と、チユリは声が漏れそうになった。何か、とてつもないほどによくない何かを、思い出してしまう気がしたから。

 だが、それがなんであったかを、チユリが考えるよりも早く……。

 スミレ姉ちゃんはゆっくりと小刀を振り上げ、ヨシの頭に刃を向けた。

 キーイィー……ィィインと、耳の奥に音が響く。

「……え?」

 場に似つかわしくない、頓狂な声がチユリの喉から漏れる。

 ほとんど同時に、ダンッと力強く、床が鳴った。

 ヨシが、最後の力とばかりに、スミレ姉ちゃんの下で暴れ出したのだ。

「いやっ!! いやっ!! やめてぇっっ!!! スミレ姉ぇっ!!!」

 縛られた体で、ヨシはもがく。

 それを見てチユリは、まずいと思った。ああやってスミレ姉ちゃんにのしかかられているときに抵抗すると、もっとひどい目に遭うのを知っていたのだ。タケマル兄ちゃんがいないときに上に乗られたら、何をされようと、覚悟を決めてじっとしている他にない。

 案の定、スミレ姉ちゃんはヨシのお腹に向かって、まっすぐに刀の柄を振り下ろした。

 ぎゃっと、息の詰まる音とともに、ヨシの体は縮こまる。あそこを殴られると、苦しくて一歩も動けないような気分になる。当たりどころが悪いと気絶してしまうこともあるくらいだ。

 ヨシは痙攣けいれんしながら、両目をパンパンに見張り、ゲエゲエと口からよだれをこぼしている。だが、それでもなおヨシはお姉ちゃんから逃れようと、苦痛に悶える体をよじらせていた。

 あぁ、かわいそうに……。

 と、哀れなヨシの姿を見つめながら、節々に感じる体の痛みや、喉のヒリヒリ、まぶたの上の小さな傷、それに、厳しい姿勢による手首の軋みなんかを一つずつ意識していくうちに、冷え固まっていたチユリの頭も少しずつほぐされて、スミレ姉ちゃんの行動が何か、深刻な意味を持っていることが、わかってくる。

 だけど、まだ頭がハッキリしない。

 というよりも、ハッキリさせるのを自分が恐れているかのような……。

「や、やめろ! やめてくれぇっ!!」と、今まで恐怖に震えていただけであったソウヘイが、意を決したかのように、高く裏返った声音で叫びたけった。「こんなことしてどーすんだよっ!! ヨシ姉殺す気かっ!!」

 ころす?

 赤い光が、頭上で閃く。

 それは、お姉ちゃんの持つ小刀に、灯火の光が反射したものであった。

 刀には、すでに何か赤い汚れが残っている。

 その理由を、チユリは知っている気がした。

 パチパチと、小雨のような音が響く。

「スミレ……姉ちゃん……」と、くぐもった声が一つ、かすれたチユリの喉から絞り出された。それは自分で発した声であるかさえ疑わしいほどに弱々しく、チユリ自身、何が目的で姉を呼んだのかはわからなかった。

 だけど……。

 その声に応えてスミレ姉ちゃんは、長い首をゆっくりと傾けながら、突っ伏したままのチユリへと血相の映えない顔を向けた。

 上から誰かが、人形を動かしたみたいに不自然な動きだった。

 光と影の配合に、凹凸を塗りつぶされてしまっているその顔は、今、フクロウのように大きな瞳と、奇妙な笑顔を貼り付けた口元だけしか見えない。

 蛙が鳴く。

 ドックンと、突然、一際大きな鼓動が、胸の奥を粟立あわだてた。

 喉に噛みつかれたみたいな痛みを覚えて、何かを叫びそうになる。

 ……そして……。

 おもむろに、お姉ちゃんは小刀を構え直す。

 スーっと、息を吸う音。

 スミレ姉ちゃんの胸が、わずかに盛り上がり。

 暗いまなこが、チユリからヨシへと向き直った。

 その瞬間。

「お姉ちゃんっ……!!」と、ガサガサの声で、チユリは叫んだ。

 同時に、刀が刺し落とされ。

 トスっと、軽い音。

 ひいっと、カイリが叫ぶ。

 誰もが、息を呑む。

 毛先からつま先まで、悪寒が走る。

 刀の切っ先は……、

 ヨシの首をかすめて、木の床へと突き刺さっていた。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 スミレ姉ちゃんが刀を突き下ろした瞬間、心臓を握られたのではないかというくらいに痛烈な鼓動が一つ胸を打って……その余韻が、今もまだドクドクと脈打っている。

 体が強張り、息ができない。

 やがて、ハァ……ハァ……と、荒い呼吸が、スミレ姉ちゃんの口からこぼれ出した。

 目を見開き、すれすれに突き立てられた刀に視線を吸い寄せられながら、眉根一つ動かせないといった有様で硬直したヨシの上で……スミレ姉ちゃんは汗をポツポツと垂らしながら、小刻みに震えていた。どことなく怯えている風にも見える有様で、ぐらりと頭をよろめかせた。

 その目に幽かな涙が見えたのは……気のせいだろうか。スミレ姉ちゃんが泣いた姿など、チユリはこれまでの人生で一度しか見たことがない。

 静寂が、再びこの場を支配する。

 チユリは……スミレ姉ちゃんのことが、心配になった。

 どこか無理をしているような、弱っているような……普段のお姉ちゃんらしくない不安げな姿を、そこに見たから。

「お……姉ちゃん……?」

 と、チユリはまた声を、絞り出す。

 スミレ姉ちゃんは、動かない。黙ったまんま、ゼエゼエと肩で息をしている。

「スミレ姉……ちゃん?」

 もう一度、名前を呼ぶ。

 それでもなお、しばらく姉はヨシの上で固まっていた。片手で口をおさえながら、苦しそうに喘いでいた。

 が、ふいにハッとしたように、何かを取り繕うような速さでおもてを上げて、彼女はチユリを見た。

 朱色の光に、赤々と染まった顔。

 とてもビックリする。

 妖怪に首を掴まれたみたいにゾッとした目で、チユリのことを見つめていたスミレ姉ちゃん……その表情の中に、確かな困惑と恐怖を垣間見たから。

 ともすれば、助けを求めているとさえ思えるような……。

 だけど、そこに弱気や躊躇ためらいが映ったのは、一瞬だけのこと。

 すぐに目元を引きつらせ、口をキレイなへの字に曲げて眉尻を上げたスミレ姉ちゃんの顔を見て、チユリは思わず殴られることを覚悟した。

 それはスミレ姉ちゃんが、昔お母さんとお父さんに怒られて叩かれて、その夜中に一人で泣いていたのを、チユリが見てしまった時と同じ顔だった。

 じわりと、涙がにじむ。

 ごめんなさい……ごめんなさい……。

 と、心の中で繰り返す。

 怒らないで……怒らないで……ねえ……?

 何も見てない、見てないから……。

 だが、そんなチユリの思いも虚しく、スミレ姉ちゃんは顔を強張らせて、ゆっくりと立ち上がる。

 ヨシの肩を踏んづけるように足を置きながら、鼻息荒く、人形の棚へと手を伸ばす。

 ……あぁ……お仕置きだ……と、チユリは思った。

 それもきっと、いつもよりもずっと、キツいやつ。

 こんなことなら、ずっと寝ていればよかったのに……。

 スミレ姉ちゃんは、そのまま棚からガラガラと、柄の付いた棒きれのようなものを引きずり出した。

 重量に振り回され、背の高い体が、一瞬だけよろめく。

 ヒュッと、風を切る音。

「ひっ……」と、多分ジロウが呻く声。

 カイリは唖然として、首を振る。

 お姉ちゃんが棚から取り出したもの、それは……。

 木を切るための、大きな斧だった。

 刃がチユリの顔ほどもある……お父さんの仕事用の手斧であった。

 戦慄がワナワナと大きくなる。

 死ぬほど嫌な予感がする。

 そんなの使われたら……死んじゃうよ……。

 と、チユリは息を止めて、必死の思いで姉に向かって首を振った。少しでも思い直してもらおうと、謝るつもりで哀願した。

 ……だが。

 スミレ姉ちゃんは、チユリを見ていなかった。

 斧を取り出したスミレ姉ちゃんが刺すほどに鋭い視線を向けていたのは……唇をきつく噛み締めて泣き腫らす、ヨシの方だった。

 お姉ちゃんは斧を構えつつ、ヨシの喉を力強く踏んづけて、首を動かないように固定する。

 まるで、薪割りをするみたいにヨシのことを……鼻息荒く、乱暴にお仕置きするときの勢いで、その体を踏みつける。

 ゾッとする。

 まさかそんなこと、するはずが……。

 突然、カイリが叫んだ。


「や、や、やめてえええぇぇぇーーっっっ!!!!」


 その瞬間。

 蛙が鳴いて。

 全くの無造作に、斧は振り下ろされた。

 闇の中、その軌跡が、ゆっくりと目に焼き付く。

 大きな刃が顔に届くまでの、一瞬の間のヨシの表情……恐怖、焦燥、悲痛、苦悶……そんな全部が恐ろしいほどに正確に、深刻に、心に刻み込まれて……。

 恐怖のあまりに、ヨシが目を閉じるよりもやや早く。

 風が鳴り。


 パキッ。


 ……っと、硬い音。

 微かに、湿気った音を含んで……。

 ビチャリと、真っ赤な血が飛び散った。

 チユリの叫びが、カイリとヨシの悲鳴と共に、神社の闇をつんざいた。

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