おかえり

 村の者からはキヨ婆様の屋敷と言われている、村一番の大館おおやかた。ほんのふた月ほど前までは、毎日のように子どもたちの賑やかな喧騒に包まれていたその場所は、今、人払いが敷かれ、数刻前の大事件を忘れてしまったかのように伽藍がらんと静まり返っている。

 キヨ婆の前には囲炉裏を挟んで、顔を伏せたギンジとシズが座っている。くすぶる灰の中で、まきがコトリと、場をわきまえぬ間抜けな音で傾いた。

 雨の降りそうな空模様……ジンジンと痛み出す肩をさすりながら、キヨ婆は長く長く溜息をついた。

 ……覚悟はしていたことだった。むしろ、これで全てが終わったと安心するべきことなのだろう。だがそれでも、親に子の死を告げることのたまらなさは、そうそう拭えるものではない。

 ましてや、その親が涙を流すことを堪えているところなど……。

 ふた月前、村の子どもが、皆死んだ。あの神社で、惨死を遂げた。それは、カクレの日……決して神社には入ってはならぬ強いというしきたりの日に起こった惨劇であった。

 あの時、村に一人も子どもらがいないとわかった時に、誰しもが彼らが神社に行ってしまったのではと疑った。だが、大人たちの誰一人としてそこに行ける者はなかった。皆、この村を守るタタリ神様の怖さを知っていたからだ。かつて村の若者……ダンペイが禁を犯し、その結果村の者の半数が病にたおれたあの恐怖が、親たちの足を重くした。

 この村に降りかかるタタリは、その都度多くの犠牲を生む。あの病で一番苦しんだのはダンペイであったが、その災禍は決して彼だけに降りかかったわけではなかった。ダンペイは誰よりも長い苦しみの中……次々と同じ病に倒れ、死んでいく仲間たちへの謝罪をうわ言のように繰り返しながら、最後には干した柿のようになって死んでいった。あのタタリだけは繰り返してはならぬと、皆が心の底より恐れたがゆえに、我らはあの夜、神社へと行けなかったのだ。

 だが、結局は全てが無駄だったのだろう。タタリはあの夜、大人たちが迷いの中に協議していたその時に、あの場所で起こっていたことだったのだから。

 カクレの日を超えて、いち早く神社へと駆けていった男たちの叫喚……それはこの屋敷にまで遠雷のように響きわたり、村に残った我らにまで、愛しき子らの行く末を伝えてみせた。

 神社の境内けいだいには、見るに堪えない死体が十と三つ、野鳥に痛ましく喰い荒らされるままに、無造作なまでに投げ捨てられていたという。

 疫病による全滅の危機を乗り越え、生まれついた我らの宝。身ごもるたびに死産が続き、その度に絶望を感じながら、あきらめずに少しずつ生んでいった珠の子ら。それが皆、タッタ一夜で非業の死を遂げたのだ。

 他ならぬ……我らの宝の一人、スミレの手によって。

 無論、確証があることではなかったが、あれがスミレの所業であることを疑う余地はなかった。村の子どもを皆殺すなどというが可能なのは、あの子以外ありえない。それは、悲しみに暮れながらもあの神社を検分した親たちの見立ての総意であった。あの子はきっと、幼い子どもらを先にさらうことで巧みにヨシやカヤ、タケマルを、大人たちが決して入ってこられぬであろう神社へといざない、周到に殺し抜いたのだろう。その行動力、発想の冴え、手抜かりのなさ……それほどのわざを持つものなど、この村において、大悪童でありながら稀代の神童とも呼ばれた天才、スミレの他にはありえまい。

 あぁ……そして。

 そのスミレもまた、死んだのだ。

 あの子もまた、恐ろしく、痛ましい死を……。

 老いた胸の奥にせり上がってきた暗い痛みを、目を閉じて、村の長という自らの立場によって深く沈める。

 あの子の死は、報いとも言えるだろう。

 村の子を皆殺したタタリの子……その行いに、妥当な裁きが下ったのだ。

 当代の神代女かみしろめとして、村の子ら全てにとっての婆やとして、スミレの死は望まれたものとして受け入れねばならぬ。

 だが……やりきれない。

 あの惨劇の全てはスミレただ一人のせいであるなどと……そんな単純な裁定を下すことができようか。無論、あの子のやった行為は許されるものではない。

 きっと、あの子の所業もまた、何かのタタリの一部であったのだ。

 スミレはタタリに利用されたに過ぎない。もっと大きな意思の手足として、使役されたに過ぎないと、キヨ婆は、そんな風に感じていた。目を閉じずとも、彼女は今でも、幼き日のスミレの笑顔を思い出せた。あの子はよく虫を捕まえてきては、蛙に食わせて遊んでいた。死んだ虫より生きてる虫の方が食いつきがいいとか、そんな話を嬉しそうに話すスミレを村の大人は不気味がっていたが……しかし、あの子はそれを笑顔を輝かせて、それをわざわざキヨ婆の元に教えにきてくれたのだ。

 また、カヤが村の着物だけでは寒いだろうということにも気がついて、バカにしているように笑いながらも、一夜かけてカヤのために「肌着」をつくろっていたりしたのもスミレだ。あの子はそれを暇つぶしと称してはいたが……。

 スミレは、照れている時には腰に手を当てて笑う。

 あの子は決して、あれほどの残酷を行う子ではなかった。

 それもまた偽りのない真実だ。

 スミレはスミレなりに、歪んだなりにでも、この村や周りのことを、家族のことを想ってくれている、そんな子だった。彼女をよく知るマキなどは、最後まであれはスミレではないと言い続けていたくらいなのだ。いや、きっと彼女は、今でもスミレを信じているのだろう。マキは、この村の中では唯一スミレに慕われていた子であったし、マキもまた、いつもスミレのことを心配していた。優しきマキは、村の子どもたち全ての姉として、スミレにさえも愛されていたのだから。

 そう、スミレは……決してあのようなことをする子ではない。なるほど確かに型破りで、人を気遣う心には欠けている時もある、独善的な子であった。スミレは悪霊に憑かれていると村の者たちが噂していたのも無理はない、それくらいに破天荒な子であった。

 だが、それでも……スミレは……。

 やがて、ギンジが鼻をすする声とともに、片手で目を覆った。

 彼らは、泣きあぐねている。

 他の村の者たちに降りかかった不幸が、ついに彼らにも差し出されたというのに……スミレの親という負い目が、泣くことさえ許さない。

 それはきっと、今後も一生変わらぬだろう。彼らは、泣けない。ギンジの目の上の傷は、忌み子の親としてタツミらに殴りつけられた時にできたものだが……あの時も、ギンジは抵抗の一つもしなかったという。シズも、弱い体にムチを打って、毎日神社へと通い続けている。今や誰もが触れることを恐れるタタリ神の祭壇を、病を背負った身で整え続けている。

 彼らは、そういう二人なのだ。

 なればこそ。

「……泣いてやってくれ」キヨ婆がその一言を伝えた刹那、たまりかねた泣き声が、ふすまの向こうから漏れ出した。

 それはマキのものであった。

「マキも、入ってきなさい。入ってきて……スミレを泣いてやってくれ。きっとおぬしたちしか、泣くものはないのだから……今だけは、泣いてやってくれ」

 よろよろと襖を開け、部屋へと崩れ込んできたマキ……真っ赤に目を泣き腫らし、声もはばからず倒れるように泣き伏せた、その姿。

 それが二人の間に張り詰めていた糸を、断ち切った。

 ギンジもシズも、耐えられなかった。

 にわかに喉を震わせて、ギンジは泣いた。片手で膝を握り締め、歯を食いしばり、もう片方の手で目を抑えながら、軋んだ嗚咽を吐き出した。

 シズも泣いた。それまで気丈に耐えようとこわばっていた肩が嘘のように緩み、長い髪を振り乱しながらその場に突っ伏して、心の臓を震わすような、聞くもの全ての魂を鷲掴み、握りつぶすほどに哀れな声で、むせび泣いた。子は産めぬと諦めていた腹から生まれ落ちてくれた、力強き我が子を思って、喘ぐように泣き始めた。

 ……これが、子を失った親の声。

 彼らは不幸な親だ。

 人の少なくなったこの村においては、全ての子どもが、皆の子どもであった。ひとりひとりの成長を大人たちの全てが見守り、育み、愛してきたのだった。その子らが死んだことを……ギンジやシズが、悲しまなかったはずはない。嘆かなかったわけがない。だが、この二人は泣けなかった。悲嘆に暮れるあの子らの親を、慰めることさえ許されなかった。

 なぜなら、彼らはスミレの……殺人者の、親であったから。

 タタリとはなんとも残酷なものよ……。

 悲嘆に暮れる三人の嗚咽が、冷たいすきま風にも鎮まる気配なく、響き続ける。

 ああ、スミレもまた、タタリの牙に裂かれた子のうちの一人であるのならば。

 あの子の人形もまた、村のほかの子らと同じように、用意してやらねばならないだろう。

 我らの村の子として、我らの村の弔いを。

 それが精一杯だ。

 いつの間にか庭先をうろついていたカラスが、また音もなく飛び立っていく。

 クダンには、あらかじめスレミの人形は作らせてあった。あの子の死は、何となくではあるが察していたことであったから。あの人形、まだ仕上げはされていないだろうが、もう明日にでも神社にそなえることができるように、形は整えられているらしい。

 あとは、儀式を済ますのみ。

 弔いの人形には、本人に近しいものたち、少なくともその家族全員は必ず触ることとなっている。家族の全員がその人形に触れ、本人の髪を植え込むことで、人形は特別なものにと言われている。そうすることで特別な妖力が宿るのだと……それがこの村の言い伝えであった。

「わかっては……いました……」ギンジがおもむろに、削り出した木屑のように微かにささくれた声で、呟いた。「スミレはもう……死んでいるのだろうと……あの子の人形も、もう……作ってあるのでしょう?」

「うむ」重く頷く。「クダンには、あらかじめ……」

「……見ました」精一杯に震えを抑えた声で、ギンジは語る。「チユリも……クダンどのが作りかけと言って、あの子にも触らせていました……」

 シズの背中が、わずかな動揺に震えた。

「そうか……クダンも、わかっていたのだな……」

「で、ですが……」マキが口を手で覆ったまま、くわの実ほどにも赤くなった目をキヨ婆へと向けた。「スミレの髪は、この村には……」

「それも……あの子の髪を使うしかあるまい……」

 その言葉とともにシズは顔を上げ、反対にギンジは目を伏せた。

「チユリ……ですか?」絶え絶えに絞り出されたシズの声は、枯れ木よりも寒々しかった。「あの子の……髪を……」

「そうだ、チユリの髪だ」隣の部屋で眠っている彼女の姿を思い浮かべつつ、キヨ婆は答えた。「あの子が髪を切ることを望んだことも……あるいは自らをスミレと名乗ったことでさえ、この髪を弔いに使うべしということなのやもしれぬ」

 またシズは、何か言おうとはしたものの、結局それは音にもならずに、彼女はまた新たに浮かんできた涙を拭って、顔を伏せた。

 ……弔いの人形は、必ず本人の髪を使わなければならない。そうしなければ、それは弔いの人形にはならない。この村が始まり、人形を生業なりわいと定めた頃からのしきたりである。だが、スミレの髪は残っていない。あの子は自らの髪の一本でさえ、他人に従わせるのを嫌っていたから。

 残っているのは、彼女の着ていた着物の切れ端と、わずかばかりの骨ばかり。

 全て、あのクマの腹の中から見つかったものだ。

 スミレは、獣に食われて、死んでいた。

 気が付けば、わずかながらに晴れた空からどんよりと霧に曇った陽光が、湿った軒先をつややかに光らせていた。

 明朝、シズがきっとスミレの人形を、神社へと収めるだろう。あの獣の首の下に、彼女の人形を。あの子の人形は完璧にはなりえない。それだけが、心残りである。何か、悪い結果を生まぬと良いが。

 あぁ、哀れなスミレよ。

 スミレは村の子らを皆殺し、その報いに獣に食い殺されていたのだ。

 これ以上の罰など、誰が望もう。これ以上に痛ましいタタリなど、どこにあろう。

 スミレは、罰を受けたのだ。恐ろしき、タタリ神様の罰を……。

 もう……十分ではないか。

 おぉ……。

 タタリ神様……。

 この村にタッタ一人残されたチユリだけは、どうか守ってはいただけないものだろうか。

 あの子のことを考えるたび、彼女は嫌な予感を止められないでいた。

 なぜあの子は、その記憶の全てをどこかへ落としてきてしまったのか。なぜタタリ神様は、我らに対し、あの子に何も語るなと告げられたのか。

 なぜあの子は、自分の名前をスミレだと思ってしまったのか。

 その名前だけ、あの子の記憶に残ってしまったのか。

 なぜあれほどまでに、蛙を恐れるようになったのか。

 とても恐ろしい予感がする。

 あぁ……あの子は自らの髪を短く切るのを望んだ。まるで姉のスミレのように……あの子の望みには従うべしと告げられていたキヨ婆は恐れながらもその通りにしたが、それゆえにタツミは間違いを犯した。タツミは今は、座敷牢へと閉じている。だが、あやつと同じことを考えるものもこの村にはいるのだ……。

 あの子には、スミレが乗り移っていると……妹を乗っ取って、また村にわざわいをもたらさんとしていると、そう考えるものたちは少なくない。スミレが村の子らを皆殺したことがわかった時、タツミは真っ先に書堂を焼いた。あそこに積まれた価値ある本が、スミレを狂わせたのだと奴は考えたから……。

 誰も、そんなタツミの行いも責めなかった。それほどまでに、この村は迷信深い場所なのだ。

 事実、あの子が断髪を望んだ時などは、キヨ婆でさえ彼女のことを疑った。スミレの常軌を逸した言動はやはりあやかしとしての気質であったのではないかと、そしてその力で、妹の中へと入り込んだのではないかと、そんな愚にもつかぬ考えが確かに、頭をほんのひと時でも巡ったものだ。なるほどチユリの言葉遣いや行いは、昔とは変わっているようである。そしてその変わりようは、どことなく姉を思わせるものであることも疑いない。

 だが……あの子はチユリだ。

 目を見れば、わかるのだ。

 それに、天から轟く雷を恐れた、あの姿……あれは、村の子らに笑われながらも、決してスミレや、タケマルや、ワタシや、マキの膝から離れようとしなかった、愛らしき我らが娘、チユリそのものであった。

 その様を見たとき、ギンジもシズも、救われたように笑っていた。

 この子は記憶がなくとも、自分たちの娘なのだと……それが、わかったから。

 彼女は無垢の子だ。

 なぜチユリだけが、あの惨劇を生き残ったのか……あるいはそれは、スミレの血縁ゆえの情だったのかもしれぬ。スミレが殺すことを躊躇ためらったがために、今もまだ、チユリはその呼吸を続けていられるのやもしれぬ。

 そうだ、あの子は生き延びた。

 惨劇の夜からも獣の牙からも逃げ延びた、奇跡の子だ。コハクマルという少年とクニミツ殿が折りよくこの時に村に在ったおかげで、獣に首をくわえられながらも、チユリは生還した。それはまさしく奇跡である。危うくで、チユリとスミレ、姉妹揃って同じ獣に食い殺されるところだったのかもしれぬと思うと、この巡り合わせはまさしく「生きよ」というタタリ神様のおぼしではなかろうか。片目を失ったコハクマルも今はなんとか呼吸を取り戻し、チユリとは別の部屋で眠っている。

 チユリは、我らに残されたタッタ一人の宝。

 今や、あの子の幸せだけが、我らに残された唯一の希望であるはず……時が経てば、村のものたちにもそれがわかるだろう。

 どうか……今は自分をスミレと名乗る、チユリだけは……。

 祈るような気持ちで、庭先へと視線を向ける。

 よどんだ空は、蛙の声に誘われたか、せっかくの晴れ間を雲が隠して、黒い雨をひとつふたつと降らせ始めていた。

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