第2話 その想いが、腐る前に。

 気づきたくない気持ちって言うものほど、早く気づいてしまうものである。


 僕は妹が好きだった。年子なのに、同学年になってしまった妹。家族愛ってんなら、僕はこんなにも悩むはずはない。僕は女性として彼女を愛してしまっていた。本当だろうか?分からない。胸を掻きむしりたくなるような、締め上げられるような感情が、妹を思い出したり見かけたりするたびに僕のなかに沸き上がってしまうからだ。ほかの女性には、そんな気持ちはわき上がってこない。


 初めて自分の気持ちの異変に気づいたのは、小学生の頃だった。妹にちょっかいを出して、泣かせている同級生を見かけてしまった。僕は軟弱なタイプの男子だったけれど、その様子をみるや否や、鬼のようにその男子を痛めつけたらしかった。

 らしかった、というのは僕にはそんな記憶がなく、いじめられていて泣いていたはずの妹が、「おにいちゃんやめて」って大声で泣きながら僕の袖を掴んできて、何だろうと正面をみてみると、額が割れて血すら流れている男子の姿があった。

 教師に頭を下げ続ける母、困惑する教師。それもそうだ、優等生で通っていた、軟弱な僕が、ガキ大将の子供をボコボコにしてしまっていたからだ。


 そんな僕は、年を重ねるごとに気づきたくないことに気づいていくのである。普通、兄は妹と仲が悪い。普通、兄は妹に逆らえない。普通、兄は妹の裸をみて思わずさっと目を逸らしたりなんかしない。普通、兄は風呂上がりの妹のことをみて胸を高鳴らせたりなんか、しない。

 中学生になった頃には、「僕の気持ちは異常である」ということに気づいていて、それを隠すように努力していた。


「あんた達、本当に仲がいいねえ」


 母がそう言うのも無理はない。高校生になっても、朝が弱い妹を僕が起こして、起きない時にはおぶって一階のリビングまで運ぶのである。そんな妹は、そのお礼に(?)と週末は、風呂上がりにどうにも退屈な映画を一緒に観せてくる。僕は夜に弱く、うとうととすると、頬をつねり上げて起こされるのである。

 僕はさほど映画には興味がないから、一人で観なよと言うと、「映画は兄ぃと一緒に観ないと」なんて言うものだから、僕は半ば嫌々映画を観るのである。

 いや、正確には「嫌々と言った素振りを見せつつ」映画を観るのである。それは幸せで、苦痛な時間なのである。ふわり漂ってくるシャンプーの香りは、中学三年生の時から妹が使うようになった何かのブランドもので、父が間違って使ったときは怒髪天を衝くように怒り狂っていた。

 そんな妹に、「兄ぃは髪の毛もっさもさだから、特別に使っていいよ」って言われたときには、父に対してかつてないほどの優越感を抱いたものだった。


 そんな妹に彼氏ができた。という噂を聞いた。情報源は、妹と同じクラスの幼なじみからだった。こういうとき、「兄妹なのに同学年」というのは役に立つ。

 僕は、気が気ではなかった。「妹に彼女ができた」。ひいき目かも知れないけれど、妹は実際可愛い。すらりと背中まで伸びる髪の毛は艶やかに光を反射し、大きな黒目と二重の瞼は、その小さな顔の中でも印象的である。胸は控えめだが、スタイルはすらりとして背が高く、スポーツ向きの健康的な身体つきだ。そんな妹に今まで彼氏がいなかったのが不思議である。

 僕は、つぶさに妹の様子を観察した。けれども、妹には変わった素振りはなかった。いつも通り朝は僕におぶわれるし、忘れた教科書を僕の教室まで借りに来るのである。普段と変わらないからこそ、僕は逆に不安に苛まれ、教師からは「お前今週目つき悪い、みんな怖がってる」と言われてしまう始末である。


 その週末、妹が出してきた映画は珍しく面白い映画だった。ラブロマンス映画、古いフランス映画で、立場の違う人同士の許されざる恋を描いた作品だった。ありふれた題材だけれども、静謐な雰囲気の漂うフィルムの中で、確かに二人の恋が芽生え、そして最後には諦めてそれぞれの人生を進むエンディングであった。そして、そのそれぞれの人生は、それなりに幸せになっただろう事が示唆されていた。

 ぼくは釘付けになっていた。妹が今日、この作品を選んだ意図はあったのだろうか。二人は本当に幸せになっていたのだろうか。もし、二人が結ばれたら、幸せになれていたのだろうか。

 僕の頭はほとんど混乱していた。妹に「ほら、ティッシュ」と言われるまで、自分が泣いているのに気づかなかった。鼻をかむと、思ったより鼻水が出た。

 そして、エンドロールが終わったあと、しばらくの沈黙が流れる。珍しく、僕「たち」にとって重苦しい空気であった。彼女は僕が「彼氏ができたことを知っている」ことを知っているのだろうか。


 沈黙を破ったのは彼女からだった。

「兄ぃさ、私に彼氏できたって聞いたでしょ」

 僕は沈黙を貫く。

「や、大丈夫。知ってるから。それ、私がヤッチンに兄ぃに言って、ってお願いしたのだし」

 僕はぽかん、と口を開けて妹をみる。妹は、哀しげにくすっと笑った。

「みんなにさ、言われたんだよ。お前の兄シスコンだし、お前もブラコンだろーって。まあ、そういう話からノリで彼氏できたっていうことにして、みんなで兄の様子を見ようって話になったの」

 なるほどね。分からんでもない。同学年の兄妹っていうのは、昔っからオモチャにされていた。

「で、思ったより兄ぃが怖いことになっててさ、みんなゲラゲラ笑っていたんだけど、流石に私は笑えなくてさ」

 そう言った妹は顔を伏せた。僕は妹の横顔をぼおっと眺めていた。びっくりするくらい長いまつげは、微かに震えていた。長いまつ毛は、ほんの少し顔に影を落とす。

「……だって、きっと私だって、兄ぃに彼女ができたって言われたら、きっと私もおんなじようになるからさ」

 僕はその言葉をうまく飲み込むことができなかった。それは自分勝手な解釈じゃないか、妹がそんなことを言うわけが無いだろう、まさか僕は映画を観てねぼけているのだろうか?


「私もさ、兄ぃと同じ気持ちだったんだよ。ずっと。きっと、兄ぃは鈍いから気づかなかっただろうけど。でも、そろそろダメなんだと思う。これ以上想いを抱いていたらそれは——」


 醸造しすぎた想いは、きっと劇薬で、間違いを起こしてしまいかねないから。それはきっと、おぞましいこと。


 普段はガサツな言動の彼女らしくない、詩的な言葉だった。しかし、同時に、小説が好きな彼女らしくもあった。

 妹の唇が近づいた。僕は思わず目を閉じた。額に、暖かい感触が伝わってきた。

「ありがとうね、ごめんね、そしてさようなら。私の気持ち、そして貴方の気持ち」

 まだ、綺麗なうちに別れを告げよう。しばらくはさみしいけれど、と彼女は囁いた。


 翌日から、妹は朝自分で起きてくるようになった。教科書を忘れて借りに来ることもなかったし、必ず一緒に家を出ていたのもそれぞれバラバラになった。ただ、週末の映画だけは、一緒に観る。あの日の話は、あれ以来話題に上らなかったけれども、一度だけ妹が意味深な事を言ってきたことがある。

「兄ぃにも彼女できるよ、すぐに。私なんかよりもずっと早くね」

 そう言った妹は悪戯っぽく笑って、顔の前で「ごめん」と言うように手をチョップの形にかざした。

 母たちは気づく様子もない。強いて言えば、「あら、自分で朝起きられるだなんて、しっかりしてきたのね」と言うくらいなものだった。けれど、僕には分かる。僕たちは意図的に、違う道を歩もうとしているのだということに。そして、それこそが僕たちの本当の幸せへの道なのだ。


 好きだからこそ、妹に本当に好きな人が出来たときには心から祝福してやりたいと思う。きっと、絶対に、泣いてしまうだろうけれど、好きな相手だからこそ、相手が幸せになるように全力で応援したい。

 娘を持つ父親もこんな気持ちなんだろうかな、と思う。いや、少し違うかもしれない。違っていてほしい。こんなに苦しいものなのだとしたら。

 とにかく、知りたくないものほど、早く知ってしまうものであると、ぼくは思うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せは見えなくても、きっとぼくらの側に寄り添っている えむばーど @m_bird

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ