幸せは見えなくても、きっとぼくらの側に寄り添っている

えむばーど

第1話 不幸せな僕が、きっと貴方を幸せに

 ねぇ、幸せってなんだろうって考えたことある?

 ぼくはある。駅で手を繋いだ家族を見たとき、笑顔で向き合う親子を見たとき、泣きわめく子供を心配そうに、けれど毅然とした態度で叱りつけてるとき。


 それをみると、ぼくはほとんど息ができなくなるほどに苛まれる。自分と同じ世代、あるいは下の世代が、想像だにしないほどに自分と違う世界に生きているんだってことを突きつけられるからだ。


「幸せってなんだろうか」


 学生時代、酒瓶を、それも一升瓶を抱いてへろへろに酔ったぼくらは、夜な夜な議論しあった。帰る場所があること。あるいは、心の安寧が得られる場所があること。もしくは全てを忘れて打ち込むことができる物事があること。


 それはどれも違った定義のようでいて、不思議と根底には硬く共通した物事が横たわっている。

 それは、生きる目的がなんたるか、ということが残酷なまでに明瞭と見えていることだ。


 それはレールのようで不幸せだという人もいるだろう。天井の見えた人生でつまらないという人もいるだろう。

 けれど、行先の見えない、どこまで続くかすらわからないレールに身をまかせることや、どこに天井があるのかすらわからない暗闇にて、背伸びを強要されることに比べたら、どれほど大変なことなのだろうか。


「そんなこと誰も考えてねぇって」


 すぱぁっとタバコの煙を宙に放った友人は言った。


「自分の限界を自分で決めちまったら終わりだろ?子供を育てきれる自信なんつーのは、家族を持つ自信なんつーのは、それを成功させた人しか持ち合わせてねーっつーの」


 曰く、後になってしか評価できないことに気を揉むな、ということだった。案ずるより産むが易し。そんなところだ。


「でも、自分の面倒すらみれねーやつらが、どうして他人の人生に責任を持てるっていうんだい」


 ぼくが純粋に質問を飛ばす。彼は静かに目を閉じて、ぽわっと輪っか状に煙を宙に放った。ゆっくりと広がるその輪は、数刻の後に霧散してその存在の痕跡すら残さない。


 気づくと、そんな議論すらできなくなった自分を見つけた。広場にぽつんと立ち尽くして一人ぼっちの自分。周りを見渡してみると、自分以外は満たされたように見える人たち。きっと自分には何かが欠けている。あるいは、かつてあったものが、破れた腹のどこかから零れ落ちてしまっている。手を器のような形にして受け止めてみる。目に見えないそれは、しかし確かに指の合間から溢れてしまう感触だけが感じられる。


 限界だった。もう耐えられないと悟った。外に出てみた。今日の曜日すらわからなくなってた。周りは暗く、夜だということだけが分かった。あてどなく歩く爪先、けれど自分の意識とは切り離された何かがぼくを導いた。


 その先は川だった。光の川だ。ヘッドライトのオレンジ色の光、テールライトの赤色の光。尾をひくようにそれらは流れて、夢の世界のような河を作り出していた。ぼくはスマホを取り出してその写真を撮る。光量が足りず、ブレた写真は、確かに川のように見えた。


 きっと川は気持ち良いのだろう。そんな気持ちがぼくの中に湧き上がる。生命は海より産まれた。この川だってきっと海につながる。そんな中に身を投じれば、きっと気持ちが良いのだろう。そう、自然に思い至った。


 気づいたらぼくは光に包まれていた。それはきっと祝福の光だった。最後の最期に、ぼくは輝かしい存在になったのだと思った。あまりの眩さに眩んでしまった目が捉えたのは、目と口を見開き、叫ぶようにしてハンドルを切っている男性の姿であった。もし、彼に家族があったのならば。それは少し申し訳ないことをした、そんな風に思ってぼくの意識は絶たれる。


 再びぼくが光を捉えたのは、どれくらい経ったのちなのかはわからない。ただ、驚くほど真っ白な空間にぼくがいたことは確かだ。それは、ぼくの知らないあちらの世界に行った証拠だ、と思った。


 ガタン、と耳障りな音がした。ぼくは目を動かした。そこには老婆がいた。違う。年老いた母がいた。


「やっと目を覚ました……」


 聞き取れるか聞き取れないか分からない声で、囁いた。次の瞬間、ぼくの身体を掻き抱いた。痛かった。自分の身体を思い出すと同時に、その身体が全力で悲鳴をあげていることを知った。


 ナースが飛び込んでくる。そして、驚いた顔でぼくをみる。母が泣きじゃくる。ぼくは声を掛けようとするけれど、その声が出ない。

 医者が飛び込んできて、様々な機械を弄っては感嘆の声を上げている。


 結局、ぼくは幸せってものを失って初めて知ったのだと理解した。ぼくはすこし不自由な身体を手に入れ、年老いた母をより老婆へと導いた。

 ぼくは車に飛び込んだのち、半年ほど意識を失ってベッドに横たわっていたという。2度と意識が戻ることがないと言われていたぼくの横に、母はほとんど毎日やってきて見守り続けたのだという。


「馬鹿なことをやりおって」


 そういう母の顔を見て、ぼくは現実を取り戻し、自分のやらかしたことの重大さを知る。ぼくを轢いた相手の家庭も、タダでは済まなかったと聞いた。自分の幸せだけを考えるあまり、他人の幸せすら壊してしまっていたのだ。


 いま、ぼくはリハビリをしている。やや不自由の残る左足以外は、日常生活を送れるレベルにまで戻った。さて、どうしようか。


 願わくば、この拾いものの命を誰かの役に立てたい。こんな命だって、自分が思うよりかは誰かが案じてくれるのだ。追い詰められた人は、視野が狭くなる。そんな人を助けられる、そんなことができたらよい。そう願う。


 もし、誰も案じてくれない命があるとしよう。そうしたら、ぼくが案じてあげよう。だれにだって一人くらいは、自分のために泣いてくれるだろう人がいることが、きっと幸せなんだろうから。

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