白雨

ぺーさん

第1話

 誰にでもあることなのだろうか。

 誰だって、そう思うことがあるのだろうか。

 誰もが通りすぎることなのだろうか。


 言葉というのはひどく難しくて、だから、「何故」という疑問を、どんなときも、朝起きて朝のニュースを新聞を読む父の横で見つめている時も、母の作ったお弁当を開けて友達と輪になり昼食を食べようとしているときも、一日に疲れてお風呂でほてった体をパジャマに包んでもう眠ってしまおうと思っている時も、どんなときだって、急に頭の中に、「何故」という思いが浮かんでくる。もしかしらたら、それは「何故」と考えているだけで、私たちの世界の「何故」ではないのかもしれない。だって、「なぜ」も「何故」だし、「どうして」も間接的には、「何故」だから。


 先生は言う。

「疑問を持つことは良いことだ。」と。でも答えはくれない。


 母は言う。

「考えても無駄なことだってあるのよ。」と。だから、答えはくれない。


 父は言う。

「そうやって疑問に思ったことは、いつか役に立つ。」と。つまり答えはどこにもない。


 私は頭の中に「何故」が浮かんだ時、「何故」について自分自身に尋ねてみる。

「あなたはなんでそんなことで悩んだり、考えたり、何故、と思ったりするの。」と。そうすると、しばらく考えているフリをしてから、分からない、とか、知らない、と答える。本当は全然考えていない。いつも同じことを言うと、全然考えていないことがバレちゃうから。


 考えるのは嫌。

 でも、疑問はどこからだって湧いてくる。浮かんでくる。

 何故、と思っているときは、いつも頭がぼーっとする。片肘を机について、顎を手に乗せて、何もかもにそっぽを向いて、教室の窓から外を見る。

 調べてわかることなら、辞書を見れば、インターネットで探せば分かる。そういうことじゃなくて、調べても分からないようなこと。

 なんでもかんでも分かる人が、この世にいるのだろうか。

 誰かに疑問を投げかけ続ければ、私が欲しい答えをくれるのだろうか。

 私は何故と考えて、考えて、考えて、考える。それでも駄目で、いつの間にか頭の中には何もなくなってしまう。だから、何が分からないのかが分からなくなる。私は馬鹿なのだろうか。

 でも、勉強はそれなりに出来る。運動だって、少し苦手だけれど、一生懸命練習をする。料理だって、見てくれは良くないかもしれないけれど、食べられないものは作らない。連立方程式を解き、バレーボールをクラスメイトにトスし、自分のために少し崩れたオムライスを作る。テストを解いて九十点を採り、五十メートルを八から九秒の間で走る。小麦色の鳥の空揚げとみそ汁とサラダを作って、家族と食事をする。

 私は思春期で、だから、分からないことだらけなんだ。そう独語する。歩きながら、座りながら、眠りながら。私はどこでもそうやって自分に言い聞かせる。

 果たして、果たしてそうなのだろうか。

 私にはわからない。だけど、皆がこう言う。誰だってあることなのだ、と。そして、私は独語する。誰だって私と同じなんだ、と。まるで、知らない人と鮨詰めになって、エスカレーターに乗っているみたいな気分。エレベーターじゃなくて、エスカレーター。


「ねえ、アキちゃん。誰にだってある、ってことの、誰って、誰なの?」

 私はアキに訊いてみる。髪をまとめるためのゴムを口にはんだアキは、少し色っぽい横顔で私を見る。髪をかきあげているからだ。

「みんな、ってことじゃないかな。」

「みんな、って私たちのお父さんやお母さんのことなのかしら。」

 アキは、うーん、と少し唸って、

「私のお父さんやお母さんもね。」と、言った。それから、右手をクルリと頭の上で回す。そうすると、綺麗に髪がまとめられる。私は髪を結んだり、まとめたり、重ねたりするのが苦手だ。だから、いつも髪が短い。アキの髪は長い。

 彼女は微笑む。そして、どうしたの、と尋ねる。かわいい笑顔。私の笑顔はアキにどういう風に映るのかしら。私はアキの両目を見てそう考えた。

「分かんない」私は無力で、アキに甘えて見せる。私は同級生にも甘えてしまう。両親にも甘えてしまう。

「だから、凛子。あなたは頭がいいのね。」

「どうして?」

「なんだって、疑問に思えるから。」

「でも、辛いよ。」

 そう、と悪戯な笑顔。私には持っていない笑顔だ。アキの笑顔。

「そう、だから、あなたはあなたなの。そして、私は私なの。」


 「何故」からは、いろんなものが産まれてくる。私の疑問は「何故」の副産物だ。分からなくて、それが辛くて、高熱が出てベッドで苦しんでいる時みたいに、頭がぼーっとする。それから逃げたいから、調べて、訊ねて、考えることから逃げる。

 「違う」という思いも、「何故」の副産物だ。何か「違う」。正しいけれど、でも少し「違う」。納得できないということじゃない。そこにある歪みを意識しないで、感じる。だから、どれだけ私を愛してくれても、どれだけ私のことを見つめてくれても、私は孤独を感じる。そして、人は言う。

 そう思うことは誰にでもあることなのだ、と。

 馬鹿じゃないの。

 馬鹿ばっかり。

 一言で良い。わがままを言うなら、二言が欲しい。

 ねえ、凛子。あなたはそう思うのね。あなたはそう感じるのね。あなたは、と。

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白雨 ぺーさん @perparsan

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