UVERworldの男祭りに行けなかった話をしよう

辻野深由

「ライブにいけないじゃん」

『おじいちゃんが亡くなった。土曜日に通夜をやり、日曜日に葬儀をやるから』


 ああ、と思った。

 社員食堂で夕飯の素うどんを啜っていたら、見知らぬ番号から電話がかかってきた。電話を取って、俺であることを確認してから、親父はすぐに、そう続けた。

 ああ、そうか、と思った。

 もう、じいちゃんとは15年近くも会っていなかった。小学校の頃は毎年、お盆になると神奈川の自宅から家を出て、高速道路を500kmも走り、夕方前に石川の加賀温泉にある父方のじいちゃん宅に帰省していたのを思い出す。それも高校受験が始まる前までのことで、朧気に顔は思い出せるし家の場所の分かるけれど、社会人になってからは「そういや石川のじいちゃんはどうしてるっけな」と思いを馳せることなんてこれっぽっちもなかった。

 だから、親父が告げた訃報に戸惑いながらも、出た言葉が、「ライブに行けないじゃん」だった。

 土曜日はUVERworldの男祭りのチケットを確保していた。仕事が忙しくて、ファンクラブに入ってからずっと行き続けていたクリスマスライブも行くことがなかった昨年末。半年後には渡米するってこともあって、これが俺にとって渡米前最後のライブ参戦になるだろうな、だから気合い入れていかないとな、と息巻いて残業前の夕食を摂っていた俺にとって、その訃報は、思ってみなかったもので。

 不謹慎と言われても仕方がないのかもしれないけれど、本気で、素直に、そう思っていたから第一声に出た言葉だった。

「お前は来いよ」

 そうとだけ言い残して親父は電話を切る。元から不仲な父とあって俺もこれ以上会話を続けたところでどうにもならないことは分かっていたし、仕方ない、仕方ない、と何遍も自分に言い聞かせながら、どんな気持ちを抱けばいいのかも分からないままに上司に訃報を告げ、翌日は最低限の仕事を納め、土曜日に朝一番で長野から石川へ向かった。

 東北新幹線が開通して実質二回目の冬とあって、かがやきを下車して改札をくぐり抜けた先の金沢駅は、スキー客や観光客でごった返していた。長野や松本なんて比じゃないくらいの賑わいで、喪服が浮いている。

 金沢で、母と弟と合流する。弟も三代目の公演の設営のためにナゴヤドームにいたところで、訃報を受け、その脚で神奈川の自宅に戻り、喪服を調達して、母を連れてきた。

「なんだった、こんなタイミングでねぇ」

 俺がSSAにいくことも弟が三代目のライブ設営で2月一杯あちこちと飛び回る状況を知っていた母が言う。

 あと一週間ずれていたら、なんて言ったところでどうしようもない。

 駅で蕎麦を啜って、サンダーバードに乗り換え、加賀温泉駅まで行く。十年前はこうやって電車を乗り継いで父方の実家まで来るなんてこと、考えもしなかった。高速道路か、羽田と小松を結ぶ飛行機の二択だったのだから。

「お父さんね、死に目に間に合わなかったみたいよ」

 母が唐突にそんなことを口にして、俺はただ「そっか」と返事を返す。

 親戚の死を経験したのは、記憶にある限りでこれが二回目だ。一回目は母方の祖父が亡くなったときで、それももう15年前のこと。学校から帰ってきたら、訳も分からないままに手を引かれて新幹線に飛び乗り、そのまま福島の郡山まで行った、なんて記憶が蘇る。あのとき、母は、あと数分という、本当にぎりぎり死に目に間に合って、それはそれで、子どもとしては良かったこと、なんだろうと思う。

 降り立った加賀温泉駅も、旅行客でがやがやと賑わいを見せていた。改札を出る。片山、山中、山代の温泉宿へ向かう送迎バスの運転手たちに混じり、何年も会っていなかった親戚の顔があった。久しぶりだね、なんて声をかけ、その子が運転してきた車に乗り込み、父方の実家へ向かった。

 加賀の街は白かった。イオンに名前を変えたジャスコは健在で、大きく聳える金色の観音像も、中学生だった俺の記憶と寸分違わない荘厳さでもって出迎えてくれる。

 車を走らせて二十分ほどで実家に到着して、家の中に入ると、親戚が勢揃いしていた。じいちゃんの長男である俺の父、父の妹二人、その家族、じいちゃんの姉と妹、その家族。総勢二十人はいるだろう。ああ、お疲れ様、と皆一様にしんみりした表情で出迎えてくれる。

「じいちゃんは?」

「いつも寝ていたところだよ。そこにあんたの父さんもおるけぇね」

「わかった。ありがと」

 荷物を置いて、俺と弟、母と三人で離れの部屋に向かうと、普段よりやつれた父と、ばあちゃんがいた。

「じいちゃん、そこで眠ってるし、顔、見てきいや」

 棺桶に入る前のじいちゃん。死に化粧をされ、両手を組んで数珠を握り、白一色の死に化粧。

 ああ。

 ああ、そうか。

 これが、人の死か。

 俺がそう実感するには十分すぎるほど、その肌は冷たかったし、爪の色も、肌の色も、疑いようもないほどの死を突き付けてくる。

「二人とも、遠路はるばるありがとうな。孫の顔が見られて、じいちゃんも喜んどるよ」

 いまにも消え入るような声でばあちゃんが言う。痩せて、弱って、このまま後を追ってしまうのではないか、と心配になるほど元気のないばあちゃん。見ていられなくて、俺は目を背け、焼香をする。なんて声をかければいいのかも分からず、ただ無心で目を瞑り、祈る。

 それからすぐに葬儀屋がやってきて、葬儀場へじいちゃんを運ぶからと、あれこれ説明を受けながら、納棺をはじめる。

 手甲をつける。黄泉は六つの世界があって、そこへ渡るためには銭が必要やからな、と胸に六文銭 を入れてやる。敷いた布団を持ち上げて納棺し、頭のあたりにご飯を入れてやる。歯がないと飯も食われへんやろ、と入れ歯を入れ、先にあの世へ逝った愛犬の写真を入れ、棺桶を閉める。

 霊柩車にじいちゃんを乗せると、親父に「お前も乗れ」と言われ、荷物を持って乗り込む。ああ、霊柩車ってこうなってるんだな、なんて思う間もなく、車を数分も走らせると葬儀場に到着した。

「あれ? こんな近い場所にあったっけ?」

「何年も前からあるよ。お前が生まれた頃からな」

 そうか。そうだよな。小さい頃の俺が、葬儀場なんて意識して記憶に留めるわけもないよな。そんな風に、三十も見えてきたこの年になってようやく、自分自身が親戚や友人の死とは無縁だった場所にいたんだって実感する。

 それからは慌ただしく、通夜の準備をして、受付けなり通夜に参列してくるじいちゃんの友人、知人、仕事仲間、病院の関係者に何度となく頭を下げながら挨拶を交わす。親父が喪主を務め、ばあちゃん、母さんが横に並び、その隣に親父の妹が二人。俺はばあちゃんの真後ろ。

 温泉街だけれどほとんどが一軒家で、血は繋がっていなくとも、古き良き、という感じの近所付き合いはあったんだろう。

「最近散歩してるのを見かけないと思ったら……」

「生前は本当にお世話になりました……」

「これから淋しくなりますね……」

「困ったことがあったら何でも言ってな……」

「ああ、【親父】かぁ。見ない間に大きなって……。そうか、喪主か……」

「【親父】も見ねぇ間に立派になったなぁ……ああ、そっちが、お前のせがれか……」

 俺の知らない人たちと親父が挨拶し、ばあちゃんに声をかけ、肩を叩き、焼香をする。続々とやってくる参列客に向けて挨拶をしているうちに通夜の時間が来て、孫代表として用意された席へ。俺は親父の真後ろ。長男の息子で、俺も長男だ。親父は「俺の背中を一通り見ておけ」なんて言う。こんなタイミングでいうことないだろ。

 用意された二百弱の椅子は満席だった。じいちゃん、愛されていたんだな。享年は80を超えていて、俺はこのときになって初めて年を知り、戦争体験者だったことも知った。

 真言宗のお経が読まれ、通夜が終わり、俺は酒を呷りながら親戚と語って、見送っては眠りにつく。地方の習慣なのだろう、喪主一家は葬儀場に泊まり、一晩をじいちゃんと一緒に過ごした。

 翌日は10時から葬儀で、それから火葬場で火葬の段取りだった。

 昼前に火葬が始まり、一時間もすれば骨になるから、と説明を受ける。火葬前の焼香をして、顔を見る。安らかな表情をしていた。火葬をする空間に入っていく棺。閉まる扉。啜り泣くいとこ。堪えるような表情で見送るばあちゃん。南無南無とささやき続けるじいちゃんの姉。無表情な俺の弟。喪主様は控え室まで来て下さい、と火葬場の従業員が声をかけるまで親父は頭を下げ続けていた。

 火葬が終わるまでの合間で昼食を摂る。馬鹿みたいに豪華な昼食で、じいちゃんが骨になってるっていうのに、食欲なんて湧くはずもなく、勿体ないほど残した。

 時間が来ると、名前が呼ばれ、納骨部屋へ移動する。

 ああ、これは二度目だな、と。

 骨だけになったじいちゃん。喉仏はこれです、と従業員が教えてくれる。仏の形をしているから、喉仏なんです、と。

 最近はどうやら橋渡しの習慣はないらしく、長さの違う竹箸でもって直接、骨壷にじいちゃんの骨を入れていく。頭蓋、腰、歯、肋骨、背骨、脚、腕、手。あの世へ逝っても人としての形を保てるよう、丁寧に納めていく。

「これでもって納骨は終了です」

 そんなアナウンスでしめやかに納骨が終わる。

 それから、俺と弟、母は荷物をまとめ、帰る支度をする。親父は残ったばあちゃんの面倒のこととか、年金やら社会保険のことやら、葬儀代のことやら、色々とやることがあるから、と石川に残る。喪主として挨拶を済ませ、車で加賀温泉まで送迎をしてもらい、そのまま岐路についた。


 故人を惜しむ暇もなし、とはこのことか、と、色々と終わったいまになって思う。それにしても、大人になって、こういうことを改めて経験して、なんというか、言いようのない感情があれこれと湧いてきて、気持ちは落ち着かない。

 これまでさして気にしたことなんてなかったけれど、葬儀になれば、親しかった人たちが通夜や葬儀にやってくる。訃報を惜しみ、悲しんでくる人が、じいちゃんにはあれだけいた。それを思うと、じゃあ自分が死んだとき、あんな風に悲しんでくれる人がどれだけいるんだろうな、と不安になったり。

 親より先に死ぬことを親不孝、という。なんとなく、俺は親不孝にならなきゃいいかな、と思っていたけれど、喪主だった親父の背中を見て、親父は息子というか長男として、最後までやるべきことをやってやったんだな、と思ったり。

 UVERworldのライブに行けなかったのは、そりゃ残念だけど。

 これまで、ああいったライブで二階席や三階席から、たまーに、アリーナの席が空いているのをちらほらと見かけたことがあった。クリスマスの武道館しかり、男祭りしかり、過去の東京ドームもそう。ライブはこんなに楽しいのに、何があったんだろうな、勿体ない、と思ったことだって何度もある。

 それに、いまこれを書いていて思うのは、一昨年のクリスマスライブで流れた、あの最後のcrewからの言葉だった。あんなことがあっても、チケットだけは残っていて、ライブに行ったcrewがいる。

 けれど、そんなライブにいけなかったcrewもいて、それぞれの人生を抱えていて、本当だったら普段は全然、欠片もすれ違わない人生が、あの瞬間だけは同じ空間でライブを楽しむ感覚に混じれない人もいて。

 きっと、どっちの選択肢を取っても、俺は後悔しないなんてことはないんだろう。けど、最後にじいちゃんの顔を見られたのは、良かったと思っている。

 だから、なんか、なんだろうな……。

 上手く言葉にできないけれど、ライブで、アリーナで、空席があっても、それは決して、ライブに行きたくないからとかじゃなくって、やっぱり、いけない事情があるってことだし、いないcrewの分まで楽しんで欲しいし、俺も次のライブでそんな光景を見かけたら、そんな心意気で望もうと思っている。

 何の話をしたいんだったか、なんてテーマはないし、言いたいことは募るばかりで山ほどあるし、誰に向けて語ってんだって話ではあるんだけど、うん。


 まぁ、なんだ。

 Live every day as if it were the last day.

 


 

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