第155話 外伝60.伊勢神宮駅伝

――1948年 正月 東京某所

 一昨年のエースパイロットの祭典から二年……このイベントがきっかけになったのか不明だが、独墺と日本の民間交流は加速しつつある。

 テレビが普及して以来、正月の風物詩となってきた大学生による伊勢神宮駅伝もその例外ではなかった。

 伊勢神宮駅伝とは元旦から三日までの三日間かけて富士山の麓から伊勢神宮までたすきを繋ぐ競技で、国内では最大級の長距離を走る駅伝として有名だった。

 大学対抗で行われるため、各大学は多数の走者を準備する必要があり、大学の総合力が勝負の決め手となる過酷な駅伝となっている。

 今年からはそこへドイツ大学選抜とオーストリア大学選抜が参加することになり、独墺からも注目を受けるようになっていたのだ。

 

 そんな注目を集める駅伝を見ようと叶家に二人のドイツ人が訪れていた。二人とも日本語は日常会話程度ならこなすことができたが、叶健太郎は池田にも声をかけ四人でみようと彼に提案してきた。

 人物名を知らされていなかった池田は、正月が賑やかなのもいいなと軽い気持ちで引き受け、彼が叶健太郎を訪ねたのは、一月三日の昼になる。

 

「おお、池田くん、よくきてくれた」


 家主の叶健太郎が玄関で池田を迎え入れると、彼はお土産の日本酒を手渡し中へと入る。

 居間へ繋がるふすまを池田がガラリと開けた時、彼の表情は固まってしまった。

 

 なんと、そこにいたのは……熱狂し過ぎなドイツ人と静かにお茶をすするドイツ人の二人であったからだ。

 

「叶さん、あの方々って……」

「ん、一昨年あっただろ? ヘルマンとお医者先生だよ」

「み、見ればわかりますって……なんでこんな大物が、ここにいるんですか!」

「いや、伊勢神宮駅伝を一緒に観戦するのも楽しいかなと思ってさ。ヘルマンは暇だって言うし、お医者さんは閣下が北海道から戻って来るまで待たないとだったみたいでな」


 「閣下あ、北海道に何しにいってんですかあー!」と池田は一人心の中で突っ込みを入れるが状況が変わるわけではない。

 温厚で人当たりのいい元軍医の隣に座ろうと池田は考え、一歩踏み出す。その時、テレビに熱中していたヘルマンが大きな叫び声をあげる。

 

「おおおおお、我がドイツ! 三位だ、三位にあがったぞおおお! 二位も見えてきた!」


 テレビに映っていたのはさきほど叶健太郎が言った通り伊勢神宮駅伝で、ちょうどドイツ代表が三位にあがった様子だったのだ。

 それを見たヘルマンが立ち上がり大声をはりあげたというわけだ。一方の池田はビクビクしながらも、元軍医の隣に無事座ることが出来た。


「ヘルマン、そんなに叫ぶと血管切れるぞ」


 叶健太郎は呑気にヘルマンへ助言するが、池田は気が気でない。こんなことを言ってヘルマンが怒ったらどうするんだと。

 しかし、池田の予想とは裏腹にヘルマンはガハハと豪快に笑い声をあげて、イカの干物を噛みちぎった。

 

「叶さん、これは日本酒に合うなあ」

「そうだろそうだろ。これこそ、日本酒のお伴だよな」


 ヘルマンと叶健太郎は肩を組み陽気に酒を酌み交わしている。池田は叶健太郎の順応に空恐ろしいものを感じ冷や汗を流し、首をふる。

 その時、元軍医と目が合ってしまった。すると、彼は「分かるよ」と池田に目くばせしてくるではないか。

 

「池田さん、あなたは叶氏と仲が良いと聞いておりますよ」

「あ、はい」

「お気持ち、何となく分かりますよ。私も閣下に……」

「なるほど……」


 池田と元軍医はそんな言葉を交わしながら、しんみりとお茶をすするのであった。

 騒ぐ二人を後目に、池田と元軍医は静かにテレビで神宮駅伝の観戦を行う。

 

 最終区の一つ手前で、ドイツ代表が二位を捕らえ、追い抜くことに成功する。トップとの差は僅か十五秒、大興奮するヘルマン。

 

「おおおおお、叶さん、二位だ、二位にあがったぞ、我がドイツは! これは優勝もいけるのではないか!」


 その場でドイツ国歌を歌い出しそうになったヘルマンを叶健太郎がたしなめ、座らせる。

 

 そして、舞台はいよいよ最終走者の手に託された。

 一位はえんじ色の襷、二位は黄色の襷のドイツが僅か十秒遅れで続く、三位はさきほどドイツに抜かれた青色の襷がドイツから離れること二十秒で続くと大接戦だった。

 

 最終区の五キロ地点……ついにドイツが先頭のえんじ色の襷を捕らえる。

 

「お、おお。ドイツがトップじゃねえか」


 叶健太郎は面白そうにヘルマンの顔を見やると、彼の興奮も最高潮なようでついにドイツ国歌まで歌い始めてしまった。

 

「あ、でも、叶さん、三位の青色の走者は速いですね」


 池田が訪ねると、叶健太郎も頷きを返す。

 

「そうだな。ドイツとの差があと十秒か。お、えんじの大学を抜いたな」


 叶健太郎はテレビを指さし日本酒を口に含む。

 

「おおおお、追いつかれそうだ! 何てことだ! 青の襷の走者!」


 ヘルマンは頭を抱えて叫ぶ。そんな彼の肩をポンと叩き叶健太郎が一言。

 

「ヘルマン、あの青の走者さ、名前見てみろよ」

「ん、なにい。ゲオルグだとおお。あれはドイツ人ではないのか!」

「ええと、新聞によるとドイツ人みたいだな」

「なら、我がドイツ代表に加わるべきではないのかね!」

「あ、いや、これさ『大学』駅伝なんだよな。ヘルマン。一応、大学に所属していたら日本国籍でなくても出場可能なんだぜ」

「な、なんてことだ……おのれええ、ゲオルグ!」


 ヘルマンはあらんかぎりの力を込めてテレビを睨みつけるが、ゲオルグの調子は走る距離を伸ばすごとにあがっていき、ドイツ代表を抜きどんどん差を広げていく。

 最終的にゲオルグは二位と二十秒以上の差をつけて優勝してしまった。

 

「ま、初年度で二位ってすげえことだと思うぜ」

「た、確かにそうだな。うむ、来年こそは優勝だ!」

「いつかドイツでも試合の生中継を見られるようになればいいな」

「まあ、私は日本で仕事をしているから問題ないがね! ガハハハ」

「そうだな。飲むか、ゲオルグ」

「ああ、俺はヘルマンだがな!」


 叶健太郎とヘルマンは肩を組んで再び飲み始めた。

 そして、池田は急須にお湯を注ぎ、元軍医へ新しいお茶を運ぶ。

 

「ありがとうございます。池田さん」

「いえいえ」


 池田と元軍医は賑やかな叶健太郎とヘルマンを眺め、ずずずーっとお茶を飲むのだった。

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