第147話 外伝50.1968年 日本 某所

――1968年 日本 東京 某所 叶健太郎

 叶健太郎は齢八十を超えても腰痛以外は健康そのもので、相変わらずのふてぶてしい態度とけしからんけしからんの姿勢は変わっていなかった。月に人類が到達したこの年、叶健太郎は久しぶりにエッセイを書いたが、相変わらずの若々しい文章に対する世間の評判は良かった。

 彼をしらない人が読んだ感想だと、筆者は三十代くらいと思うものも多かったそうだ。

 叶健太郎の元には月に十度くらい様々な友人が訪問しにくる。一番多いのは……今日も来ている遠野だろう。

 

 叶健太郎は遠野のことが嫌いなわけじゃないが、ここ最近訪問回数が増えた気がしていた。彼は実際遠野の訪問回数を数えたわけではないし、彼の性格だと数えようとも思ってはいないだろう。

 

 しかし、とある理由から遠野の訪問回数が増えたのが叶健太郎ほど大雑把な人間でも気が付くのだ。それは――

 

――冷蔵庫。


 冷蔵庫を開くと、前回遠野が訪問した時に持ってきてくれた羊羹がまだ残っている。羊羹だけではない。その前に訪問した時に持ってきた生クリームがたっぷり乗ったプリンもまだある。

 

「叶さん。今日はケーキを持ってきました!」


 遠野はウキウキした様子で叶健太郎へケーキの入った箱を見せる。


「あ、ああ。冷蔵庫に入れておいてくれ。あとついでに、残ってる奴を食べて行ってくれねえかな?」


 叶健太郎はお菓子が残っていることに悪びれもせず、遠野に頼むと彼女は気にもした様子はなく、勝手知ったる冷蔵庫へ向かっていそいそと歩いて行った。

 遠野の様子を横目で見ながら、叶健太郎はお茶をズズッとすすりハアと息を吐く。

 

「叶さん、そんな年寄りみたいなホオってやらないでくださいよお」


 いつの間にか戻って来た遠野は、しっかりと冷蔵庫に入っていたお菓子を全部持って戻って来た。

 

「いや、実際俺はもう年寄りだって」


 八十を超えて年寄りじゃないってのはおかしいだろと叶健太郎は突っ込もうと思ったが、相手が遠野だったので突っ込むのをやめた。


「またまたー。あ、叶さん、今日はジンバブエ、ジンバブエについて語りましょうよお」


「ん? ジンバブエの記事でも書くのか?」


「そうなんです。どう書いても深刻になりそうで、叶さんならどうするのかなあと思って」


「んー、そうだな。ジンバブエにどんな甘い食べのもがあるんだろうな?」


「え! あるんですか?」


「いや、そらまあ、あるだろう……たぶん」


「え、ええええ! 何だかやる気が出てきました!」


「そ、そうか……」


 ジンバブエなあ……叶健太郎は遠野が「深刻になってしまう」と言っていたがその気持ちは理解できた。独裁者によって無軌道に改革……いや改悪が行われ、紙幣の価値は無くなり、隣国の南部アフリカに難民を流出させ、あげく難民が南部アフリカで雇用されると税金を払えとか言ってくる国だ。

 んー。切り口ねえ。叶健太郎は考えを巡らせ始める。

 他の情勢不安定な国と対比して書いてみるのも面白いかもしれないな。例えば、ジンバブエ対ニカラグア。どっちが凄いかとか。いや、ブラック過ぎるか?

 それか独裁者たちの事情みたいな感じで、独裁者を並べてみるか? 独裁政権は致命的な問題を二つ抱えている。一つは独裁者になった者が政経に明るく無ければ国家運営が成り立たず、国が大混乱すること。

 こういった独裁政権は多い。何故なら、独裁政権というものは軍人のクーデーターや武力を背景につけた革命によって成り立つことが多いからだ。軍人は軍事に詳しいかもしれないが、政治や経済に明るいとは限らない。独裁者自身が軍人やそれに類する出身で自身が政経の素人だと把握していて他にブレーンがいるなら別だが、軍人が信頼する相手はたいがい軍人なんだよな。

 もう一つの問題は権力の移譲だろう。独裁者に死期が迫った時、後継者問題が浮上する。うまく権力を次世代に繋ぐことができなかったら、即内乱になってしまう。

 

 そんなわけで、独裁政権とはリスクが非常に高い。しかし、独裁政権にも利点がいくつもある。一番の利点は世論を気にせずに大胆な政策が実行できることだろうな。

 独裁者自身の資質が飛びぬけて高ければ、イタリアや現ソ連のように複数政党制の国家では到底達成できないような成功を収めることだってできる。余りに博打過ぎるから、成功した二か国以外で独裁政権という政治体制は評価がとても低い。

 

「叶さん、叶さんー!」


 叶健太郎の思考を遮るように遠野の声が響いて来る。


「ん? 何だ?」


「良かったあ。何度か名前を呼んだんですけど、返事が無かったので……」


 その先は叶健太郎にも言わなくても分かる。ボケたかと思ったんだろう……

 

「まだまだ、俺の頭脳は平気だぜ。ジンバブエにどう切り込むかネタを考えていたんだよ。職業病だなこれは」


「叶さんの考えた切り口は凄そうですよお。一体どんな切り口なんですか?」


「あ、遠野、どこに書く予定なんだ? 磯銀新聞のコラムか? それとも政治欄か?」


「え? コラムですけど……」


 磯銀新聞のコラムは長年叶健太郎が記事を書いていて、世界一軽いノリを標ぼうしている。

このコラムでは書く者が自由な発想で書くことが許されているのだ。


「んー。それなら、ジンバブエの食べ物はこれだ! でいいんじゃね?」


「えええ、あ、でも、それなら……軽い感じで書けそうです」


 叶健太郎は冗談で言ったに過ぎないことに遠野が本気で取り組もうとしていたことへ冷や汗をかいたが、彼女もそろそろ一回はっちゃけてみるのもいいんじゃないかと思い、このまま黙っていることに決めた。

 

「ところで遠野、こんなにここへ来ていて大丈夫なのか? 記者って結構忙しいんだぜ」


 叶健太郎は自分が現役だった頃を棚に上げて、遠野に尋ねる。

 

「いえ、時間の許す限りここに来ようと思ってます」


「え? なんでまた……」


「それは……秘密です!」


 空気の読めない遠野でも、これだけは叶に言うことが出来なかった。

 もちろん恋とかそんな理由ではないことだけは、ここに記しておこう。

 

 後日、遠野はジンバブエの記事を磯銀新聞のコラムに掲載した。この結果遠野の食べ物好きが世間に広まり、叶健太郎ほどではないが、ユニークな記者として認識されることになる。

 甘い物好きなことは辛うじてバレなかったようだったが……

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