第134話 外伝39.1940年頃 夏

――東京 某所 磯銀新聞社

 磯銀新聞社は未来を担う若者へ新聞社の仕事を知ってもらおうと、都内に住み、磯銀新聞社まで通うことができる中学生へ職業体験をしてもらうと募集を行ったところ、思った以上に応募が殺到する。

 幸運にも選ばれた中学生十名は磯銀新聞社内の会議室に集められ、それぞれの担当が来るのを今か今かと待ち構えそわそわしていた。

  

 集まった中学生たちへ若い社員は磯銀新聞社内の施設案内を行った後、彼らにそれぞれの担当になる社員を会議室に招く。

 

「みなさん、お待たせしました。皆さんの担当になる人は全員記者さんになります」


 若い社員の声に導かれ、会議室の扉が開きゾロゾロと記者らしき人達が「九人」並んで入って来る。

 案内役の若い社員は記者の数を数えすぐに一人足りないことに気が付くが、「まあ、あの人だからな……」と呟き、笑顔で記者たちを中学生に紹介する。

 

 記者たちがそれぞれの担当する中学生を引き連れて部屋を出た後に残されたのは、案内役の若手社員と女子中学生一人だけになる。

 女子中学生は一人残されたというのに、ニコニコと笑顔を絶やさずご機嫌な様子だ。

 

 彼女の様子にほっと胸を撫でおろす若手社員だったが、待たされているというのに笑顔の女子中学生を怪訝に思う。

 

「ごめんね。お待たせしちゃって」


 若手社員の言葉に女子中学生は笑顔のまま答える。

 

「いえ、いいんです。遅れてくるなんていかにもあの人らしいです!」


「彼はもう引退してうちの社員じゃないんだけど、君みたいに彼を希望する人が殺到してね」


「やっぱり人気なんですね!」


 女子中学生は嬉しいからか立ち上がって、少し大きな声になってしまう。ハッとして彼女が座ろうとした時、会議室の扉が開く。

 

「よお。元気いいなあ。さすが若者」


 遅れてやって来たのは、元磯銀新聞記者で現在はエッセイストをやっている叶健太郎だった。

 

「あ、叶さん、困りますよ、ちゃんと来てくれないと」


 若手社員は焦ったように叶健太郎をたしなめるが、彼は頭をぼりぼりかくと「すまんすまん」と非常に軽い感じで反省した様子が微塵も感じられなかった。

 

「まあ、いいじゃないか。そんな細かいことは。あ、あの娘が俺の担当する中学生か?」


 叶健太郎は女子中学生に目をやると、軽く頭を下げる。

 

「はい! 叶さん。遠野と言います! よろしくお願いします!」


「おお。元気がいいな。さっそく行こうかー」


 これが叶健太郎と遠野のファーストコンタクトであった。この後成人し、磯銀新聞に入社した遠野は叶健太郎に良くアドバイスをもらいに行くようになるという……まだ先の話であるが……

 


◇◇◇◇◇



 叶健太郎と遠野はタクシーに乗り、叶健太郎の家に向かっている。彼は磯銀新聞社を既に退職しているから仕事を行うのは自宅になる。そのため、遠野を自宅に招くことを彼女に告げると彼女はたいそう嬉しそうに「ぜひ!」と答えたそうだ。

 タクシーの車中で彼は今取材していることについて遠野に説明し始める。

 

「遠野、高校野球について取材をしているんだ」


「高校野球ですか! 私、高校に行ったらマネージャーをやろうと思ってるんですよ」


「おお。レモンを差し入れたり、タオルをって青春だな」


「はい! 練習が終わったら甘い物をいっぱいみんなに配るんです。楽しみですよお」


「あ、甘い物か……」


「はい。お饅頭とかお饅頭とか!」


「……饅頭……お、おいしそうだな……」


 叶健太郎は少し顔が引きつっていた。運動をして汗をかいた後に喉がつまりそうな饅頭はねえだろお。と思うが女子中学生相手に突っ込みを入れるのも大人気ないと、慌てて口を塞ぐ。


「叶さん、高校野球の何を取材しているんですか?」


 幸い遠野が話題を変えてくれたため、叶健太郎はほっと大きく息をつくと、彼女に言葉を返す。

 

「ああ、高校野球は地方大会があるだろ」


「はい」


「どこの地方大会が一番大変かを調べてるんだよ」


「また変わったことを調べてるんですね」


「いいか遠野、どこの高校が強いとかどの県が優勝回数が多いなんて記事はどこもかしこも書いているんだよ。誰もやってないような苦労話を地元の高校生から聞けたらおもしろいと思わないか?」


「確かに! 野球以外に焦点を当てるのは面白いと思います」


「ああ、都市部では電車を使って移動するし、地方だとバスが多いよな」


「はい」


「北海道とか樺太になると域内が広いから大変だし、台湾は高校の数が多いから試合数が過酷だったりする。でもな、一番大変なのは……」


 ここで言葉を切り、遠野に考えを促す叶健太郎。遠野は少し考えて、彼に答える。

 

「大変なのは南洋諸島ですか?」


「おお。ご名答だ! 南洋諸島はひとくくりになっていてな。地方大会は南洋諸島全体で行うんだよ。これは辛いぞ」


 南洋諸島はいくつもの島で構成されていて、島と島の距離はそれなりに離れている。高校球児たちは船で移動するわけだが、時間もかかるし試合をするのも大変だと叶健太郎は言う。

 これは野球に限った問題ではなく、サッカーなどの他の競技でも起こる問題で南洋諸島では移動時間短縮のためセスナ機の導入を検討しているが、南洋諸島間で商用セスナ機を飛ばしても採算が取れないため、地方財源で賄うか議論の真っ最中とのことだ。

 南洋諸島は国にも地元の中高生の遠征試合、地方大会について陳情を行っており飛行機の価格は年々下がって来ているのでようやく国会でも議論がはじまったという。

 

「なるほど。野球に限った問題じゃないんですね」


 遠野は真剣な顔で頷き、南洋諸島の地図を頭に思い浮かべる。

 

「暇してる海軍とか空軍が運べないものかな?」


「叶さん、さすがにそれは無理じゃないでしょうか……」


「そうかあ」


 叶健太郎はぼりぼりと頭をかくのだった。

 そんなたわいない会話をしながらも、遠野は感激していた。叶健太郎は還暦を越えているが、彼の柔軟な発想力に衰えは感じない。彼女はいつか自分も記者になるんだと心に誓うのだった。

 一方、叶健太郎はなぜかこの先、彼女と長い付き合いになる予感をひしひしと感じ、たらりと冷や汗が額から垂れた。

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