第122話 外伝27.1950年頃 細長い国 過去

――日本 関東地方某所 叶健太郎

 暑い! 暑いぞ! 叶健太郎は自宅の縁側で扇風機に当たりながらブツブツと「暑い、暑い」を繰り返していた。夏本番、蝉の鳴き声がよけいに暑さを助長すると叶健太郎は思う。奴らが鳴かなかったらきっと気温が二度くらい落ちるはずだと彼は愚痴をブツブツと……

 暑さでダレた彼と異なり、彼の孫二人は汗をかきながらも、ちゃぶ台に夏休みの宿題を広げ学習に励んでいる。

 

 叶健太郎はせめて扇風機くらい可愛い孫たちにと思い、扇風機の電源を入れると孫たちからノートがめくれるからと抗議されてしまう。こんな暑いのに孫たちは平気なのかと叶健太郎はため息をついたが、彼の予想に反し孫たちは不平一つ言わずに勉学に励んでいるのだ。

 祖父と違い良くできた孫である。

 

 暑い……かき氷でも作ろうと叶健太郎が立ち上がった時、呼び鈴が鳴り響く。

 突然の来客に叶健太郎は慌てた様子もなく、ノロノロとした足取りで玄関口へと歩いていく。

 

「叶さん! アイスクリームを買ってきましたよ!」


 来客は遠野だった。そういや、今日来ると電話があったな……彼女が来てからようやく思い出すダメな叶健太郎であった。

 しかし……それにしても……暑苦しい恰好をしているなこいつ……叶健太郎はタンクトップにハーフパンツという可能な限りの薄着だが、遠野と言えばこのクソ暑いというのにスーツ姿でバッチリ決めていた。

 タイトスカートだからまだマシかもしれないが、上着を着ているから見るだけで暑い……叶健太郎は彼女の恰好を見てため息をつく。

 

「どうかしましたか?」


 遠野は不思議そうに首を傾ける。

 

「いや、何でもない……」


 こんなんだから、いい男が見つかんねえんだよと口から出そうになり、慌てて口をつぐむ叶健太郎。遠野のお陰で彼は背筋が冷えて少し涼しくなった。

 

 遠野を家に招き入れると、叶健太郎は孫二人を集めアイスクリームをみんなで食べることにした。溶ける前に食べてしまおうってやつだ。

 

「そういや、遠野、今日は何用だっけ?」


「ええと、太平洋の諸島についてです」


「ああ。そうだったな」


 太平洋の諸島かあ。叶健太郎が考えを始めると大きい方の孫の声で彼の思考は中断される。

 

「じいちゃん、ちょっと教えて欲しい事があるんだけど」


「お? どうした?」


「うん。じいちゃんって元新聞記者だから地理とか世界情勢に詳しいだろ?」


「あ、ああ」


 自信を持って肯定しないのが叶健太郎らしいが、孫の前くらいいい恰好をしてもいいものだが……その辺が彼らしいのだろう。

 

「あのさ、教科書に地図があるんだけど、あの細長い国について教えて欲しいんだ」


「細長い国……ええっと南米のチリか?」


「たぶんそこ。どの国でもいいんだけど、日本との関係性をまとめましょうって宿題なんだ」


「よりによってチリか……おっし少し考えるから宿題をしておいてくれ」


 叶健太郎と孫たちはアイスクリームを食べ終わると、孫たちは宿題に叶健太郎と遠野は氷水を準備して縁側へと移動する。

 叶健太郎は氷水を飲み干してから、孫たちにどう教えるべきか考える。

 

「遠野、チリだよ。チリ」


 叶健太郎は考えをまとめるために、隣に座る遠野に向かって声をかける。


「ちょうど、私が書きたかった太平洋の諸島とも重なりますね!」


 遠野は叶健太郎の意図などまるで汲み取らず、太平洋の諸島へ思いを馳せているようだ……


「なんて説明しよう。細長い国で終わりだとダメか?」


「叶さん! さすがにそれは……」

 

 やはりダメか……いくら小学生と言っても「細長い国」ってだけじゃあまずいよな……叶健太郎は再び考える。

 確か日露戦争前に内戦があって、議会主導の政治体制が確立した。この議会主導層の背後にいたのが、硝石と銅の鉱山を握っていた支配層だった。しかし、欧州大戦で硝石の価格が暴落すると対抗勢力が出て来る。

 国民連合と言われる対抗勢力は政権を握るも、クーデターで元勢力にひっくり返されたりしたけど、最終的に1925年に国民連合が政権に返り咲く。

 またややこしいことに、次は急進党ってのが出てきて政権をとって公共事業やらの充実を図るけど世界恐慌で全てがパーになったんだったな。

 世界恐慌でチリ経済は政権ごとふっとんでまた混乱していて、今は確か……国民連合は敗れて……人民戦線だったっけ……が政権を握っているけどパッとしない。議会制民主主義は保たれているけど、不安定、経済も立ち直り切れていない。

 人民戦線政府は連合政権でチリ共産党も入っているんだったな。ひと昔前だったら、アメリカやイギリスの圧力で共産党は排除されていただろうけど、今はそうじゃないから連合を組んでいても問題はない。

 

 正直、銅鉱山以外の強力な産業を育成しないと成長は見込めないだろうなあ……

 ここまで考えて叶健太郎はある懸念を抱き、隣に座る遠野に声をかける。

 

「遠野、チリなんだが……」


「何でしょうか?」


「政権が変わり過ぎて説明できんわ!」


「……確かに、小学生には複雑すぎますよね」


「経済もパッとしねえしなあ……」


「それでも南米諸国の中では上位ですよ」


「銅が輸出の八割だぞ。ちょっとなあ……あー銅を輸出している細長い国でどうだ?」


「叶さん、さすがにそれだと小学生でも怒りますよ!」


「あ、イースター島の売却のお話とか面白いんじゃないですか?」


「おお。それは、確かまた売却話が出ているんだったか」


 チリのイースター島とサラ・イ・ゴメス島は1937年にチリ政府が軍艦建造の費用を捻出するために売却を検討していた。その際は日本にも売却の打診があったが、他の国にも打診していたことが分かったから、値段を吊り上げるだけ吊り上げてご破算になる可能性を考慮し、日本政府は買い取りを断った経緯がある。

 チリの政権が安定していなかったことも大きな理由の一つだと発表があった。お金だけ払って「前政権の決めたことだから知らない」とやられて、軍事出動になっていまうと余計予算がかかってしまう。

 そして、昨年またイースター島の売却打診が日本へやって来たのだった。売却の見返りは日本との貿易協定と鉄道敷設だった。イースター島の見返りとしては大きすぎるので、日本政府は現在チリ政府と協議を行っている。

 円ペックをチリが採用することについては日本が既に合意している。日本とチリのパートナーシップ協定も結ばれることが決定し、今後日本からチリへの投資が行われるだろう。

 調整を行っているのは鉄道敷設資金についてだった。チリの首都サンティアゴから北端の主要都市アリカまでを結ぶ鉄道路線と、同じくサンティアゴから南の港湾都市プエルト・モンを繋ぐ鉄道路線の敷設は決定した。残す決め事はというと、日本がチリへ無償出資する金額について最終調整を行っている。鉄道工事を行うのは日本の民間企業で、依頼はチリ政府になる。

 

 日本とチリが合意すると、イースター島は日本領になるが……あの位置にあってもなあと叶健太郎は思う。正直、チリと仲良くなるきっかけのおまけだよな、あの島。

 

「遠野、この路線でいくわ」


 叶健太郎はよっこらしょっと声を出して立ち上がると、子供たちにチリについて説明を行う。

 

「いいか。チリってのは細長い国だ。銅が名産で今度日本が鉄道を敷設しに行く。で、モアイが日本のものになる」


「じいちゃん……もう少し詳しく説明してくれよお」


 自信満々に叶健太郎は説明したが、孫たちはものすごく不満な顔であったという。

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