第101話 外伝7 ドイツの若き天才学者 過去

――ドイツ ベルリン 若き天才学者

 欧州大戦が終結した時、後にドイツの若き天才学者と呼ばれることになるヴェルナーは僅か六歳だった。彼は当時のことをほとんど覚えていないが、ヴェルサイユ条約でドイツの負担を軽減しようと日本が動き、経済支援も行うと言う話を両親から何度も聞かされたことを覚えている。

 当時は日本という国の名前が頭に入った程度だったヴェルナーだったが、成長するにつれ日本が何故ここまでドイツを支援してくれるのか不思議になるくらい、日本はドイツの支援を行っていると彼は感じる。

 

 もちろん日本も無償でドイツへ支援を行っているわけではないだろう。新興国である日本はドイツに比べ基礎工業力が劣っていたから、ドイツと技術協定を結ぶことが目的の一つとヴェルナーは両親から幼い時に聞いていたが、日本の技術力は瞬く間にドイツと並び追い越そうとしている。

 しかし、日本はオーストリア連邦とドイツへ一つの経済圏を作ろうと提案し、円ペッグ経済圏が成立した。

 

 その結果1929年にアメリカを起点として起こった恐慌もドイツをはじめとした円経済圏への影響は皆無だった。それどころか順調に経済発展を続けたのだ。

 ヴェルナーは日本の経済政策が先見の明に優れており、きっとアメリカ発の不況を予測していたのだろうと考えた。日本単独でも対策は打てたはずなのに独墺を含め不況対策を行ってくれたからドイツは恐慌の影響を受けずにすんだのだろう。

 

 欧州大戦前は日独の交流はあったとはいえ、それほど繋がりが深いわけではなかった。しかし、大戦後の日独関係は非常に親密なものとなる。

 最初は日本がアジア系の民族だということで眉をしかめる者もいたが、五年も経たないうちに人種を気にするドイツ人はほぼ皆無になる。

 ドイツにとって、それだけ日本への感謝が大きくなったのだ。手を差し伸べてくれるのが遠く離れた日本というのは皮肉なものだが、ドイツは日本への感謝を忘れない。これからも良好な日独関係が続くはずだ。ヴェルナーはそう確信している。

 

 1930年にヴェルナーはベルリン大学に入学し、ドイツ宇宙旅行協会に入会するほど彼は宇宙に憧る。そして、宇宙へ行く為の手段として固体ロケットの研究を続け1932年には博士号を取得する。しかし、ロケットは余りに先進的な技術だった故にドイツ政府から予算がほとんどおりずドイツ宇宙旅行協会も予算不足に苦しむことになってしまう。

 しかし、日本からドイツ宇宙旅行協会へ手紙が届き、ヴェルナーをはじめとした会員はその手紙に驚愕することになる。

 

 手紙には何と! ドイツ宇宙旅行協会への資金提供と日本の研究施設でも研究をしないかという誘いだったのだ!

 

 1920年代後半にイギリスの経済学者を中心に日本に興味を持った者が出向く形で始まった、日本での講演は日本の大学での研究にまで発展していく。

 当初は経済学者を中心に日本に興味を持った者が出向く形で始まった「日本で研究を行う」ブームは、1930年代に入るとさらに加速しドイツやオーストリア連邦の学者も多く出向き、日本の国立大学で研究に励むものが増えて来た。

 

 学者連中からの評判はすこぶる良い。というのは、日本は学術研究費用に大きな予算を取っており研究内容によっては多額の資金が出ると聞いているからだ。日本の大学の教授になることができれば、自国で研究費用が出ないような斬新な研究であっても予算がでるのだという。

 研究者にとっては夢のような国なのだ……日本は。日本で研究を行うことの人気が出るのも当たり前と言えば当たり前だろう。

 

 手紙が到着した年……1932年の暮れだと、日本の大学に入るのはまだしも研究ができる地位で招待されることは非常に難しくなっている。そんな中、「日本から」支援の提案が来たのだから、彼らの驚きは計り知れない。

 

 ヴェルナーもまた日本からの誘いに狂喜乱舞し、ドイツ宇宙旅行協会は即日、日本へ感謝の意を述べ資金提供を受ける旨を電話で連絡する。

 電話で日本はさらに驚くことを彼らに言ってきたのだ! その内容は日本の研究施設を良ければすぐにでも見学しに来てくれないかということだった。

 

 手紙では確かに日本の研究施設でも研究をして欲しいという提案はあったが、すぐに「飛行機」での旅券を送るから、日本の研究施設へアドバイスが欲しいと声をかけてくれたのだ。

 「飛行機」のチケットは高価なものであったが、それをあっさりとドイツ宇宙旅行協会の人数分出してしまう日本に誰もが驚嘆きょうたんする。

 

 日本の粋な計らいにヴェルナーはもうすっかり日本の虜になっていた。彼は日本で研究することを決意し、彼らが準備してくれた「飛行機」の旅券で日本へと旅立つ。

 

 日本の研究所に行きヴェルナーが驚いたことは、ドイツ宇宙旅行協会よりはるかに規模が大きく潤沢な予算が出ていることだった。そして何より、日本政府も本気で「宇宙旅行」が実現できると考えていることだった。

 日本以外のどの国でも「宇宙旅行」はSFだと軽視しており、アメリカでロケットを飛ばした人物なんて新聞記事で散々こき下ろされるほどだったのだ。

 

 それが、日本では違う。宇宙に行くことができると信じている。ヴェルナーはここでならきっと人類が宇宙へ踏み出すまでに研究成果が出ると確信する。

 時折訪ねて来る記者もヴェルナーが研究しているロケット技術について真剣に取材を行うのだ。新聞記事を翻訳してもらって読んでみても、褒めたたえこそすれこき下ろすなんてことは一度も新聞記事に書かれていたことはなかった。

 

 その後ヴェルナーらと日本の技術者の力は結実し、1948年には「ひまわり一号」を宇宙へ。1960年には人類を月へと送り込むことに成功した。

 

 日本に来て良かった。ヴェルナーは何度もそう考えることがあった。次は月へ基地をつくろう。彼がそう宣言すると、研究所内に歓声が起こる。

 誰も不可能だとは言わない。きっとできると誰もが信じている。このチームならば、月へ基地をつくり人類を送り込み続けるだろう……その時まで自分は生きていないだろうが……ヴェルナーは心の中で独白するのだった。


※ネタバレ

ヴェルナーはフォン・ブラウンです。

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