第90話 ノートの人 現代編完結

――現代 健二

 健二は学校から帰るとワクワクしながらノートを開き、内容を確かめる。残念ながら新しい出来事が書かれていなかったので、健二は名残惜しそうにノートを閉じる。キャンプでノートのことで盛り上がって以来、妹もノートの内容が気になっているようで毎晩食事の後に家族三人でノートについて議論を交わすことが健二達家族の日課となっていた。

 本日の食事当番は健二だったが、妹も手伝ってくれて食事の準備は父の帰宅前に済ませることが出来た。妹が風呂に入っている間、再びノートを開くとアメリカ南部各州の公民権運動について書かれていた。

 

 ノートの世界の公民権運動は史実に比べ格段に早い。史実で公民権運動が盛り上がりを見せたのは1955年のバスボイコットからだ。国連で人権宣言が成されたことをきっかけに公民権運動が盛り上がったと言うが、アジア系の日本が常任理事国になったことや、オーストリア連邦やドイツなどで民族平等がうたわれていたりすることも公民権運動が史実より早く起こった理由だろう。

 史実よりアメリカの人権意識が未成熟な状況下で起こった公民権運動は史実より南部諸州政府が反発を強めている。まさか治安崩壊まで公民権運動が発展するとは思ってもみなかった。

 

 健二が考え事をしていると、家の扉が開く音がする。きっと父が帰って来たのだろうと健二は思い、味噌汁を温めにコンロの火をつけた。妹ももうすぐ風呂からあがるはずだし、夕食だな。


「ただいまー。って! ええ!」


 父がリビングへの扉を開くと、ものすごい驚いた声を出す?

 

「どうしたの? 父さん? 茜がまた裸だった?」


 また妹が裸で出て来たんだろうと健二は思い、父の声に気にせずそのまま味噌汁を眺める。

 

「ち、違う! 健二。こっちへ来てくれ! 今すぐ」


 何やら父が焦っているので、健二は一旦コンロの火を止めてリビングへ向かう。

 

「え?」


 健二はリビングに立っていた人物が目に入ると驚きで目を見開く。その人物の隣には腰を抜かした父が……

 

――リビングには軍服姿の三十歳くらいの男が立っていたのだ!


「と、父さん。な、何事?」


「わ、わからん。わからんが……」


 健二と父はパニックに陥るが、軍服姿の男は落ち着いた様子で健二と父、それぞれに目をやった。


「予言者殿と賢者殿だな。賢者殿、貴殿の姿はあの頃のままだ……」


 父とこの軍服姿の男は会った事があるんだろうか? しかし父の様子を見ていると、とても知り合いには見えない。

 少し落ち着いて来た健二は軍服姿の男をつぶさに観察すると――

 

――体が透けている!


 幽霊? 幽体離脱? 健二は初めて見る幽霊らしき存在にまたパニックに陥るが、父の次の言葉で唖然とする。

 

「ま、まさか。あなたは宮様?」


 宮様という父の言葉に、健二はマジマジと軍服姿の半透明の男の顔を凝視する。

 この顔は……どこかで……

 

 ま、まさか。ふ、ふし……ふしみのみ……

 

「お互い名乗るのはよそうじゃないか。これまでそうやって来たわけだからな」


 軍服姿の男は俺の考えを遮り、口を挟む。

 

「では。誠に失礼ですが、ノートの御仁とでもお呼びしてよろしいですか?」


 硬直から立ち直った父が、軍服姿の男へ問いかける。

 

「それで構わぬ。時間がどれだけあるか分からぬからな。些細ささいなことは省略したい。ここでは体のだるさを全く感じないが、私は病身で時間が余りないだろうから」


 軍服姿の男は気にした様子もなく、「それでいい」と快諾する。しかし、どこからどうみても健康そのものなんだけどなあ。


「あなたは見たところ、健康そうに見えますが……」


 健二の言葉に、軍服姿の男は気が付いたように自身の顔に触れ、頭や体に触れる。するとみるみる男の顔が驚愕きょうがくに包まれる。

 

「な、なんと若返っておるのか。なんとも奇天烈な現象だ」


「霊体みたいになっているのでしょうか。体が透けてますし……」


 男の言葉へ父が自らの考えを伝えると、男も納得したように頷く。

 男が説明するに、日露戦争後、ポーツマス条約の件を健二がノートで伝えた後、父が重要会議の席上に突如体が透けた状態で不意に現れたそうだ。

 ノートの情報に半信半疑だった政府閣僚も父が現れては信じざるを得ず、日本はノートの情報に基づき方針変換できたとのこと。

 男はあの時父が現れてくれたことこそ歴史の転換点だったと述べる。また、ノートの度重なる情報にこれ以上ない感謝をと述べた。

 

「なるほど。説明ありがとうございます。私はそのことを覚えていませんので、きっとあなたも私達と会ったことは忘れてしまうのでしょうね」


 父は寂しそうにそう軍服姿の男に告げた。男も父の様子からそのことは分かっていたようで、父へ深く頷きを返す。

 

「予言者殿、賢者殿。私が倒れればノートを読み書きできる者がいなくなる」


 男の言葉に二人はまたも驚かされる。


「え……あなたが薨去こうきょなされた場合には、誰もノートに書き込めなくなるのですか?」


 健二は確認の意味を込めて男に尋ねたところ、むこうの世界のノートは、男が書いた文章しかこちらに伝わらず、健二が書いた文章も男しか読めないそうだ。

 健二達は健二以外が書き込めるか試していないから、他の者が書けるかは不明だが、読むことは出来た。こちらと向こうではノートのルールが異なるらしい。

 簡潔にまとめると、男が薨去こうきょすれば、いくら健二か書き込もうと読める人が居なくなるってことだ。


「健二。災害情報は書けるだけ書いておこう。ノートの御仁に残された時は少ないみたいだからな」


「分かったよ。父さん」


 二人のやり取りを横で聞いていた男は二人に感謝の意を告げる。

 その時……


――妹がリビングに入って来た! 全裸で。


「父さん、健二くん。何か盛り上がってる?」


「茜。服を着て来い……」


 二人がノートの話で盛り上がっていると思っていた茜は健二の言葉に反応し、男の姿を確認する。軽く悲鳴をあげた茜はリビングから急ぎ出て行く。

 

「も、申し訳ありません。ノートの御仁」


 父が男に謝罪するが、男は声をあげて笑う。

 

「よいよい。家族仲が良さそうで何よりだ」


 男の言葉に健二と父は羞恥で少し体を小さくするが、すぐに立ち直り男へと向き直る。

 

「そろそろ愉快な邂逅かいこうも終わりのようだな……」


 健二が男を見ると、彼の姿がどんどん薄くなっていっている。きっとこのまま姿を消すのだろうと健二には容易に予想できた。


「これまで数々の助言と提案に感謝する。本当にありがとう」


 男はその言葉を最後に完全に姿を消してしまった。男が消えてからしばらく茫然としていた健二と父であったが、先にやることがあることを思い出す。

 そうだ。災害情報をすぐに書き込まなければ。男の寿命はあと僅かと言っていたから……

 

 健二が急いで災害情報をノートに書き込むと、男から返事が戻って来る。

 

 ホッとする健二がノートを見ると続きが書かれていた。


<機密情報だが、原子力の開発に成功した>


 この記述の後ろにノートの人から感謝の言葉が連なり、これを最後に二度と健二のノートに男からの筆記が成されることは無かった……


※ついにノートの先の人がネタバレ……もう少し過去編が続きます。

ノートの先の人が気になる方は、「ふしみのみ」で検索してみてください。出ます。

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