第86話 1944年 冬 オランダ領東インド問題 過去

――スマトラ島北部 アチェ王国 藍人 過去

 1943年11月にオランダ領東インドのスマトラ島で政変が起こる。オランダは拡大する独立運動に手が回らなくなり、日英の後押しを受けたアチェ王国が独立する。アチェ王国の領域はスマトラ島北部地域の三分の一を占める。オランダ領東インドの広大な領域からすればそう広くは見えないが、面積にするとそれなりに広い地域だろう。

 アチェ王国はオランダとの闘争の結果、オランダ領東インドに組み込まれたものの、オランダへ主権委譲を行っていなかった。日英はその点をオランダへ指摘し、アチェ王国の独立をオランダに認めさせる。

 アチェ王国はイスラム教のスルタンが支配する王国であったが、新生アチェ王国は日英の影響を強く受けた王国となった。政治的にはイギリスの影響が強く、経済的には日本の影響が強い。アチェ王国はスルタンを抱くイスラム教の王国とはいえ、世俗主義をとることになった。

 一つの例をとると法律もイスラム法ではなくイギリスの憲法を参考にし、信教の自由を認め刑法もイギリスに概ね準じる。憲法は宗教的には相容れない女性の社会進出や選挙権も認めている。

 経済的には円ペッグの構成国に入り、日英の経済支援を受けることを三国間で約束を交わした。

 

 年が明けて1944年2月、藍人は独立したばかりの新生アチェ王国へ日本海軍に護衛されて上陸していた。アチェ王国に招待された民間人は藍人だけでなく、建築会社や藍人と同じ商社の人達も多く招かれていた。

 円ペッグを採用したアチェは日本の新しいビジネスパートナーになっていくことが予想される。日本のインフラ投資も期待されていて、日本の民間会社はアチェに大きな関心を寄せているのだ。新規ビジネスはいつでも時間勝負なので、藍人以外にアチェに来ている人達はみんな興味津々に藍人の目からは見える。

 

 藍人はアチェに上陸したが、車はおろか港を一歩でると舗装さえされてない道に少し驚く。道を進み更に奥を見学しようとすると、藍人を護衛してくれていた若い海軍軍人に制止されてしまった。

 港付近以外はまだ落ち着いておらず、今日の所はご遠慮くださいってことだった。残念ながら見学は出来なかったが、アチェの政府要人は港へ招かれており、通訳もついていたので商談をすることはできたのだったが……

 藍人は昔から旅行が好きで、世界を見てみたいと思って商社に就職した経緯がある。せっかく未知の国へやって来たのだから観光したいなというのが彼の本音であったが、命あってのものだからと思いなおし、商談に挑むことにした。

 

 藍人が商談した限り、アチェ王国の要人は特にインフラの支援を求めていることが分かる。藍人は何か輸入できるものがないかアチェ王国の要人に質問したところ、タバコとゴムの栽培を行っているとのことだった。

 他にニッケルの鉱山があると藍人は同じ商社の人間から聞いていたが、開発はまだ手付かずになっているらしい。

 

 商談の後、藍人を停泊している日本艦隊まで案内してくれたのは、なんと海軍大佐だった。海軍大佐は非常に気さくな人で豪放な雰囲気を醸し出している四十代後半くらいの男だった。

 藍人は少し恐縮したものの、海軍大佐は構わず楽にして欲しいと彼に声をかけた。

 

「護衛ありがとうございます」


「いえいえ。藍人さんはロシア公国からウォッカを仕入れられたとか」


 海軍大佐は大酒飲みらしく、世界各地の酒に興味を持っているようだ。今回の護衛任務では彼の英語力が買われて、護衛メンバーに選ばれたそうだ。


「お酒と言えば、イタリアで飲んだ甘いリキュールには参りましたよ……」


 藍人はイタリア訪問の際に人気のリキュールと言われるアマレットを飲んだ時のことを思い出し、苦い顔になる……藍人の様子を見た海軍大佐は豪快に声をあげて笑い、藍人のイタリア話を喜んで聞いてくれた。


「藍人さんとは歳も近いですし、勤務外では大佐でなく啓蔵けいぞうとでも呼んでください」


「えええ!」


 海軍大佐の気さくさに藍人は戸惑うばかりであった。その晩、海軍大佐と藍人は一緒に地元の酒を飲んだのだが、甘味で藍人は苦い顔をしたという……

 

――磯銀新聞

 どうも! 日本、いや世界で一番軽いノリの磯銀新聞だぜ! 今回もエッセイストの叶健太郎が執筆するぜ! 寒い時はこたつにミカン。え? 毎年同じことを言ってるって? いやいくらなんでも毎年同じことを言ってたりしないさ。

 え? 言ってるって? もう歳だから引退しろ? いやいや。俺がやらねば誰がやるんだよ!

 

 オランダ領東インドが揺れている。オランダは叩いても叩いても各地で勃発する独立運動に手を焼いている。そんな中ついにアチェ王国が日英の後押しの元独立したわけだが、アチェ王国は過去のオランダとの激しい戦争の結果オランダへ主権委譲をしていなかった。

 そこに目をつけた日英がアチェ王国独立の正当性を主張し、独立となったわけだ。この動きにスマトラ島の独立運動が過熱し、スマトラ島南部地域がシアク王国として自治権を獲得する。自治確立後、シアク王国は国内の世論があり国名を南スマトラ共和国と変更してスルタンが退位した。

 これにはオランダの強い意向があったとの噂だ。スマトラ島の支配を諦めたオランダだったが、オランダの苦難は続く。ジャワ島やカリマンタン島(ボルネオ島)といったオランダ領東インドの中核を成す地域の鎮圧に力を入れていたオランダの隙をつくように、西ティモールが東ティモールを支配するポルトガル軍を引き入れた。

 

 オランダは西ティモールへ入ったポルトガルを非難し、両国の協議の結果、両ティモールの自治権を認めることで妥結した。しかしティモール島の軍事と外交権はポルトガルが握り、ティモールの投資と貿易はオランダとポルトガルに限ることが定められた。

 オランダはもういっそ植民地支配を諦めればいいのになあ。オランダの世論は相変わらず植民地支配を圧倒的に支持しているけどな。イギリスもフランスも自治権を認めているし、ポルトガルも今回のティモール騒動で自治権を認めた。残すはオランダだけなんだよな。

 

 続いて中華ソビエトの中国共産党と中華民国の民国党の争いに行ってみようか。アメリカとイギリスの陸軍と共に戦った民国党軍は中華ソビエト共和国の人民解放軍を華北内陸部に閉じこめたものの、華北の民衆の支持を得ることが出来ず支配を固めることができなかった。

 アメリカとイギリスもいつまでも占領政策を敷くことは現実的ではなく、中華ソビエト共和国と妥協の道を模索する。

 結果、中国大陸は新たな局面を迎えることになったんだ。まず民国党が支持を得た華南は中華民国として復帰した。華北は北京を中華ソビエト共和国へ明け渡し、上海地域は上海共和国として独立。結局、華北は中華ソビエト共和国が治めることになったんだよ。


 中華民国はイギリスへ見返りとして租借地だった香港を割譲し、イギリスは香港を十年後にイギリス連邦内の独立国として独立させる方針を発表した。上海共和国はアメリカが後ろ盾に立つことが取り決められる。


 こうして長く続いたモンゴルを含む中国大陸の争いは収束することになったんだぜ。今後はソ連の大幅な支援が無い限りこの地域が動くことはないだろうな。

 あ、もう一つ忘れていた。中華ソビエト共和国は「ソビエト」という呼称を嫌い、国名を中華人民共和国へ変更したんだ。まあ、ソ連との仲はすでに冷えてるからなあ。

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