第23話 1923年頃 過去

――過去 藍人

 藍人はようやく日本に帰還し、愛しの蜜柑と逢引を重ねる。蜜柑の父は未だドイツから戻ってきていないが、藍人の両親と蜜柑の母へは既に結婚の挨拶は済ませた。

 蜜柑の父とはあの時の船上で結婚の話は出ているから、いつ結納をするか彼らは話し合っていた。一つ言えることは、藍人の希望で結婚式には必ず蜜柑の父も出席して欲しいとだけ決まっていた。

 その旨は既に電報で蜜柑の父へ伝えており、彼から藍人宛に了承の旨が帰って来た。喜ぶ藍人であったが、結婚は来年へ持ち越しとなってしまう……

 蜜柑の父は一度外国へ行くとすぐには戻ってこれない仕事だから、仕方ないと言えば仕方ない。それに彼は藍人に自分抜きでも良いと言ってくれたのだが、藍人が受け入れなかったのもある。

 

 藍人が下宿する家は東京にあったが、彼がドイツへ旅立つ前に比べて下宿している住処の近辺も含め大きく風景が変わってきている。たった二年やそこらしか経っていないのに……特に古い木造家屋が密集しているエリアを対象にそこかしこと区画整理が入っている。

 狭い車道も区画整理の対象になっている。全て車が交差できる広さの道路にすることが政府の目標らしい。全く……どんだけ道路があると思っているんだ。藍人はあきれて何も言えなくなってしまった。

 そもそも、車が出来るより前に家があったわけで、各家庭が車を持つ時代でもあるまいし……とここまで考えて藍人はハッとする。

 

 そうか! 各家庭が車を持ってからじゃ遅いんだ。東京の人口は日ごとに増えているから、そのうち家を建てる土地がなくなってくるだろう。家が密集してしまうと、道路を作るにも難儀する。だから今のうちに道路整備を行ってるってことか。

 木造住宅の密集地帯もそうだ。ここを区画整理し、災害時にも車を通過できるようにしておくと被害を抑えることができるだろう。それに、延焼対策にもなる。「火事は江戸の華」という言葉があるけれど、誰だって自宅が燃えてしまうことは喜ばしくないだろうし。

 藍人の下宿先も整理対象となってしまい、彼は引っ越しを余儀なくされる。彼は元々結婚後、引っ越す予定だったが少し時期が早まってしまった。今から下宿先を探し、移り住んでもいいが翌年には結婚するのだから、家庭用の一戸建てに住もうと藍人はそう決定したのだった。


 そんなわけで住むところが暫く無くなってしまった藍人は、実家へと帰って来ていた。実家で藍人は久しぶりに父と縁側で新聞片手に政治談議を行っている。


「父さん。ワシントン会議は無事終わったようだね」

 

「そうだな。ソ連の脅威に対抗する日米ロ防共協定。あとは軍縮だったか」


「そうそう。防共協定はソ連の赤軍が攻めて来た時有効そうだよね」


「紛争が起こらないのが一番だけどなあ。協定が抑止力になってくれればいいな」


「うん。ドイツに行って、それは強く思ったよ。戦争はやらないに越したことないって」


「確かにそうだが、避けれない戦争もあるからな……世の中には」


「そうならないように政治に頑張ってもらいたいよ」


 藍人は父から受け取った本日の新聞を開く。新聞には世界で起こる紛争が毎日記載されていて、今日も例に漏れず紛争について書かれていた。全く……紛争が無くなる日は来ないのだろうか。

 藍人はため息をつき、再び新聞へと目をやる。今度はどうやらイタリアがギリシャの島へ攻め入ったらしい。イタリアではファシスト党が政権を取り、拡大政策を主張している。

 イタリアは民族主義を掲げ、イタリア人が多く住む地域を奪取すべく虎視眈々とオーストリア連邦やギリシャの島などを狙っている。

 また、ポーランドもイタリアと同じように拡大政策を志向している。彼らはかつて奪われたポーランド=リトアニア王国の領地を回収するとの触れ込みだった。ポーランド=リトアニア王国の最大領土を現出するとなると、東西プロイセンやオーストリア連合のガリツィア辺りと衝突することが予想される……

 こういった政策が他国との衝突を招いているのだが、今回攻められたギリシャもまたか古代から続くギリシャの領土なるものを定めて、トルコと戦争を起こし敗れた。

 どこかでこの連鎖が止まらなければ、いつか破たんすると思うのは何も俺だけじゃないだろう……藍人はそう思ったが、こう思いなおす。各国にはそれぞれ事情があるのだろう。譲れないモノというのが。と。


――サイレンが辺りに鳴り響く!


 驚いた藍人は立ち上がり、父の無事を確認するが、彼は落ちついたままあぐらをかいていた。


「と、父さん。何だよ。この音!」


「今日はサイレンの練習を行うって町内会から回覧が回って来ていたぞ。いざという時の為に使うんだとよ」


「これだけうるさかったら、どの家でも聞こえるね」


「政府もいろいろ考えるよな。不測の事態が起こればサイレンが鳴り響き、小学校の校庭に町民が避難する。避難ルートも確認済みだぞ」


「そうなんだ。訓練ってまだやるのかな?」


「ああ。あと一回はやるみたいだぞ。備えあれば憂いなしって言うが、正直面倒だなあ」


「まあ、そうなんだけど……悪い事じゃあないよね」


 藍人は未だ耳に残るサイレンの音に顔をしかめながら天を仰ぐ。空には幼き日に見たのと同じ星空が広がっていた……

 


――ワクテカ新聞

 日本、いや世界で一番軽いノリのワクテカ新聞だぜ! 今回も執筆は編集の叶健太郎。叶健太郎を宜しく。何? 選挙みたいだって? いやなあ。俺も暇じゃなくなったってわけなんだよ。

 ワクテカ記事以外にも仕事があってだな。手が回らないのなら、外すっていいやがるんだよ。あの編集長がさ。え? 編集長の事を悪く書いて平気なのかって? いや、そら平気じゃないけどさ。

 真実を伝えるのが新聞だろ? だから俺は書くんだ。編集長はカツラだってな。それは言ったらダメだろうって? 大丈夫だ。編集長がヅラなのは皆知っている。彼もネタにしているから平気だよ。

 

 大都市圏に住んでる人はご存知の通り、政府主導で大規模な区画整理が行われている。区画整理といっても、密集した木造家屋を移動したり、狭い道路を広くしたり……と地味な作業だ。膨大な箇所に及ぶだろうから、完了するのはいつになるのやら。

 もう一つ、大都市圏だけじゃなく地方でも実施されているのが避難訓練だ。ウウーーン! ウウーーン!って音。あれだよ。耳に着くよな。何処に居ても聞こえてきやがる……最初聞いた時はつい耳を塞いじまったけど今となっては慣れたよ。

 気にせず酒も飲める。え? そんなことじゃ、いざという時に逃げ遅れるって? 大丈夫だ。ちゃんと避難経路は頭に入っているさ。

 

 まあ、国内の話はこれくらいにして。次は日本とロシア公国のお話だ。日本とロシア公国はこのたび、相互軍事同盟を締結した。その名の通り、日本かロシア公国が敵国に攻められた場合、同盟国に参戦義務が発生する。といっても、ソ連以外ないんだけどな……攻めて来るのは。

 同盟に基づき、日本はロシア公国内に軍を駐留させる。合同軍事訓練も行い、ソ連に備えるというわけだ。

 日本は陸軍に余り力を入れていないが、ここでの主力は陸軍。バイカル湖の防衛ラインには要塞を建築する予定になっている。要塞建築については、日米がロシアに協力する形で実施される。

 ソ連は順調に旧ロシア帝国で支配下に置いていた地域を吸収していっているから、いずれロシア公国にも手を伸ばすだろうと専門家は分析しているが、日米ロの防衛ラインはちょっとやそっとでは崩れないと思うぞ!

 気になるのはロシア公国より中華民国内で立ち上がった中国共産党の勢力だと俺は思う。彼らはソ連・モンゴルと協力し中華民国を内部から食いつぶすんじゃないかと俺は懸念している。

 ソ連の息がかかった危険分子を中華民国政府もアメリカも放っておかないとは思うんだが、いろんな地域で発生している共産主義運動が一筋縄ではいかないことを、俺達は学んでいるからなあ……大事にならなければいいんだが。

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