第6話 雨のち

「ほら、やっぱりただの思いこみなのよ」

 私は髪をバスタオルでふきながら、スマホで功に連絡をし、事のしだいを語った。季節柄、折りたたみ式の傘を携帯していたけれど、地元の駅に着いたときから雨足ははげしくなって家に着くまでにかなり濡れてしまった。

「雛子ちゃんて、きっと想像力ゆたかなタイプなのよ」

 話しを続けながらも、私はマックを出たとき雛子ちゃんから聞いた、彼女のお父さんが失業中だという話はひとことも功には言わないように気をつけた。

(今の学校はお金がかかるから、もしこのままお父さんの次の仕事が決まらなかったら、辞めようかと思ってるんです。お義母さんは、自分が何とかするからって言ってくれるんですけれど……) 

 私は思いもよらないことを言われて、どう言っていいのかわからなくて、馬鹿みたいに、ああ、そう、とかなんとかつぶやいていた。きっと冷たい人だと雛子ちゃんに思われているだろうなぁ……。

 気まずい記憶はふりはらって、会話をつづける。

「それで弔問客の誰かがぼんやりと見えて、ほら、薄暗かったからさ、それを幽霊だと思いこんじゃったのよ、きっと」

『じゃ、俺が見たと思っていたのも、空想か、思いこみの産物か?』

「多分。子どもにはよくあることよ」

『何言ってんだよ、自分も子どものくせに』

 功の笑い声がひびく。それからゴソゴソと何か動いている音が。

「功、何やってるの?」

『ああ、あのな、今から俺ん家来ないか? 今な、両親そろって出かけていて、夜まで帰って来ないんだ』

 え……! 私は一瞬、耳を疑った。

 しばし沈黙。

『おーい、聞いているかぁ? 今日は祖父ちゃんが元気そうでさ、話聞けそうなんだ。だから、おまえも来いよ』

 功のお祖父ちゃん? 

 思いもよらない人のことを出されて、私はまたびっくりした。 

 勿論、功のお祖父ちゃんのことは子どものころから知っている。もっと小さいときはよく、ちなちゃん、ちなちゃんて可愛がってもらったけれど、ここしばらくはずっと顔見ていない。具合が良くないらしくて、ずっと家にこもっているとも聞いていた。。

 お母さんは「もしかしたら仙造せんぞうさんの方がうちのお祖父ちゃんより早く逝くんじゃないかしら」って心配していたぐらいだ。

『正直な、うちの祖父ちゃんもあんまり長くないみたいでさぁ、今のうちに会って話相手になってやってくれないか?』

 功の声は心配をふくんでか、真剣そうにひびく。でも、私が功のお祖父ちゃんと会って、何話せばいいんだろう? 自分のお祖父ちゃんとだって、長いことほとんど会話もしてなかったのに。

『ただ、俺といっしょに祖父ちゃんの話を聞いてくれればいいんだ。けっこう面白いぜ、年寄りの昔話って。俺たちの思いもよらないことを知ってるんだから。それに、今日は本当に元気で、機嫌も良さそうでさぁ。な、今から来いよ』

「うん。じゃ、行くわ」

 私はスマホ片手にうなずいていた。


「コーヒーがいいか? 紅茶がいいか? それとも日本茶?」

「コーヒーでお願いします」

 私は笑いながらかしこまって、キッチンのテーブルに腰かけて頭をさげた。

 うちほどではないけれど、功の家もそこそこ広い座敷が二間つづいていて、そこは功のお祖父ちゃんである仙造さんお気に入りの場所らしい。

「祖父ちゃんも、あれでけっこうコーヒー好きなんだぜ」

 そう言いながら功はキッチンの棚からチョコレート菓子の箱をとる。コーヒーメーカーから美味しそうなコーヒーの香がたちのぼる。

 私はなんだか胸がドキドキしてきた。一応、お母さんには数学の問題でどうしても解らないところがあるから功に教えてもらうと言い訳しておいた。

 お母さんはちょっと眉を寄せたけれど、久しぶりに仙造おじいちゃんにも挨拶しておきたいから、と言うと、すぐ眉を元にもどして、「仙造さんによろしくね」と一言そえて送り出してくれた。

 高校生にもなると、隣家の幼馴染みをたずねるにもいろいろ言わなきゃいけない状況が、ちょっとまどろっこしくて、照れくさい。

「よし、できたぞ。行くぞ」

 トレイに三人分のコーヒーカップと、チョコレート菓子を乗せて、功は先に立って座敷へ向かう。私はちょこちょこと後につづいた。

 廊下を歩いてすぐのところにある座敷の襖を開けると、かすかにだけどお年寄り独特の匂いがして、なんだかちょっと切ない。

 それは、以前はうちのお祖父ちゃんからも感じた匂いだ。

 ああ……当たり前だけれど、人間って生きていたら齢をとって、いつか死んでしまうんだ。仙造おじいちゃんも、もうすぐうちのお祖父ちゃんみたいに死んでしまうんだ。そう思うと、怖い気さえしてくる。

「祖父ちゃん、千夏が来てくれたぜ」

「こ、こんにちは。お久しぶりです」

 縁側ちかくの座敷にある長椅子でくつろいでいた仙造おじいちゃんは、縁無し眼鏡の奥のかわいた目を私に向けた。

 髪はすっかり白くなったけれど、よく見ると、やっぱり功に似ていて、若いときはなかなかハンサムだったんだろうなって思える。白いワイシャツにグレーのズボンと、今日は少し肌寒いせいか紺のカーディガンをはおっている装いは、この年代の人にしてはけっこうダンディだ。

「なんか、仙造おじいちゃんてば、幾つになっても若いですね」

 私は少し白々しいと自分でも思いながら、そんなことを言って、功とならんで仙造おじいちゃんの前に正座して、お母さんからよく言われたように両手をスカートの膝上に行儀よくおいた。正座の苦手な功はジーンズの脚をあぐらの形にくむ。

「千夏ちゃんかい? 久しぶりだね。友蔵さんのお葬式には行けなくて申し訳ないね」

 眼鏡の奥の目は優しそうに光る。言葉もしっかりしていて、ちっとも功が言うように惚けているようには見えない。

「なぁ、祖父ちゃん。今日は俺たちで亡くなった菅野先生のお弔いをしないか? できたら菅野先生のこと、話してくれないかな?」

「友蔵さんのことかい? そうだねぁ」

 考えこむように長椅子のうえで足を組む様子は、とてもさまになっていて、古い洋画に出てくる老紳士みたい。私は感心してしまった。

「なんか、仙造おじいちゃんて、かっこいいですね」

「ありがとうよ。でも、友蔵さんはもっとかっこ良かったよ。私は子どもの頃はそりゃ、友蔵さんに憧れていてねぇ、大きくなったら私も友蔵さんのようになりたいと思ったもんだよ」

「菅野先生、っていうか、その友蔵さんは、若いときはどんなふうだったのさ?」

 功の問いに、仙造お祖父ちゃんは懐かしむように目をほそめた。

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