第5話 雛子

 迷ったものの、理子の言うことも、もっともなので、私は学校の校門を出てすぐ、貞子叔母さんに電話することにした。

 赤煉瓦づくりの洋風の校門のちかくには、紫陽花がいくつも毬のような花を咲かせている。こちらはピンク色だ。

 紫陽花って、たしかその場所の土の質によって色が決まるんだったけ? 土にふくまれる成分が変わってくると、紫陽花の色も変わるんだって功が教えてくれたことがあった。それをネタにしたミステリーやホラーっぽい小説もあるらしい。

(紫陽花の花って土が酸性なら青っぽくなり、アルカリ性なら赤っぽくなるんだとさ。人間の死体って酸性が強いらしくて、死体を埋めたためにもとは赤色だった紫陽花が青くなり、殺人が発覚したっていう話があるんだ。なんか、死体を養分にして、花の色を変え、殺人を告発する花なんて、面白いだろう?)

 ちっとも面白くない。紫陽花のきれいなイメージ台無しじゃん。私はそう言って功をにらんだ。紫陽花の懐かしい思い出をこわしてほしくない。

 私はそんなことを思いながらも、校門の脇で鞄からスマホを取り出した。

 雛子ちゃんとは、携帯やスマホの番号やアドレスを知っているほどのつきあいはない。

 一昨日にでも聞いておけば良かったけれど、それどころじゃなかったし……、それに、やっぱり心のどこかで雛子ちゃんのこと避けていたのかも。私は少し緊張しながら、貞子叔母さんの家の電話へ連絡を入れてみた。

 叔母さんは運送会社で事務のパートをしているって言っていてから、この時間ならまだ家に帰ってないはず。雛子ちゃんが出てくれるといいんだけれど。

「はい、尾瀬おぜです」

 電話に出たのは、雛子ちゃんでなくて、太い男の人の声だった。叔母さんの再婚相手、つまり雛子ちゃんのお父さんだとすぐ気づいたけれど、その人が平日のこの時間にいるとは思わなくて、私は少しあせってしまう。

「す、すいません。菅野ですが、雛子ちゃん、いえ、雛子さんはいらっしゃいますか?」

「あ? ああ、はい、少々お待ちを」

 おーい、雛子、という声がして、少ししてから雛子ちゃんの声が聞こえてきた。

「はい。雛子です」

「あの、こんにちは。千夏です。えーと、あの、お通夜の日は、来てくれてありがとう」

「あ? 千夏ちゃん。いえ、こちらこそ」

「あのときは、なんのおかまいも出来なくて」

「いえ、そんな」

 私たちは十六歳の少女が交わすとは思えないような、ぎこちない会話をつづけた。なんだか、非常に気まずい。

「あのね、雛子ちゃん? 今日あいている? 時間があったら会ってくれないかな? 今からお邪魔してもいい?」

 一度だけお母さんといっしょに訪れた叔母さん家は、家までの間にある駅から歩いて十五分ほどだ。学校帰りに寄り道してもそれほど苦じゃない。

 雛子ちゃんは黙ってしまった。

「あの、ダメかなぁ?」

 私はなるべく優しい声を出してみた。

「用件は、何ですか?」

「……実を言うと、ほら、雛子ちゃんが言っていた、あの話……。くわしく聞きたいんだけれど」

「あの話って?」

 雛子ちゃんの声がすこし高くなった。

「ほら、あの、雛子ちゃんが視たって言っていたもの」

「あ、ああ……」

 雛子ちゃんの声が気がぬけたように柔らぐ。

「ごめんなさい。あのときは、ついうっかりして言ってしまって。私、気をつけているつもりなんだけれど、つい」

 雛子ちゃんは電話の向こうでひどくあわてているようだ。つい、私もあわててしまった。

「い、いいのよ。視えちゃったものは仕方ないから。でも、私ずっと気になって。その事について詳しく聞きたいの」

「うーん……」

「ね、おねがい」

 私は悩む雛子ちゃんを説きふせ、どうにかして雛子ちゃんの家から近い駅前のマックで会う約束をした。


 目的の場所には私の方がほんの少しだけ先に着いた。お店の窓ガラスの向こうから私を見つけた雛子ちゃんは、ぺこりとお辞儀をする。同い歳なのに妙に礼儀正しくて、私はちょっとしんどい。

 それでもジーンズに青いTシャツ姿の今の雛子ちゃんは、一昨日の制服姿にくらべたらそれなりにラフな感じだ。もっとお洒落に気をつかったら、この子はもっと可愛くなるだろうになぁ、と私は残念さと、ちょっとの安心を感じてしまった。

「呼び出してゴメンね」

「いえ、お待たせしてすいません」

 私たちはコーラとポテトを注文して、奥まった席に座った。

「ねぇ、そんなに丁寧な言葉使わないでよ」

「す、すいません」

 とまた雛子ちゃんは礼儀正しく言う。

「一昨日はもう少し普通に喋っていたじゃない?」 

「あ、あれは功先輩が一緒だったから」

 何、それ? どういう意味だ? 私は一瞬かなりムッとしてしまった。

「あのぉ……聞いてもいいですか?」

 私はうん、とうなずいた。

「千夏ちゃんは、あっ、千夏ちゃんでよかったですか?」

「いいよ。もっと普通にしゃべってよ」

 私はイライラしてくるのをおさえた。

「千夏ちゃんは、功先輩のことが好きなんですか?」

 ……まさかこんなにストレートにいきなり訊かれるとは思わなくて、私は思いっきり退いてしまった。

 雛子ちゃんてけっこう過激なんだ。大人しいタイプの人ほど、いざっていうときに思い切ったことするものだ。

「えー、いや、あの、好きっていうか、その、子どものときからずっと一緒だったから。まあ、好きっていうのかな」

 私はしどろもどろになってしまった。今日はこの話をするつもりじゃなかったんだけど。

「そうですか。やっぱり」

 ふーっ、と雛子ちゃんはため息をつく。

 なんか、悪いことした気分。なんで私が罪悪感を抱かされないといけないのか、後になって考えたら不思議なんだけれど、このとき私はつまんないことを言ってしまった。

「その、ごめん、雛子ちゃん」

 雛子ちゃんは椅子から飛び上がるようにびっくりした。そして、意外そうに目を丸め、それから白い肌を赤く染めた。悔しいけれど、そういう初々しい仕草や表情、少女漫画のヒロインみたいにさまになっていて可愛い。

「あ、あの、違うんです! そういうんじゃないんです、私たちは!」

「しーっ! 声大きいよ、雛子ちゃん」

 私まで赤くなりながら、人目を避けるように背を低くした。

「すいません」

 雛子ちゃんは、ますます赤くなって亀のように首をすくめてから、ぼそぼそと言葉をつないだ。

「あのぉ……、これだけは説明しておきたいんですけれど、私と功先輩のあいだには何もありません」

 当たり前でしょ、と言ってやりたかったけれど、安心したのも事実だ。

「私、功先輩にはお世話になって、感謝しているんです」

 そこで雛子ちゃんはちょっと言葉を詰まらせた。

「私、入学してすぐの頃、同級生の男子にイジメられたんです」

「え? 嘘」

「私、暗いし、身体も弱くて、春に風邪ひいて、咳が止まらなくなって、うるさいって嫌われて」

「何、それ? そんなんで人を嫌ったりイジメたりするの? 最低だね、そいつ」

 私は本当に腹が立った。

「咳する度に怒鳴られたり、先生の見てないところで突き飛ばされたり、廊下歩いてたら、持ってた本とりあげられて、返してくれなくて困ってて」

 おどろいた。明応みたいな名門進学校でも、そんな幼稚で馬鹿なことする子がいたんだ。

「そしたら、偶然そこに通りかかった功先輩が本を取り返してくれて……その子にけっこうきびしく注意してくれたんです」

「へえ」

 功ってば、正義の味方じゃん。ちょっとかっこいい。 

「かっこ良かったです。そいつに足蹴りくらわせて、今度やったら殺す、って注意してくれたんです」

 それは……、ちょっと、行き過ぎかも。

 でも、功は幼稚園のころから近所のお寺で少林寺拳法習っていて、中学時代も部活のあいまに時々はかよっていたし、高校に入って文化部にくらがえしてからも週一回はそこのお寺に通っているから、実はけっこう強いのだ。

「だから、とても感謝してるんです。会にも誘ってくれて」

「え? 会って?」

「『映画同好会』です。先月から私も入って。友達もできて楽しいです。私、功先輩のおかげですごく幸せなんです。感謝してます」

 ふうーん……私はつい、つまらなそうな顔を向けていた。雛子ちゃんも「映画同好会」に入ってるなんて、功からは聞いてないぞ。

 私はちょっと焦れてきて、コーヒーを一口飲むと、本題に話を向けた。

「で、あのね、雛子ちゃん。私、今日は訊きたいことがあって」

「ああ、そうだ。私の霊感の話ですよね」

 雛子ちゃんも少し首をすくめるようにして、いっそう声をひそめた。

「うん、そう。ね、雛子ちゃん、あなた本当に幽霊見えるの? 冗談とかじゃなくて?」

 別にいばるつもりはないんだけれど、私はまるで年上のような口の聞き方をしてしまっていた。

 はい……、というふうに雛子ちゃんは素直にうなずく。

「子どもの頃からなんです。例えば公園を歩いていると、そこにおばあさんがぼんやり立っているの気になってじーっと見ていたら、ママが、あ、前のママのことですが」

「うん」

「雛ちゃん、そんなところで何ぼんやり見てるの、誰もいないでしょう? って心配そうに訊いてきて。五つぐらいの頃だったと思うんですけれど、そのとき子どもながら自覚したんです。他の人には見えないものが、私には見えるんだって。でも、これはあんまりいい事じゃないみたいだから、黙っておこうって決心しました」

 うーん、本当なんだろうか? 子ども特有の想像力で、そう思い込んでいるだけ、ということは? 私は半信半疑だ。

「それじゃ、そのこと、雛子ちゃんのお父さんや、貞子叔母さんも知らないの?」

「知りません。知っているのは功先輩だけです。あと、千夏さん」

 そんな付け足すように言わなくても。

「あの日は、功先輩の足元でうずくまっていたセピアを見て、つい気になって言ってしまったんです」

「……でも、なんで雛子ちゃん、セピアって名前知っているの? 犬が自分で名前を告げたわけ?」

 私はつい疑いぶかい目つきになって、きつい口調で訊ねてしまった。

「聞こえるんです」

 雛子ちゃんは真面目そうな目で私を見る。

「霊感がある人って……といっても、私は他の人はどうなのか知らないんですけれど、見えたり、聞こえたり、感じたり人それぞれじゃないかと思うんです。私の場合は、視えるときも多いですけれど、たまに聞こえてくるときもあるんです。最初は、功先輩の足元に、なんだかもやもやした茶色い塊みたいなものがあって、それがだんだん子犬の形になってきたんです。そしたら次に、功先輩の声だと思うんですけれど、セピアって呼ぶのが聞こえて。ああ、この犬はセピアっていう名前なんだなって直感して」

 本当なんだろうか? 

「一番多いのは、やっぱり感じるっていうか、あ、ここに何かいるんだなって思うときがあるんですけれど、これはそれほど霊感の強い人でなくても経験していると思うんです。そんな事ないですか? 部屋にいるのは自分一人なのに、ふっと背後を何かが通り過ぎたような、そこに誰かがいるような経験て」

「私は無いわね」

 人の話とかではよく聞くけれど、私は一度もない。

 私って鈍感なんだろうか。功や雛子ちゃんが視えたり察したりできることが、私にはまったく出来ないなんて、なんだか悔しくて、私はあえて明るい声を出してみた。

「へー。なんか、すごいねぇ。雛子ちゃんて、そんなすごい能力があったんだ」

 言ってすぐ、自分でもちょっと嫌味な言い方だなと恥ずかしくなったけれど、口は止まらなかった。

「じゃ、一昨日、うちにいたときは、何が視えたのかな? 何か聞こえたの?」

 そうだ。これが一番訊きたいことだ。

「うちには、やっぱり幽霊がいるわけ?」

「はい」

 ぱたぱたと、窓ガラスにまた降りだした小雨がぶつかってくる音が響いた。

 雛子ちゃんにあっさりうなずかれ、私は肌寒くなる。

「ど、どんな幽霊なの?」

「男の子の幽霊です。私たちと同じ年頃の」

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