第4話 幽霊
最初に見たのは、たしか菅野先生に二人して怒られたとき。
おまえ、覚えているか、俺が習字の稽古のとき、ふざけておまえにからんで、おまえが怒って墨をぶっかけようとしたろう? で、二人そろって怒られて、しばらく縁側の廊下で正座しているように言われたけれど、俺は、近所のコンビニへ行ってさ。そう、ガム買って帰ってきたんだ。
二人で食ったろう、あのガム?
そう、そう、苺の味のやつ。
ちょうど今頃の季節、あの紫陽花の花のそばでさぁ。おまえが六歳ぐらいで俺が八歳だったかな?
で……、まぁ、そんときの現場を、運悪く菅野の祖父ちゃんに見つけられて、また、すっげえ、怒られてさぁ。あれからしばらく俺、出入り禁止くらったんだよな。
けど、そんときだったんだ。ちょうど、障子をあけて菅野先生が出てきたとき、俺、先生の近くに、変なもん見たんだ。
怒るなよ、あのな、先生の隣に、女の人がいたんだ。
正確に言うと、隣っていうより、肩の向こうかな? 先生にとったら右肩あたりに、女の人がぼーっと立っていたんだ。
でも、思い出すと変なんだんだよな。菅野先生って、あの年齢の人にしたらけっこうでかかったじゃん?
それが、遠目に見てもか細くて、いかにも小柄そうな女の人が、その先生の向こういて、ちゃんと顔も見えたんだぜ。
のんきな話だけれど、そのときはまったく気づかなくて、かなり後になってから、ああ、そうか、あれは幽霊だったんだ。俺は幽霊を見たんだ、って気づいたんだ。
どんな顔かって?
けっこう綺麗だったぞ。
正直、細かいことは判んねぇけれど、でも、そういうのはなんとなく感じるもんなんだ。髪はおかっぱっていうのか、ボブカットにしていてさ、唇はけっこう赤くて、着ているものは赤かピンクか、けっこう派手な着物か浴衣みたいだったな。
でも、見たのはそのとき一回きりでさ、あれからしばらくは出入り禁止だったから、おまえん家に行けなかったしな。ずっと後になって、またこの家に出入りするようになっても、二度と見ることはなかったし。
だから、今日、雛子がああいうこと言ったとき、ああ、やっぱりな、って思ったんだ。
やっぱり、この家には何かがいたんだな、って。
「マジ? 千夏ん家って、幽霊出るの?」
「んなわけないでしょ!」
二日後、お祖父ちゃんのお葬式も終わって、登校した私は、昼休み、さっそく親友の理子にその一件をつたえた。
教室には私たちみたいにお弁当を食べている生徒が残っているので、なるべく低い声で。
「堂上先輩て、霊感あったんだ」
ツナサンドを一口食べてから、理子が感心したように言った。
中学時代、功がテニス部だったとき、理子は同じテニス部で、かなり功に夢中になってしまい、私は随分やきもきさせられたけれど、幸か不幸か三年生になって功が受験のためテニス部を引退してしまうと、嘘みたいに理子の熱はひいた。理子は多分テニスをやっている功が好きだったのだろう。
そして明応入学後、運動部はしんどいと言って、どういうわけか「映画同好会」という、ただ図書室に集まって映画のDVDを見るだけのハンパな文化部に功が入ってしまった今では、噂にも彼の名を出さなくなった。
テニスを止めてしまったことはちょっと残念だけれど、あまり女の子が騒がなくなって私はかえってホッとしている。
いいんだ。「映画同行会」だろうが「盆栽愛好会」だろうが、地味でハンパな同好会でのんびり遊んでいる功でも、私はいいんだ。
「ただの目の錯覚だと思うんだけれど」
あの家に住んでいる私が、その幽霊というのか、幻なんて見たことないんだし。
「ねえ、それで、もう一人の、その心霊体験をした子、雛子ちゃんだったけ? その子はなんて言ってるの? やっぱり女の子の幽霊を見たって?」
「そっちは……わかんない。それから話してないから」
「その雛子ちゃんて、堂上先輩とおなじ明応なんでしょう?」
私は噛んでいた玉子焼きの味をいつも以上にしょっぱく感じた。
「いいの? それ、大丈夫なの?」
「な、何がよ」
わかっているくせに、というふうに理子が弓型の眉をつりあげる。
「その子、もしかしたら堂上先輩の気をひきたくて、自分は霊感があるようなふりしているんじゃない?」
私は、うーん、と唸っていた。
セピアの一件はあえて理子には言わなかった。功が飼い犬をしのんで泣いたなんてことは、いくら親友でも他の子には言ってはいけないだろう。
「その子、可愛いの?」
「うん。可愛いよ。理子ぐらい」
複雑だけれど、雛子ちゃんは色白で鼻筋がすらっとしていて、なかなか可愛いのだ。ちょっと元気が無くて、いつも暗そうな顔しているのが玉に瑕だけれど。
「私と同じくらい可愛いなんて。それじゃ、ヤバイじゃない!」
「何言ってんのよ。すぐ調子に乗るんだから」
私は苦笑した。でも、事実理子もけっこう可愛いのだ。部のきまりで髪は耳の上まで出すぐらいのショートにさせられているのがちょっと残念だけれど。中学時代はセミロングで、それはとても理子に似合っていたのに。
「きびしいよね、テニス部って」
剣道部とか柔道部ならともかく、今時、髪を短く切るように強要されるなんて。
「仕方ないわよ。今年からそう決まったんだから。去年、うちの高校、地区予選で最下位だったんだって」
それで今年はなんとかしようと、コーチの命令で、気合を入れるために、テニス部員は全員髪を切ることに決まったのだそうだ。それが嫌さで辞めた上級生や、入部を断念した一年生もいるらしい。
気合を入れるために髪を切るっていうのは、どうかと思うんだけれど……。でも、理子は今年はかならず上位まで行くのだと、確かにはりきっている。
こういうとき、夢中になれるものがあるっていいな、と少し理子がうらやましい。ちなみに私は茶道部で、月曜と金曜の放課後、正座をするのを我慢する以外は、茶菓子を味わって優雅にティータイムを楽しんでいる。それも、出たり出なかったりという、いたってのんきな活動だ。
「ねぇ、ねぇ、その雛子ちゃんて子に話つけておいたら?」
私はご飯を喉につまらせそうになった。
「え! ダメよ! そんな、乱暴な」
「何言ってんのよ!」
押し殺した声で理子が笑いながら怒る。
「話をつけるっていうのは、そっちのことじゃなくて、幽霊の件にかんして詳しく聞っくってことよ」
ああ、そうか。
……でも、そっちのことって、何? いや、今さら敢えて言わなくてもわかっているけれどさ。
「雛子ちゃんが見た幽霊の様子とかきちんと聞いてみたら? それで堂上先輩が見た幽霊と同じようなら……」
そこで理子は考えこむように眉をひそめる。
「やっぱり千夏の家には出るのかもねぇ」
うう……。もし、そうなら、どうしょう? なんか怖い。それを言うと、
「このままほっとく?」
私は首を横にふった。それもダメ。気になって仕方ない。
「でしょ? だったら、思い切って訊いてみなさいよ」
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