第3話 通夜
「あれ、雛子、おまえも来たのか?」
ひいお祖父ちゃんの好みでつくられた純和風の庭には、
「ここ、入っていいですか?」
「あ、どうぞ」
敷石のうえを歩いて雛子ちゃんが近づいてくると、
「この度は、ご愁傷様でした」
そう言うと、雛子ちゃんは礼儀正しく頭をさげた。私もあわてて縁側から立ちあがって頭をさげる。こういう場合、なんて返せばいいんだったけ? とりあえず私はお礼だけ口にした。
「わざわざ来てくれてありがとう」
「お葬式の前にお訪ねしたらお邪魔かなと思ったんですけど、お
黒髪をきれいに首あたりで切りそろえて、しとやかそうにそんなことを言う雛子ちゃんは、いかにも良いところのお嬢様みたいだ。といっても、雛子ちゃんのお父さん、つまり貞子叔母さんの今の旦那さんはごく普通のサラリーマンだそうで、雛子ちゃんもごく普通の家の子みたいだけれど。
「雛子ちゃんて、礼儀正しいね」
「おまえと全然ちがうよなぁ。おまえの方がよっぽどお嬢様なのに」
縁側に座ったままの功が、笑いながら私を見上げる。まぁ、一応私は社長令嬢ということになるんだけれどね。
「……千夏ちゃんのお家って、本当に大きいのね。びっくりしちゃった」
雛子ちゃんが感心したように庭木を眺める。
「たいしたことないわよ。大きいだけがとりえの、たんなるボロ家だもん」
事実、何度か改築はしたけれど、やっぱり古い。でも、それがいいと何かの雑誌で「古いお屋敷探訪」とかいう企画で、とりあげられたこともある。お母さんは雑誌を読んで、ちょっと自慢気だった。
「でも、すごいじゃない。私、庭に石燈篭があるお家なんてはじめて見た」
そう言って雛子ちゃんは玉砂利をしきつめた庭にたつ石燈篭を眺めた。
灯り――電球だけどね――のついた石燈篭は、ぼんやりと幻想的な光を放ち、それをまたぼんやりと見つめる雛子ちゃんは、ちょっときれいに思えて私はまたちょっとあせる。うーん……。
「このお家って……なんか、すごいね」
呆然と、ほとんど放心したように雛子ちゃんがつぶやく。……少し様子が変だ。
「うん。まぁ、古いからね」
「古いお家って、やっぱりいろいろあるね」
妙な言い方に、私は目をまるくした。
雛子ちゃんの目線は、今度は玄関前にならぶ喪服の人達に向けられている。そろそろ来はじめたお通夜のお客さんたちだ。いけない、私は中に入っていないと。
「おい、雛子、大丈夫か?」
雛子ちゃんの様子が気になったのか、功が心配そうに声をかけた。呼び捨てにしなくてもいいじゃない。かといって〝ちゃん〟づけで呼んだりしたら、もっと嫌だけど。
「千夏、そこにいるの? そろそろ座敷に戻っときなさいよ」
座敷からお母さんの呼ぶ声がして、私はあわてて返事をした。
「今行く」
心残りだけれど、行かなきゃ。
「じゃ、私行ってるから」
「うん。うちの両親も来るだろうから、後でな。雛子、おまえも行くだろう? いっしょに行こう」
私は内心やきもきしながらも雛子ちゃんにも声をかけた。
「雛子ちゃんも叔母さんといっしょに後でまた来るでしょう?」
「……千夏ちゃん、ここのお家……」
雛子ちゃんは相変わらずぼんやりとした目で、あらぬ方を見ている。なんか、この子、少しおかしくない?
「え? なに?」
私はちょっとイライラして、きつい調子で言っていたかもしれない。
「この家には、向こうの人たちがいるわ」
一瞬、私も功も沈黙してしまった。
けれど、さらに私の心をゆさぶったのは、このあとの功の一言だ。
「雛子、おまえ、また見たのか?」
「ねぇ、あれって、どういうこと?」
大座敷の壁の時計の針は夜九時半をさしている。
お通夜もほぼ終わって、残っているのはお葬式会社の人と親族と、ごくごく身近な会社関係の人たちばかりだ。座敷一面にちらばる座布団をかきわけて、私は功のそばに座った。功のご両親は先に帰ったし、ありがたいことに雛子ちゃんも叔母さんと帰ってくれた。
私はお通夜のあいだじゅう、気になって気になって仕方なかったことを功に訊ねた。
「どういうことよ、あれって?」
――この家には、向こうの人たちがいる。
あの意味深な言葉を思いだすと、首の後ろがちくちくする。
「まさか、雛子ちゃんて幽霊とかが見えるわけ?」
そうなのだろうか? 雛子ちゃんは俗に言う〝視える人〟なのだろうか? 漫画とかに出てくる霊感少女みたいに。
しかも、あのとき功は「また見たのか?」と言っていた。それって、つまり功は、雛子ちゃんが視える人だってことを知っていたってわけ?
「しーっ! 声がでかいって。……あのなぁ、ここだけの話だぜ」
「うん」
「実を言うと、雛子はそうなんだ」
「そう、って?」
「だから、視えるんだよ」
功の口調は真剣そのもので、冗談を言っているようには思えない。
「えー、それって何よ? じゃ、うちには幽霊がいるってこと? やめてよねぇ」
ショックだ。
そりゃ、古くて大きな家だけど、まさか自分の住んでいる家が幽霊屋敷だなんて言われたら、ちょっと、いや、かなり不愉快だぞ。
いや、それよりも気になるのは、なんで功が雛子ちゃんにそういう霊感があるってこと知ってるわけ? 二人は深いつきあいなわけ?
「なんで、あんたそんなこと知ってんの?」
功は眉をしかめて、憮然とした顔になった。
「……笑わねぇか?」
「うん。なに?」
「俺な、図書室の片隅で泣いてたことがあったんだよ」
「え? ……なんで」
まさか、誰かにいじめられたとか?
「セピア、覚えているだろう? うちの犬」
ああ、セピアね。今年の三月に死んじゃった功の飼い犬。可愛いチワワ犬。淡い栗色の毛なんでセピア色にちなんでセピアって名前にしたっていう犬。私はどっちかっていうと猫が好きなんで、正直あんまり興味がなかったけど。
「あいつが死んじまってさ、悲しくて、俺、図書室で、ついあいつのこと思い出して涙ぐんでいたんだ。ちょうどセピアが死んで今日は四十九日だなぁ、なんて思うとたまらなくなってさぁ。おい、笑うなよ!」
「ごめん」
悪いと思いつつ、身長一七五センチもある功が肩を落として図書室でセピアのこと想って泣いている姿を想像すると、ついにやけてしまう。
しかも、伸ばした髪をちょっと染めて、休日のときはピアスなんかしてるこいつがよ、飼い犬が死んで四十九日たったとか数えていたなんて。でも、ちょっと可愛いかも。
「そしたらさぁ、いつからいたのか、あいつがいてさ、俺のことじっと見ていたんだ」
勿論、雛子ちゃんのことだ。
「今年の新入生のなかに、おまえの叔母さんの再婚相手の子がいるってことは知ってたけどさ、近くで見たのはそのときが始めてでな」
私は黙って次の言葉を待った。
「俺のこと、あのぱっちりした目でじーっと見て、それからいきなり言ったんだ」
「泣かないでください、先輩。セピアが先輩のこと心配で天国に行けないでいます、って」
私は思いっきり変な顔をしていたかもしれない。はぁ? なに、それ?
「びっくりして、で、聞いてみたら、雛子って、子どものころから視える
普段は視えても視えないふりしているんだけれど、そのときは功のそばにいるセピアが気になって声をかけたのだという。
お互い、この事は誰にも言わないと約束したそうだ。
「でも、話聞いているとな、視えるっていうのはかなり大変らしくて、あいつ、それが原因でよく身体もこわすそうなんだ。よくわかんねぇけれど、多分、悪い影響みたいなもんを受けるんだろうな」
そういえば、叔母さんが、雛子は身体が弱くて困る、なんて言っていたのを聞いたことがあった。でも……、本当? 本当に視えているんだろうか?
「そう思いこんでいるだけなんじゃない? 別に嘘ついているわけじゃなくて、想像力が強くて、そんなふうに感じたり、考えこんじゃっているだけかも」
うん、というふうに功はうなずいた。
「俺も一瞬そう思ったけれど、だけどな、セピアの名前を知っていたのが不思議じゃないか?」
それは、そうだけど……。
すぐに私はあることに思いいたった。
「叔母さんとうちのお母さんは時々電話でお喋りしたりすることもあるんだから、なんかの話で、功がセピアって名前の犬飼っていることや、そのセピアが死んじゃったことを話していたかも。それをまた雛子ちゃんが聞いて、記憶のどこかに残っていたのかも」
「そういうこともあり得るかもな。まぁ、こういう事は、どうしても信じないっていう奴はいるしさ。おまえって現実的な人間だしな」
なんだか功は、夢中になって見ていた手品の種をばらしてしまう無粋な観客を恨みがましげに見る子どものような顔をした。
私って、嫌なこと言ってる? 私はイラついた。
「私が現実的なんじゃなくて、功がちょっと非現実に走ってない? あんた将来、霊感商法とかにひっかかるかもしれないわよ」
「でも……、雛子は嘘なんかついてないぞ」
みょうに確信的な言い方をされて、私は胸にわいてくる動揺を必死におさえた。
「なにも雛子ちゃんが嘘ついているわけじゃなくて、そう思いこんでいるんじゃないかって言っているの。思いこみが激しいと、ほら、ガラスに映った自分の顔だって幽霊に見えるしさ」
功は考えこむように口をへの字にまげて、私を見下ろす。
「なによぉ!」
言ってから、私は立ち働く大人たちの耳を気にして、あわてて声をひくめた。
「じゃ、功は本当に雛子ちゃんがこの家にいる幽霊を見たっていうの?」
「……あのなぁ」
功は言うべきかどうか迷っているようだ。こんな優柔不断そうな功はめずらしい。
「なによ?」
「あのなぁ、実はな、雛子だけじゃないんだ」
え? 私はきょとんとして功を見つめた。
「実を言うとな、俺も見たことあるんだ」
……何を? という言葉は出なかった。
「……今まで黙ってて悪い。実は、俺もこの家で幽霊みたいなもんを見たことがあるんだ」
嘘でしょ。
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