寿脚(すあし)

一石楠耳

寿脚(すあし)

 威勢のいい女の掛け声が、カウンター越しに飛んでくる。さっそく私はテーブル席に座り、穴子をひとつ注文した。

 江戸前寿脚すあしの伝統を受け継ぐ職人は女と相場が決まっており、この板前も長年の修行を経て今ここに立っているであろうことは、薄手の黒ストッキングに包まれた美脚を見ても明らかだった。

 高々と右脚上げて爪先でシャリをつかみ、一口大の煮穴子の切り身とともに、流れるような所作で左脚のヒザ裏にあてがって、ひかがみの凹みで優しく包み込む。

 両脚が作った4の字の握りの姿勢のまま、独特のリズムで二度三度と膝をかがめて屈伸運動を行えば、ほどよい圧力で握られた寿脚が完成するというわけだ。

 足指の合間に挟んだ刷毛に甘辛いツメをつけ、煮穴子の上にスッと塗る様子は、ペディキュアを連想させる。

 こうして作られた江戸前寿脚は、ゲタに載せて客に供される。

 続いて中トロを注文すると、カウンターのショーケースから女はマグロの柵を取り出してまな板に載せ、黒ストの美脚でもってストンと踏み切った。

 「小股の切れ上がったいい女」という慣用句が、触れること叶わぬほどの美脚がもつ、刃物以上の望外の切れ味を意味していると判明したのは、江戸時代のことであった。

 その切れ味を一層に先鋭化させるために、江戸の娘達はこぞってストッキングを履いて脚のラインを際立てて、中でも黒ストによる陰影が描き出す独特の透け感や大人フェミニンは江戸前寿脚の発展に貢献したというし、マグロの赤が職人の脚にビビッドな彩りを添えてワンランク上のコーデ。

 更にコハダもひとつ注文。光り物における寿脚酢すあしずの配合は職人の脚前あしまえの見せ所であり、独特の酸味には何かしらの秘伝があるらしい。

 その後も私はいくつかの品を注文し、ここらで一息とあがりをいただく。このあがりにも職人のこだわりが垣間見え、手もみの狭山茶を出しているとのことだ。

 私は立ち上がって叫んだ。


「手もみだって? 不衛生な!」

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寿脚(すあし) 一石楠耳 @isikusu

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