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ある日珪砂がたくさん集まっている場所があると聞いて個人敷地に不法侵入したら、家の持ち主らしき老人に招き入れられて説明を求められた。老人はドニプロパトロトリステキヴィスミジキと言った。珪砂を提供してくれそうだったので溶解炉まで見せて詳しく説明すると、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは感激して自分も作りたいと言った。アホっぽいと思った。やり方を教え、老人とガラス細工を作るのは楽しかった。誰かと何かに集中して、ものを作ったりすることは楽しいのだと、はじめて気付いた。真っ当な世界のみんなはこういうことを楽しんでいたんだね、なるほど、すばらしい、すばらしいな、ノンノコは納得した。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキは風呂を貸してくれたしノンノコの格好をまともなものに変えてくれた。予想外にすべてがうまくいき始めていた。しかし4週間後、溶解炉の横に座っているとスーツを着た男に先導されて数人の男がやって来た。この装置は、危険だから、撤去します。スーツの男がそう言うと男達がシャベルやバットで溶解炉を取り壊し始めた。やめろクソ!と叫びながら男の一人に飛びかかろうとしたところ、後ろからシャベルで殴られた。揺れる視界の中で誰かが言った、「知ってるこいつノンノコだ人殺しだよ」「マジかその名前俺も知ってる」腹を蹴られた。ノンノコはうずくまった。「この手のは最後まで何するか分からんぞ、油断するな」「まだ動いてんぞ危ねーな」三人ほどから蹴られ続けてノンノコは気を失った。身体中の痛みに目を覚ます、口の周りで血が固まっていて気持ち悪い。溶解炉は跡形もなくなっていた。誰もいない。唾を吐こうとすると腹に激痛が走った。横隔膜が動くと痛いらしい。這々の体でノンノコは意識を保ちながら下山し、なんとかドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家の前まで来たところで安心して気を抜いた瞬間にまた意識を失った、夢の中で、しまった、と思った。そこでノンノコは自転車に乗っていた。坂道を自転車に乗ってのぼっているのだが自転車はどんどん壊れていく。カゴが取れベルが取れライトが取れサドルが取れ、パンクし、ブレーキが千切れタイヤの形がぶよぶよと変わっていく。しだいに自転車は進まなくなり、止まるどころか後退しはじめた。なんで漕いでるのに後ろにさがっていくんだ、一生懸命漕いでるのに!と叫んだところで目が覚めた。病院のベッドだった。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキが運んでくれたらしい。もう、どうやって生きていったらいいのか分からないとノンノコは思った。何やってもぶっ壊される。だったら僕だってぶっ壊すし。覚えてろ、復讐してやる。動けるな、と思ったところで病院を脱出してノンノコは、山の中の溶解炉が発見されて苦情が役所に届いてそれが承認される経路を調べ、そこで主要な役目を果たした人物二人を洗い出し写真を印刷して、さぁ殺しに行くか、と車を盗んでドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家に行った。お別れを言いに行ったつもりだったのに、家から出るときノンノコは助手席に座っていてドニプロパトロトリステキヴィスミジキが運転していた。なぜかドニプロパトロトリステキヴィスミジキが手伝う気満々だったので、車のこともレンタカーとか言ってしまった。一人は実家の前で拉致、一人はキャバクラ帰りのタクシーをドニプロパトロトリステキヴィスミジキが止め、運転手を投げナイフでノンノコが殺害したあと拉致、縛り上げてドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家に監禁し、庭に穴を掘って溶解炉を作った。溶けたガラスを取り出すことも何も考えられていない、ただ高温が出ればいいだけの簡素な物だったので一日で出来た。なんで壊しやがった糞ども、ノンノコは二人に尋問した。こんなことしてタダで済むと思っているのか等の紋切り型しか言わない二人に呆れ、ノンノコは、お前達がガラス細工に価値を見いだせないというのなら、わかった、ガラスの気持ちになって考えてみようね、と言った。二人はきょとんとしていたが、溶解炉に近づけると泣いて暴れようとした。ノンノコとドニプロパトロトリステキヴィスミジキは泣き叫ぶ二人を溶解炉に放り込んだ。これまでで最も汚い作品が出来た。汚いな、とドニプロパトロトリステキヴィスミジキが言った。けれどノンノコは呟いた。この世界で一番きれいだったものはもう、失われているんだ。
捜査の手が迫ってきている。ノンノコは昔ナイフをたくさん隠した防空壕跡にドニプロパトロトリステキヴィスミジキと一緒に隠れることにした。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家のライトで照らしながら中に入ると、さーっと虫のようなものが引いていった気配がした。もったいないのでライトは消して暗闇の中で二人はじっとしていた。奥がそれなりに広いので、最深部に穴を掘って糞尿を逐一埋めた。二日目に雨が降った。上からぽたぽたぽたぽたと水が滴った。ここはいつもこんなに雨漏りしているのか?とドニプロパトロトリステキヴィスミジキが訊いた。雨の日だけだよ、とノンノコは答えた。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキはしばらく黙って、そうか、と呟いた。二日目の夜ノンノコは夢を見た。中学に入りたての時の夢だ。スチェヴィツァが横にいて、ノンノコはいじけて黙っていた。学校に十徳ナイフを持ってきたことを生徒指導に咎められ数時間の説教を喰らい苛立っていたのだ。そんくらい良いじゃないかと思っていたのだ。スチェヴィツァはそんなノンノコをなだめるため策を弄した。「そのナイフってなんだっけ、ノンノコが作ったの?あの黒いやつとか綺麗だったよね」どんなに世の中から叩かれても、無視されても、傷ついても疲弊しても、ノンノコを元気にする薬を知っているのがスチェヴィツァだった。意気揚々と刃物のことを話しているうちにノンノコはいつも毒気を抜かれたものだった。防空壕跡に行き、ノンノコは新聞紙にくるんだ宝物を一つ一つ取り出して並べた。金属はもちろん、花崗岩や黒曜石の破片やガラスのナイフ。フリントを割ってつくったオノ、石英ガラスの矢尻まである。どれもノンノコの手にぴったりおさまるものだった。息を弾ませて一つ一つの見所を説明するノンノコの話をスチェヴィツァは熱心に聞いていた。目を覚ましたノンノコは、涙で目が曇って何も見えなかった。しくしくと嗚咽を漏らして泣いているノンノコをドニプロパトロトリステキヴィスミジキは黙って見ていた。
翌日、軽口を言い合った後、ドニプロパトロトリステキヴィスミジキが外に出ていくと言った。教会に行くらしい。
1時間後にノンノコも防空壕跡を出た。中に隠していた250本のナイフをコートの中にしまって。冷たい雨が降り出した。教会の方角から銃声が聞こえた。道路に出てノンノコはタクシーを拾った。できるだけ見通しのいい細い道を通っていけ、と無理難題をふっかけるもタクシーは黙って発車した。運転手が震えている。僕が誰だか知ってるようだが、とノンノコは助手席に置いてあるコンビニのサンドイッチを見ながら静かに言った。「命は惜しいよな。ところでお腹が空いてるんだよ」「さしあげます」運転手は即答でサンドイッチを手渡してきた。ありがとう、笑顔で感謝の言葉を述べてノンノコはむしゃむしゃ食べながらシートに百本以上のナイフをぞろぞろ並べて点検した。運転手は泣きそうになった。目的地に着いて、ちょっと待ってろ、お前が勝手に発車したら家族全員殺したいと思う、と言ってノンノコはタクシーを降りた。運転手はおしっこを漏らした。降りたところはモミジマアリーナの実家。実家暮らしだと言うことは調べ済みだった。ノンノコナビに従って運転したので運転手は家の正面まで、誰の家だかも知らずに来た。今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えて運転手は車の窓から家を眺めた。小ぎれいな二階建ての一軒家。ノンノコが庭の大窓を蹴破って入っていったあと、家の中からは食器の割れる音、本棚の倒れる音、金属バットで家電を破壊するような音、ガラスの割れる音、引き攣れた悲鳴、鳴き声、阿鼻叫喚、そんなこんなが綯い交ぜになって聞こえてきた。4分後、おじゃましました~、といいながら玄関から血塗れのノンノコが出てきた。手や顔が血でベトベトなのに服はそうでもない。よく見たら入った時と違うを服を着ている。おそらく物色して着替えたのだろう。運転手は再度尿を漏らした。ノンノコがタクシーに乗り込み、また指示を出した。そして、次で最後だから、あ、これここまでの代金とサンドイッチ代、といって運転手に血塗れくしゃくしゃのお金を差し出した。もぉ~どう見てもモミジマさん家のお金じゃないっすか~、と心の中で言いながら、ありがとうございますとお礼を告げて運転手は受け取った。100メートルほど前方に検問が見えた。ストップ、とノンノコが言い、運転手はタクシーを止めた。ノンノコが降りようとしている。運転手は、心の底から安堵した。幸福、平穏、平和、安心、それらの意味を本当に知ることが出来た、と思った。降りたノンノコは右手に、鉄のブレードが付いた「へ」の字の形をしたナイフを持っていた。両手で振りかぶって、左足を上げ、体の重心を下に溜めて、右足で地面を蹴りながら、腰のひねりに合わせて後ろに伸ばした右腕を思いきり鞭のようにしならせ前方に振った。風を切る音が何か動物の唸り声のように聞こえた。何かを投げたのだと運転手には分からなかった。見えなかったからだ。しかしノンノコはもう何も持っていなかった。さっきまで何か持っていたような気がするのに、と運転手はぼんやり思った。検問の少し手前あたりできらりと何かが太陽を反射して光った気がした。その三秒程度あとになって、検問所にいた三人の警官のうち一番手前で向こうを向いていた人の首の左側から血が噴出した。それに気付いて慌てて駆け寄ろうとしたもう一人が、自分の首も同様のことになっていると気付いて走るのをやめ、首を押さえうずくまった。慌てて運転手がノンノコの方を見ると、三本目を投げようとしている最中だった。一番遠くにいる最後の一人は表情は見えないが口をぽかんと開けて呆然としているようでうごかない。動け、逃げろ、と運転手は心の中で念じたが、それは的外れだった。彼の口の中には既に比較的小さなナイフが刺さっていた。ノンノコが乗り込んできた。「もういいですよ、発車してください」なぜさっきのうちに逃げなかったのかと運転手は一瞬後悔したが、しかしそんなことをしていたら殺されていただろうと考え直して精神的な尿を漏らした。実際にはもう出なかった。血みどろの検問所を抜けて着いたのは、墓地。ありがとうございました、と言ってノンノコはタクシーを降りた。もう運転手は逃げる気にもなれず、そこで車を停止させたままノンノコの後ろ姿を眺めていた。ノンノコは墓地を歩く。しばらくうろうろして、コマゴメピペコの墓を見つけた。ドニプロパトロトリステキヴィスミジキの家に珪砂が殺到したきっかけでもある、1週間続いた嵐。そのときに土石流に巻き込まれて死んだということだった。ノンノコのやり残したことはもうこれで最後だった。墓石を蹴り倒し、なんで殺した、なんで殺したんだ畜生、と叫びながら骨壺を取り出して中身を周囲にぶちまけた。そして、その足で同じ墓地にあるスチェヴィツァの墓に向かった。スチェヴィツァの墓石の前でノンノコは死ぬつもりだった。途中で、通報を受けたのか、前方から一人の警官が歩いてきた。一人だけだった。みんな教会に出払ってしまっているらしい。こちらに銃を向けて近づいてくる。ノンノコは両手をあげて言った。スチェヴィツァの墓の前まで行かせくれませんか。警官は、何を言っているのか分からないという困惑顔で発砲した。ノンノコの左脇腹に銃弾は命中した。警官の足は震えていた。ノンノコは最後の力を振り絞って墓の隙間を駆け逃げた。警官は走って追いながら残りの弾を全て撃ち、そのうち一発がノンノコの左肩に命中し、二発が墓石に跳弾し関係ない墓参りの一般人に当たってしまったのを見て、立ち止まった。人を撃ってしまったという重責に耐えられなかったのではなかった。関係ない人を傷つけてしまったという事実が自分にのし掛かってきた瞬間に、自分の今追おうとしている相手が、この重さにのしかかられてなお平然としている、違う世界の生きものなのだと理解してしまったのだった。このあと一般人は死んだ。そして警官は殺人と特別公務員暴行陵虐致死で懲役六年の求刑を受けた。発砲に違法性はなかったし殺意もなかった、と二審で無罪が確定するのに九年かかった。検察は上告し、また三年後に有罪になった。
腹から血を流しているとは言え、タクシー運転手はノンノコに逆らうことが出来なかった。病院に行った方がいいですよ、という運転手の助言を、ノンノコは「うるさい」と突っぱねた。山の麓にタクシーを止め、防空壕までまた歩いて帰れたのは奇跡だった。肋骨が折れているが内臓が大して傷ついていないらしい。ただ左肩の方はもう動かせなかった。それからノンノコは防空壕の中で四日動かずに過ごした。三日目の夜に大寒波が来て雪が降った。ノンノコはコートにくるまってじっとしていた。空腹に霞む頭のなかでこれからどうしようと考えた。もう墓までは行けまい。あんな運転手ばかりではないだろうし、タクシーを拾うまでに捕まってしまう。あと一日で死ぬな、とノンノコは確信した。今日出なければ。そう思って出口の所の雪を掘ってみたが、まったく外が見える気配がない。手の感覚が無くなってきた。まさかここで死ぬとは。昔なじみのこの場所で。ノンノコは笑った。でも、最後まであがいてみようとナイフを使って雪を掘り進めていった。太陽の光が見えた。外に出ると一面の銀世界。ノンノコの身長ほども積もっている。足の届かないプールで泳ぐように苦心してモグラさながら前にもこもこ進んでいった。通った後にかすかに赤い跡が残った。腹と左肩の傷口が開いたようだ。空を見る、今は早朝らしい、誰も外にいない。意識が霞んできた。早くしないと。
そしてノンノコが辿り着いたのは、幼い頃に自分の暮らした家だった。軒先に大きなつららが並んでいた。不覚にも綺麗だと思った。大きなもの小さなものずらりと並んでいる。大小の尖った円柱形、鋭利な透明の。二階から伸びて手の届く所まで伸びているほどの。ガラスのようだ。鼠の時間。きれいなものはすぐに溶けて消える。美しい時間は短かった。きれいだな。ノンノコはその自然の造形に歩み寄った。軒先の真下まで歩いて、伸ばした指先が冷たさにふれたところ、ふれるべきではなかったようで、すべて、落ちてきた。
つららは屋根の上の途方もない雪といっしょに落下しノンノコを圧し潰した。
巨大な音が冬の大気に鈍く響き、あとに残ったのは静けさと真っ白な虚無だけだった。
数時間後、うおぉー、と吠えながらタケノコみたいにずぼぉっと雪から生えてきたノンノコ。どうだ、とまっしろな熱を吐いて空に叫んだ。
どうだ、殺せなかったな。
まっしろな楽園の砂 太ったおばさん @totonko
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