おまけ掌編

蛇の道は蛇

「ちーっす。三沢さん、こっちっスこっち」

 土曜の昼、呼び出されて向かったのはファミリーレストランだった。ベルの付いたガラス戸を押し開けると、新見が立ち上がって手を振っている。傍らにはショートカットの女性が座っている。面持ちは暗く、三沢を警戒しながらも薄く笑みを浮かべて会釈した。

「お久しぶりです、新見さん」

「ご無沙汰っス。元気そうで安心しました。こちら生活安全課の阿部川さんです。もしかして面識あったりします?」

 紹介された男には確かにうっすらと見覚えがあって、三沢は「あー……その節はどうも」と曖昧に頭を下げた。

「お久しぶりです。急にお呼び立てして申し訳ありません」

「いえ、どうせ暇なので。そちらの女性は?」

「あ、先に本題喋っていいですか」

 新見は三沢の前にコップをひとつ押し出しながら言う。コップには気泡の立つ緑色の液体が入っている。なぜ大の男を呼び出して用意するのがメロンソーダなのかは全く理解しかねるものの、当の新見の前にも同じものがあるのだからおそらくただの好みだろう。安倍川という警官とその隣の女性の前にはきちんとホットコーヒーが鎮座している。

「本題って何ですか」

「三沢さんにちょっとしたお願いがあります。前科の腕を見込んで」

「前科って」

 新見の言わんとする事がすぐにわかって三沢は肩を落とす。

 三沢はかつてストーカーだった。幸いにも厳重注意を受けただけで前科持ちにはなっていないが、この文脈においての前科はそれだろう。

 安倍川という警官は、見覚えがあると思えばその「前科」のときに厳重注意を受けた警官その人だった。

「人聞きの悪い、もうちょっと言いよう無いんですか」

「功績とかスか?」

「……前科でいいです」功績と言われるのはそれもそれで大仰に思えて、三沢は白旗を振る。「取り敢えず、聞きます。そちらの女性に関係することですよね、きっと」

「そっス。じゃあもう喋っちゃいますね。こちらの女性は美濃ちはるさん。ストーカー被害者です」


 新見が話した内容はこうだ。

 美濃ちはるはストーカー被害に遭っている。所謂ネットストーカーで、SNSのアカウントに再三絡まれている。インターネットに書いていないことまで言及されるので、どこからか見られているような気がして怖くてたまらない。

 初めは友人に話したことが漏れているのではないかとも思ったが、友人とインターネットでの付き合いはなく、たとえ友人の話がストーカーの目に入っていたとしてもそれが美濃ちはると結びつくとは思えない。

 内容の割に長く起伏に富んだ新見のスピーチが終わると、新見はようやく美濃という女性に向けて三沢を紹介した。

「こちら三沢さん。ストーカーのプロっす」

 はっきりと説明されて美濃さんが肩を竦ませる。現在進行形でストーカー被害に遭っている女性に対して「ストーカーのプロ」を引き合わせたりなんかしたら当然だ。

「だからもうちょっと言いよう無いんですか……」

「害のないストーカーのプロ」

「……もういいです」

「まあ今回俺はただの紹介人なんで。話のメインは美濃さんです」

「俺が直接話しをしても構わないんですか」

「まあ一応、警官二人ついてるんで」

「では。美濃さん」

 名前を呼ぶと、美濃ちはるはびくりと肩を震わせて青褪めた顔で三沢を見た。つい両手を降参の形に上げる。

「俺は敵ではありません。基本的には部外者で、どちらかといえば味方です。元ストーカーとして、美濃さんが被害に遭っているストーキングの手口について、刑事さん二人と一緒に考えます。……大丈夫ですか」

「……はい。よろしくお願いします」

 美濃ちはるが肩を縮めるようにして頭を垂れる。どちらかといえば防御の姿勢だ。三沢は椅子にできるだけ深く腰掛け、両手を膝において美濃ちはるから距離を取った。

「ストーカーの話にオフラインの事が出始めたのはいつ頃ですか」

「ここ、二ヶ月か三ヶ月くらい、です」

「その頃何か変わった事は? 例えば引っ越しをしたとか、職場を変えたとか」

「いえ、何も」

「あるいはレンタルビデオ店のカード契約更新とか、どこかのお店でダイレクトメールの登録をしたとか」

「いいえ」

「三沢さん、質問が具体的過ぎてキモいっス」

「……抽象的な質問をしてどうするっていうんですか」

「そりゃそっスけど」

 新見が珍しく苦笑いをする。ストーカーのプロとして呼び立てておいてその反応は何なのだ。

 釈然としない気分を押し込めて思考を本題に戻す。引っ越し、転職、会員登録、その他に住所を必要とするもの。

「通販サイトはどうですか」

「通販ですか」

「よく利用されます?」

「いいえ、あんまり。ーーあ」

 美濃ちはるがふと目を丸くする。

「コーヒーメーカーを買いました。多分、二ヶ月くらい前に」

「というか三沢さん、話に割り込んですみません、どうして住所なんですか?」

 口を挟んだのは安倍川刑事だ。三沢は「基本ですから」と答えようとして、慌ててそれを飲み込んだ。

「変だと思うんです。現実に何の被害も出ていないのに、ネットストーカーは現実の話を持ち出してくるんでしょう? であればその、いわゆる盗聴器とか、そういうものがどこかにあるんじゃないかって」

「盗聴器ですか」

「最近はネット通販でも変えるみたいですし」

「三沢さん?」

「俺はやってないです」

 つい魔が差して一度調べただけで。

「それで、話を戻しますけど美濃さん、もしかしてそのコーヒーメーカーって、自分で買ったわけじゃないんじゃないですか?」

「え、……そう、です。あの、ほしい物リストに登録していたものが誕生日に送られてきて、それで」

「何スか、何か思いついたんスか」

 新見が目を輝かせて腰を浮かす。三沢は「思いつい」てしまった自分の性格を少し呪った。本当に、どうしてこうも根の暗いことをするすると思いつくのか。

「人格を疑われそうな気がして口に出すのが憚られるんですが」

「勿体つけないでくださいって。あとでエビチリ奢るんで。ね?」

「……甲殻類アレルギーなので別のものにしてください」

「じゃあ天津飯食いましょ。駅裏に美味い店あるんで」

 三沢は一度溜息をつき、「俺はやってませんからね」と前置きをした。「例えばですよ、美濃さんがリストに登録していたコーヒーメーカー、それと同型のものを犯人が入手する。それに盗聴器を仕込んで通販サイトに出品する。出品した品を自分で美濃さんへのプレゼントとして選択、購入すれば」

「……名前も住所も知らない人に、盗聴器を送ることができる」

 安倍川が半ば呆然と呟く。美濃ちはるはすっかり青ざめて、泣きそうな目で三沢を見ていた。半分は三沢自身に対する恐怖だろう。

「可能性はあるって話です。機械の知識とかも必要そうですし、おれは詳しくはわかりません」

「や、でも調べてみる価値アリっスよ。通販サイト運営に問い合わせれば住所を割り出せるかもしれない。美濃さん、コーヒーメーカーを提出してもらってもいいっスか」

「え、あ、はい」

 美濃ちはるはほとんど泣き出す寸前のような、蚊の鳴くような声で答えた。

「やーさすがっスね三沢さん。見直しました。割と悪い方向にですけど」

「だから言いたくなかったんですよ……」

「まあまあ、あとは安倍川さんの仕事ですし、飯食いましょう飯。奢ります。経費スけど」

 新見が立ち上がって、美濃ちはると安倍川も同じく席を立つ。無事にストーカーを突き止めたと連絡が来たのは、三日後の話だった。

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