第7話 半チャンラーメン
彼女が好きだった。自分の置き場がわからなくなるほど好きだった。
姿が見たい、声を聞きたい、願わくば名前を読んでほしい、その手に触れたい。迷惑だと自覚していても、湧き出てくる感情を伝えずにはいられなかった。
「それと郵便物切り刻んだり動物の死骸投げ込んだりする嫌がらせはどうつながるんだ?」
冴木さんに訊かれて、「俺はそんなことしていません」と答える。事実だ。そんな嫌がらせはしない。郵便受けに手紙を入れたことはあっても、そのときですら、中を覗くことすらしなかった。
「っつうことはやっぱり、ストーカーは二人いたってことか」
「相田、ですか」
「多分な。付け回してる最中に見かけたことはないか」
「……彼女しか見ていませんでした」
「使えない尾行だ」
「う」
冴木さんは憮然としたまま、ずるずるとラーメンを啜る。テーブルの上には二人分の炒飯とラーメンがあり、俺はそれに手を付ける気になれずにいた。空腹は感じなかった。
「一度、安全総務課から厳重注意を受けているな。俺達はそれでストーカーがお前一人だと思ってた。今回の被疑者もだ。濡れ衣を着せて悪かったな」
「いえ」自分がそれなりに悪いことをしていた自覚が無いわけではない。ただ、一度お礼を言っただけで知らない人に戻るのはあまりにもつらかった。あの時、日々の食事にすら困っていたあの時、仕事すら何もしていなかったあの時、自分に「大丈夫ですか」と声をかけてくれた唯一の人が澤田さんだった。
「俺にとって、澤田さんはほとんど世界の全てだったんです。もちろん澤田さんにとってはそうじゃないことくらい、わかってましたけど、世界は澤田さんの向こう側にあったというか、俺は彼女を通して世界とつながっていた、ような」
自分の口からこぼれた言葉を他人事のように耳で聞きながら、彼女を想う。彼女と出会う前、世界の全ては他人だった。世界は自分とそれ以外でできていて、誰かを大切に思うことも、自分を大切にすることもなかった。
「澤田さんに声をかけてもらって、俺は人であることを取り戻したんです」
刷り込みか。冴木さんが小さくつぶやく。俺は少し笑う。
「……彼女のいないところで、俺はもう、どうやって生きていったらいいのかすら、わからないんです」
冴木さんは何も言わなかった。ストーカーが警察に泣き言を言っているのだから当然だとも思う。
「あ、いた。冴木さーん」
軽い調子の声がして慌てて顔を拭う。冴木さんとふたりで振り返ってみると、そこには彼の部下である新見さんがいた。こちらに向けてひらひらと手を振っている。
「新見。何なんだ用事って」
「彼女です」
新見さんが指し示した先には、澤田さんが立っていた。
「澤田さん」
「新見、何を考えてる?! ストーカー加害者に被害者を引き合わせるなんざ」
冴木さんがすぐに立ち上がって新見さんの胸ぐらをつかみあげる。新見さんは「うお」とのんきな声を上げてひらひらと手を振る。
「俺じゃねえっスよう、澤田さんがどうしてもって言うんで仕方なくですねえ」
「澤田さん」
声をかけると、澤田さんは伏せていた視線をゆるゆると俺の顔まで上げた。澤田さんだ、間違いなく。
「怪我、……は、体は、お加減はいかが、ですか」
「いや三沢さんマジお手柄っスよ。通報が早かったんで助かったんです。もちろん大怪我してるんでまた病院戻ってしばらく入院スけどね」
新見さんが説明する横で、澤田さんは指先を体の前で揃えてゆっくりと頭を下げた。さらさらの髪が肩から溢れる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「澤田さん」
せっかく拭った涙と鼻水がまた顔に垂れる。不適切だとはわかっている。言うべきことじゃないのも知っている。けれど、頭の中も胸の中も、それだけでいっぱいになっていた。
「好きです」
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