4.里奈の風邪

「里奈、今日は何で先に帰ったんや」


 とある日の夕方、俺は部活後に里奈の家に寄ってその質問を投げかけた。


 里奈が先に帰るたび、俺はいつもそうしていたのだが、この日の里奈は部屋で横になっていた。

 俺の声に目が覚めた里奈は、気だるげに身体を起こす。


「んー? ちょっと昼から頭痛ぁて」

「具合悪いんか? どれ」

「あ、あかんて。風邪うつる」


 里奈は俺から距離を取ろうと、狭いベッドの上で移動する。

 しかし俺はすかさず里奈の隣に入り込み、里奈の額に自分の額をくっつける。

 確かに熱い気がする。


「五月とはいえ、たまに肌寒いからな。俺があっためたるわ」


 俺はぎゅっと里奈を抱きしめる。しかし里奈は頑固に腕を突っぱねる。


「聡、やめ。ほんまにうつるって」

「何言うとんねん。お前のもんは俺のもんなんやから、お前の風邪も俺のものや」

「聡……」


 その瞬間、それまで俺を遠ざけようとしていた里奈の腕の力が弱まる。

 俺はすかさず里奈を強く抱きしめる。

 里奈はもう抵抗しようとはしなかった。


「あほぉ」


 腕の中から聞こえてきた里奈の声が、俺を満たしてくれる。

 そうだ、表面で俺と違う行動をとっていても、俺と違う言葉を放っていても、心の内側では俺と同じことを考えているのだ。

 そんな当たり前のことに満足して、いつの間にかそのまま里奈と一緒に眠ってしまっていた。




 翌日、里奈の言うとおり俺は風邪をこじらせた。


 里奈のおばさんが俺の母さんに頭を下げていたけど、母さんは「気にせんといて」とおばさんには愛想よく言うのに、弱った息子には呆れた顔を向けてくる。


「あんた、いい年こいて何しとんのや」


 何をしているかって? 

 俺と里奈の15年間を一番近くで見てきているくせに、それは愚問というものだろう。むしろこちらが呆れたいくらいだ。

 俺はやれやれという仕草を見せる。


「ま、親が一番子供を見てへん言うしな」


 ぽろっと思ったことを口に出せば、母さんは具合の悪い息子の頭にげんこつを落としてきた。


「あぁそう。そんなん言う子供にお粥も薬もいらへんな」


 挙げ句の果て、母さんは息子の世話もせずに部屋から出ていく。

 仕方ない、少しすれば母さんも機嫌を直すだろう。それまでしばらく休むことにした。


 それからどれくらい寝たのか、物音がして俺は目を覚ます。

 遮光カーテンを閉じて薄暗くなった部屋に、人影が見えた。


「……里奈?」


 呼びかければその人影がビクリと揺れた。

 上体を起こして見ればやっぱり里奈で、里奈は俺に顔を向けてきた。


「聡、寝とり」

「いや、でも里奈おるなら起きる。ってか何しとん?」


 起きたとき、里奈は勉強机の前に立ってこちらに背を向けていた。

 別に里奈が俺のものをいじるのくらい問題ないが、これといって机のものが移動している様子はない。だから尚更何をしていたのか気になるというものだ。


「何って、おばさんに頼まれたもんで」


 里奈は机の上を指差して一歩横にずれる。

 そこには湯気の立った茶碗が二つ置かれていた。片方はおかゆで、片方はお吸い物か? 

 それらを認識すれば、一気に食欲を誘うような匂いがしてきた。


「それと、これ」


 里奈は勉強椅子に置いてあった自分の鞄から、一冊のノートを取り出した。

 見覚えのないそのノートに、俺は首を傾げる。


「これ、田村君から預かってきたで。今日の分のノートやって」


 受け取って中を見れば、確かに面白みのない田村の字が並んでいた。


「どうせなら里奈のがよかった」

「何言うとん。クラスちゃうからしゃーないやろ」

「クラスちゃうくても試験範囲一緒やん」


 そこまで言うと、里奈ははぁと深々とため息を吐いて鞄の中からもう一冊ノートを取り出す。


「まぁうちのクラスの方が進んどるから予習程度にはなるかもな」


 口ではけちくさいことを言いがちだが、やっぱり里奈は俺の望むようにしてくれる。それは当然のことだ、何故なら俺たちは考えることも何もかも同じなのだから。


「でも今は大人しく寝とき」

「おぉ、一緒にな」


 俺はそのままベッドの中に里奈を引き入れ、ぎゅっと抱きしめた。相変わらず里奈は俺を遠ざけようとしていたが、俺は構わずそのまま夢の国へ旅立った。

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