ナイスファイト!

米田淳一

第1話 ナイスファイト!

「そういや、『明鏡止水の心境』です、っていいながら退任に追い込まれた、昔の総理がいたな」

「ああ、宇野宗佑か。あの人、芸者に言った『指三本』の一言がマスコミにばれて、大騒ぎになって首が飛んだんだよな」

 東京永田町・首相官邸。

「あのころは総理が安かったが、今はもっとヒドいもんなあ」

 首相補佐官の二人はTwitterのタイムラインを見ていた。

「なんでこんな、いろんな意味で雑なこと勝手にTweetするのかね、うちの総理ボス。せめてちゃんと俺たち官邸スタッフを使って欲しいよ」

 片方、広報担当の鹿島が言う。

「しかたないさ。それが総理のご意向だ。国民と直につながる、国民目線が売りだったからな」

 それに防衛担当の磐田が言う。

「公約通りとは言え、公約通りの愚策やること、ないのにな」

 二人は瞑目した。


    *


 なんでもない冬の月曜日だった。

 東京の都心を、数台の自衛隊のトラックが小さな車列を組んで移動していた。

 そのトラックが、たまたまパンクして、車列が停車した。

 それを写真に撮って、Twitterに投稿した軍事マニアがいた。

 それを拡散した、軍事マニアがいた。

 解説がついた。

「これは練馬第一師団第三連隊ですね」

 だが、そこに噓が一言、付け加えられた。

「首相官邸に向けて移動中」、と。

 一言の噓の加えられた写真が、さらに拡散された。

「首相官邸に自衛隊が何故?」のコメントがついた。

「なにかあったんじゃない?」とレスがついた。

「何って、何?」

 さらに噓は噓を呼ぶ。

 いや、噓でなかったかも知れない。憶測の類いだったかも知れない。

 しかし、人々のなかで、疑問が膨らみ、それは答えへの渇望に変質していく。

 それは悪意混じりの伝言ゲームに、似ていた。

 そして、それが、こうなった。

「首相官邸を救援にいく自衛隊車列が、都心で立ち往生」に。

 何が起きているんだろう?

 人々は答えを求め、そして、こんな噓に出会ってしまった。

「首相官邸が、中国の斬首作戦を受け、現在機能喪失中」と。

 まさか、がもしやになり、もしやが、おそらくになり、そしてそれがますます無責任な噓を呼ぶ。

 折悪しく中国海軍の空母〈山東〉が太平洋を航行中だった。

 不安は用意されていた。あとは嘘と誤解の連鎖反応で十分だった。

「パトカーが二台走っていった」

 関係ない別の事件のそんな情報も無責任に追加され、騒ぎが雪だるま状に拡大していく。

 気付いたネットニュース、バイラルメディアもせっせとそれを拡散した。

 その騒ぎを、ひとつのマスコミが引用で報道してしまった。

 拡散した誤解と噓は、人々がそれぞれの『信じたい真実』に、変化する。

 そしてそれまで様子見だった別のマスコミも追従し、それはすっかり決定的なこととなった。


    *


 首相官邸は、各官庁や各国政府からの問い合わせの殺到で混乱状態になった。

「まずいぞ、本当に機能が奪われるぞ」

「オンラインシステムで官邸ここのステータスはわかるはず」

「いや、官邸うちのシステムルームから、システムの輻輳が始まったって報告が来た」

「そんな! そんなに冗長性ないシステムではなかったはず……いや」

「ああ。その通りだ。行政共通基盤システムは現在猛烈な天文学的物量クラックを受けていて、各省のシステムは緊急防御モードに入った。オンライン決裁はしばらく不能だ」

「なぜこのタイミング……」

「『なぜ今?』じゃない。まさに『今だから』さ」

「ってことは、あのトラックのパンク、もしかすると」

「それはこれからの警察の仕事さ。いやなもんだ。最後どう始末つくかも含めて」

「まずNHKに訂正報道を依頼しよう」

「すでにやったさ。効果まったく無し。なにしろうちの総理ボスは例の大統領のマネして、『オルタナ・ファクトだ!』とか言う人だからな。全く信じてもらえない。訂正報道の放送を流したNHKには、早速噓をつくなと抗議電話殺到中」

「なんてこった。これがフィルタバブルか!」

「ああ。我々政府がどう言おうとも、もうすべてねつ造扱いだ。今、人々は事実上、真実なんか求めてない。信じたい情報しか求めてないことになる。ウザい奴はミュート、気に入った奴にイイネ。それに反応するアルゴリズムが情報経路を過剰に『最適化』してしまう。だから、シームレスにメディアでつながっているはずのこの日本は、すでにヒビの走った鏡だった。つながっているようで実は全然つながっていない。そして、それが自衛隊トラックのパンク一つで、本当にバリンと割れちまったのさ」

 そのとき、電話が鳴り、秘書官が対応する。

「外務省本庁から、官邸は大丈夫か、って電話です」

「だったら直接歩いて見に来いよ! 物理的に近いんだからさ!」

 いらだちが始まった。

「すぐ隣の霞ヶ関ともこうしておかしくなってきた。中国も、うまいこと考えやがったな。市ヶ谷(防衛省)ともこのままだと切り離される。そうなれば、中国の勝ちだ。なんだってできる。いきなり中押し負けだ。空挺部隊送り込んで斬首作戦する必要すらない」

「でも、このフィルタバブルの壁を貫く方法は、あるのか」

「ああ。一つだけある」

「電話もネットもテレビもラジオもつかいものにならないのに?」

「ああ。まだ運は日本を見放さなかったよ」

 そういう彼の目の前に、たまたまこの官邸への要人輸送を終えて、まだ帰投準備中のヘリコプターが、いた。


    *


「作戦名は、『鏡の修復作戦』でいいな」

「ああ。まあ、作戦名なんて飾りだけどな」

「そういうなよ。その飾りが案外大事なのさ」

 後ろでは、官邸のコピー機が全機フル稼働している。

「枚数は数えなくていい! 刷れるだけ刷れ! 締め切りはあと二〇分だぞ!」


 そして、そのヘリは二〇分後、出発、海上自衛隊厚木基地に着陸した。

 そして、運命のP-1哨戒機が三機、かわって連続して離陸した。


    *


「やったな!!」

「ああ!!」

 二人は首相官邸前の広場に降る、紙吹雪のまっただ中にいた。


 それは圧倒的だった。

 大型の哨戒機P-1は、首相官邸でコピーされた事態説明ビラをばらまきながら、低空を目一杯の低速で、その主翼の日の丸を見せつけるように、都内上空を飛びまわる。

 その姿の説得力は、圧倒的だった。


「このネットとバーチャルの二十一世紀に、『伝単』とはな」

「ああ。大戦中、米軍のB-29が日本国民の戦意を奪おうとばらまいたやつだ。あれを思い出せた。電子的・論理的な説明がダメなら、物理的なもの、ぶっちゃけこういう『紙爆弾』が有効なのさ。これはフェイクニュースも覆せない。P-1なんて大きくて運用費の高い飛行機を使って、ただのフェイクは無理だからな。説得力満点だ」

「そして、紙の時代は案外終わらない、ってことか?」

 そういう磐田は、このP-1のフライトの手配に、関係省庁あちこちに電話をかけたため、声がかれている。

「いや、それは本質ではない。伝えるって事そのものに、紙や電子の区別は要らない。伝えるってことは、シンプルに、覚悟と、勇気の問題なのさ」

 答える鹿島は、フルスピードで伝単コピーの内容を執筆し、編集し、校正し、印刷確認をしたため、すこし目の下にクマができている。

「厚木基地からだ。まもなく追加の便の準備が完了するって」

 厚木基地では基地内の印刷機でビラがさらに増産され、用意の出来た哨戒機への積み込み準備が進んでいる。

「まあ、その必要もないだろう。ネットはこの紙爆弾、ビラのこともせっせと『拡散』してくれてるからな。ただ」

「ただ?」

「俺たちにはこれが待ってる」

 二人の目の前に、事後承認の手続き書類の決裁をもとめる各省庁の連絡官が、行列を作った。

「ひいいい。こっちも紙爆弾か!」

「そりゃそうだ。独断専行って、結果は必然的にこうなる」

 二人は、目を見合わせた。

「勇気って言うが、その勇気が間違ってたら?」

 磐田の言葉に、鹿島は、言い切った。

「だから、精一杯、その前に考えるのさ。それでだめなら諦めもつく。ただ、オレは拡散ボタン押してる方より、こっちの方を選んだ。こっちのほうになりたかったから」

 磐田は、ちょっと考えようとした。

 だが、それを振り切って、サインを書くボールペンを取った。

「オレにはよく分からん。だれもがそうなれるわけでもない。ただ、オレも覚悟だけは決めてる」

 そして、「じゃあ、順番にやります」とサインを始めた二人に、連絡官たちから、声が飛んだ。

「ナイスファイト!!」

〈了〉

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