陽光

コノハ

陽光

 私は今、冬の山を登っている。登山服で風はある程度遮られているが、それでも寒いものは寒い。息は白く、標高が高くなるほど息苦しさを感じる。


 辛い、足を踏み出さないと足元の雪に埋もれていくかの様に感じる。辛い、目が霞み、このまま倒れてしまってもいいのではないかと考えてしまう。しかし、 この辛さが今生きているとひしひしと感じている。まだ眠る訳にはいかない。この足で山の頂に登り、この目で朝日を眺めるまでは倒れるわけにはいかないの だ。

 しかし、よくよく考えてみればなぜ上っているのか分からない。なぜこんなことになったのか分からない。意識が霞む。このまま沈んでいった方が心地が良いのではないかと、そう思う。危ない、意識がなくなってしまうところだったと恐怖し、少々凍ってしまった手で頬を張る。



 ああ、そういえば私は自殺しようとしたのだった。何も無い、何も生み出すことのない私など消えてしまった方がいいのではないか。でも、でも何かをやり遂 げたい。私が生きていたと胸を張って言えるようなことをしたい。しかし、それがどうしてか山登りになったのかは自分でも分からない。悩みながら歩いていく うちにどうして登りたいのかを思い出した。どうせ死んでしまうのなら今まで避けてきた辛く苦しいことに身を浸すぐらいする方がいいのではないかと思いこの 山を選んだのだった。


 そもそも私は失敗してばかりだった。周囲の期待が重かったのもある。何より私が原因なのだ。無気力でどうしようもない私。流され続け ていつの間にか底辺で燻って、それでも頑張ろうとしないで生きてきた。別に流されること自体は悪いことじゃない。流される先を見極め、自分にとってよりよ い未来を探し出すことがどうしても私にはできなかっただけだ。成人を超えてもアルバイトの日々。住居代や税、食費代などを稼ぐのでいっぱいいっぱいだっ た。あるとき私の心がどこか欠けたのだろう。それから今に至るまで差ほど時間はたっていない。本当に私はどうしようもない人間だった。



 もう少しで山頂に着くだろう。それまで体がもってくればいい。元より無謀なことだった。ろくに調べず、これ位有ればいいだろうと楽観視して準備はあまり していない。登山口で降りてくる人が、「その程度の準備では登ることができたとしても下ることはきついのではないか」と、心配してくれたのに拘らず、私は 拗ねてしまって忠告を聞かずにここまで登って来ている。


 考えるというのはいいことだ。思考しているからこそ私は意識を保っていられる。もう少しで山頂に着く、足は鉛のように重く、体は凍えている。だが、まだ 力尽きるわけにはいかない。せめて朝日を見るまではと自らを鼓舞する。まだ私は歩ける。登りきることができるのだと思わなければ到底たどり着くことなどで きないのだ。



 私が無為に過ごした日々。そのときにこうやって考えることができたのならこんな辛い思いをせずに良かったのかもしれない。こうやって考えていると私は本 当に自殺がしたかったのかと疑問に思ってくる。なぜなら私はこれまでの人生の中で一番生き生きしているではないか。準備を怠ったことが悩ましい。帰れない かもしれないという恐怖が今更になって私を蝕む。全く、どうして私は遅くなってからでしか正解と呼べる道を見つけるできないのだろうか。短い間に考えがこ ろころ変わる。これも山登りの成果の一つと考えてもいいと思う。


 そんなことを考えながら頂上に向かって一歩また一歩と進んでいく。後頂上まで10mほどか。まだ朝日は登っていない。よかった、頂上に着くまでに朝日が昇ってしまったら目も当てれない。



 ようやく頂上に着いた。思っていたより大きな達成感が胸の中にある。私はほっと息を吐き、肩から力を落とした。笑いがこみ上げてくる。が、冷たい空気を 勢いよく吸ったものだから咳が出る。なんだ、私でもここまでできるじゃないか。涙腺が緩み涙が出てくる。腰を下ろして膝を叩き、咳をしながら笑っている。 可笑しい、こんなにも可笑しいのだ。私もまだまだ笑えるのだ。


 持ってきていた数少ない非常食を食べ、日の出に備えるとしよう。後数分もすれば日の出。遂に待ち望んだ朝日を拝める。今の私は目がらんらんと光っていることだろう。



 徐々に明るくなってきた。遂に日が昇り始める。



 なんて綺麗な光景、なんと神々しい光なのだろうか。地平線の向こう側から太陽が昇ってくる。世界がまばゆい光で満たされるその光景は、空を焼き尽くさんとする業火のようにも、大地を癒す波のようにも見えた。


 私は顔の前に手をかざし、あまりにまぶしいその光を遮ろうとする。しかし、光に圧倒されているかのように手が動いてくれない。そうこうしているうちに、 私の暗い気持ちを吹き飛ばすかのように陽光が全身に当たる。まるで浄化されているようだ。気持ちが高揚し段々と興奮してくる。今なら言える、私はこの光景 を見るために生まれてきたのだろうと。そう考えても可笑しくないほど私は笑っている。これが山頂から眺める朝日か、家の周辺で見えるのとまるで違うではな いか。



 気持ちが軽くなる。自殺しようと思ったこともあるが、今は違う。胸に希望の灯火が点いた。消えることがあれば違う山を登るのもいいだろう。私の心が闇に 覆われ、前が見えなくなるとしてもそのたびに胸に明かりを点し一歩ずつ歩いていこう。できるならばこの火を他人に点せたら、私のような人間を一人でも救え るかもしれない。そんな生き方も有る。そう考えるほどに私の心は澄み切っている。

大きく息を吸ってみる。まだまだ雪が降り積もっており、空気も冷たいばか りだったがその冷たさが、大きく意味を違ってきてる。冷たいが、それ以上に清々しい気分に慣れるのだ。匂いは街で吸うよりもとても美味しく思える。標高も 高く、もしかしたらこの山が霊山である事も関係してるのかもしれない。



 そろそろ、帰ろうと思う。降りた先には希望があり。万事旨くいくとは思えないが、これまでよりは良くなる筈だ。でも、まずはこの山を下らなければどうし ようもない。もう死ぬつもりは無いが準備があまりできておらず。下るのに不安なのは確かだ。でも手を拱いていては前には進めない。ならば行こう、帰るために。


 知人に礼を言おう、今なら分かる。塞ぎ込んでいた私を鼓舞してくれたとようやく分かった。両親にはとても心配をかけたことだろう。こんな私を見捨てずに甲斐甲斐しく世話をしてくれた両親には返しても返しきれない恩がある。



 この希望の灯火が世界中に広がっていけばどんなに嬉しいことだろう。世界はこんなにも美しい。だからこそ歩いていける。私が躓き、歩けなくなったとしても繋いでいけばいい。人間にはそれができるのだから。何より気づかされた私がそれを信じなければいけない。



 これからどのようなことがあるのだろう。それは狂おしいほどに待ち遠しいことだった。


「ああ、とても楽しみだ」


 白い息を吐きながら言ったその言葉は今まで発したどの言葉よりも希望に満ち溢れていた。

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陽光 コノハ @lux

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