私が世界を救ったときの話

あみの

序 私が異世界に来たときの話

 女性が血を流して倒れていた。

 現代日本のごく普通の中学生をしていた私にはとうてい考えられない事態が起きていた。

 たしか、私は夜中に目が覚めて、トイレに立ったはずだ。用を足して扉を開いて2秒で暗転。気がつくと夜の森のなかだった。そして目の前には鎧を着た女性が血まみれで倒れているというこの状況。天国のおばあちゃんならどうしただろう。

 女性は朽ちた倒木にもたれかかって動かない。月明かりに照らされた頬は泥と血がこびりついているが、それでもなおその美しさを損なわない。

 きれいなひとだ。

 私はひとまず彼女に近づいてみる。夜気に冷えた土をはだしで踏む感覚が奇妙だ。

「あの、大丈夫ですか?」

 言葉は通じるのだろうか。

 乱れた金色の髪を見て一抹の不安を覚えるが、こういうのはジェスチャーだ。気持ちの勝負だ。

「あのぅ、聞こえてます?」

 恐る恐る、彼女の脇に投げ出した手に触れてみた。

 女性の息が乱れる。

「……?」

 わずか、ふしぎそうに持ち上がった顎。隠れていた双眸が私をとらえた。やっぱり、きれいだ。美しいサファイアブルー。外国のひとはたいがいきれいに見えるけれど、そのなかでも破格の美しさだ。

 薄いくちびるがそっと動いた。

――あなた、は?

 声にならない声が問う。

 左手が、なぜか熱い。

 生気を失った、暗く昏い瞳。死の予感を受け止める目だ。

 左手の熱がさらに増す。ほとんど浮かされるように私はその手を伸ばし、彼女に触れた。

 光があふれる。そして―――、


「やっと起きたの? おねぼうさん!」


 ―――妖精から無邪気に罵られた。


序 私が異世界に来たときの話


「ええと、だれ?」

「あたしはフェイ! 女王さまからあなたのお目付け役を仰せつかったの。なのにあなた丸一日寝ていてちっとも起きないんだもの。退屈だったわよ、もう」

「え、ごめん」

「いいわ、あなた目を覚ましたから、許してあげる! ね、なにかほしいものはある? ご飯は? おなかすいてるかしら! あ、でも、レオおじさんから最初はおなかにやさしいものを、って言われているのよね。どうしよう、たまごスープならいいかしら。ちょうど今朝、ハーピーが新鮮な卵をおすそ分けしてくれたのよね。むせいらんだからたべて、って。むせいらんってなにかしら?」

 マシンガントークである。全弾命中してくらくらする。

「う、うん、ちょっと、ちょっと待って」

 こちらは現代日本でぬくぬく育った系15歳である。ティンカーベルもピーターパンもおとぎ話と思っていたのだ。それがいきなり妖精に蛇口全開でじゃばじゃばことばをかけられてもとっさになにも返せない。

 妖精――フェイと名乗った――はきょとんと首を傾げた。

 勝気そうな釣り目がきらきらしている。悪意はない。敵意もない。ただ純粋に、私のお世話をするように言われて張り切っていて、私がやっと目を覚ましたからとても喜んでいるのだろう。

「ええと、フェイ、さん?「フェイでいいわよ!」じゃあ、フェイ。ここはどこ? 私、どうしたの?」

「ここは幻想の里。あなたは女王さまに召還されたのにきちんと召還場所に出なくて、慌ててレオおじさんと探したら森のなかでほかの人間と一緒に倒れていたのよ。まったく、力の使い方も知らないくせに治癒魔術を使うなんて、あなたってとっても素敵ね、才能あるわ!」

「あ、ありがとう?」

 褒められた、と思う。

 にこにこしながら言われるけれど、正直なんのことかさっぱりである。

「じゃあ、その、一緒にいた人間、っていうのは?」

「彼女ならとっくに目を覚ましているわよ。でもしばらく安静にしてないといけないんだって。ずっと部屋のなかでじっとしているなんて、退屈すぎてあたしだったら逃げ出しているわね」

 とりあえず無事なようだ。

「あのさ、フェイ。私はもうなにがなにやらさっぱりなんだ。女王さま、とか、レオおじさん? とか言われても、ほんと、なんにもわからなくて」

「んん、そうよね。たしか、異世界から呼び出したとかなんとか言ってた気がするし……こういうときはまず、」

「まず?」

 フェイはにぱっと笑って、

「はらごしらえ! よね!」

 まあ、その意見には賛成だ。

 腹の虫もようやく目を覚ましたようだ。

 フェイが持ってきてくれた卵スープは絶品だった。ハーピーの卵、というワードが頭をよぎったものの、オニオンと卵の香りが私の腹の虫を刺激したので忘れることにした。

 一緒にスープを飲みながら、フェイはいろいろ教えてくれた。

 幻想の里とは、妖精の女王ウェールさまが作った里で、大陸の東に位置する森にあるらしい。

「結界を張って、人間たちには見えないようにしているんだけど、ときどきいるのよね。迷い込むやつ。たぶんあの子がそうなんだろうけど。騎士がひとりであんなところでなにしていたのかしら」

「騎士?」

「たぶん、人間の国の騎士だと思うわ」

 フェイは難しい顔をする。あの女性は目が覚めてから部屋のなかにこもりきりだが、女王さまからそっとしておくようにお達しが出ているようで、一部の者以外は近づかないらしい。

「それで、なんで私はここにいるの?」

「ああ、そうそう。説明がまだったわね」

「そこから先は、おじさんが説明しよう」

 いつのまにか開かれた扉の外に、50代くらいの男のひとが立っていた。ぼさぼさの黒髪。右目は前髪で隠れていて、身の丈ほどもある木の杖をついている。

「やあ、どうも、どうも。目が覚めたようでなによりだよ、お嬢さん。おれの名前は「レオおじさん!」うん、そうそう、まあそれは愛称で、本名は「レオおじさん、卵スープ食べる? ハーピーが今朝くれたのよ!」フェイ、ちょっとおとなしくしてようね。おじさんほら、今、かっこつけて登場したところだから。もうしばらくミステリアスナイスミドルをやらせてもらえない? ほら、第一印象が大事だしね。だめ? あ、そう……」

「ええと、……ミステリアスなおじさま、お名前は?」

「うん、いや、いいよ、そんな、ほんと、いいから、うん、ありがとう。きみ、いい子だね」

 肩を落とすレオおじさんにせいいっぱいの気遣いを見せたつもりだったが、どうも逆効果だったようだ。

 レオおじさんは力なく笑うと部屋に入ってきて、手近な椅子に座った。黒いローブの裾から覗く左足に、つい目が行ってしまった。

「ああ、これ? そう、義足だよ。ちょっとしたへまをしてね」

「すみません」

「いいよ、いいよ、気にしないで。かっこいいだろ? おれがデザインしたんだ」

「えぇー、どこが? なんかごつごつしてて可愛くないよ」

「えっと、とても素敵です。あの、強そうで」

「うんうん、やっぱりいい子。フェイはもうちょっとこの気遣いを見習うように」

 さて。レオおじさんは咳ばらいをひとつすると、

「改めて自己紹介。おれは魔術師レオンティウス。ウェール女王の補佐をしている。よろしく」

「あたしはフェイ!」

「暁いぶきです。あ、いぶき暁?」

「ふんふん、暁が家名でいぶきが名かな。素敵だね」

「はあ、どうも」

「体調はどうかな? 痛いとか気持ち悪いとかないかな?」

「それは、全然」

「それはなによりだ。ではさっそくだけど、この世界について説明をはじめよう」

 そういってレオおじさんは「窓を見てごらん」と私を促した。

 言われたとおりにすると、窓の外には、

「妖精がいっぱい張り付いてる」

「うん、妖精たちは好奇心旺盛だからねぇ。きみに興味津々なんだろう。でもそうじゃない、そうじゃないんだ。もう、困ったなぁ。フェイ、ちょっとあの子たちどかしてくれない?」

「はぁい」

 妖精たちがちりぢりになったのを見届けると、レオおじさんは咳ばらいをひとつする。

「ええと、大きな木が見えるのがわかるかな」

 指し示された外は森が広がり、そのはるか向こうに大樹が幹を伸ばしてそびえ立つ。その大きさたるや、枝葉が雲を突き抜けるほどに高く、これほど遠目に見ても幹を流れる水の鼓動が伝わるような気さえしてくる。大樹というより生命そのものの強さを感じる。

「あれは生命の源流、大樹ムンドゥス。この世界を作ったものだ」

 レオおじさんが語りだしたのは、のちに聞くところによるとこの世界に伝わるおとぎ話だそうだ。創世神話のようなものだろう。

 はじめに混沌があった。混沌はあまたの種を生んだ。種は永い年月をかけ大樹となり、命の源ムンドゥスとなった。大樹ムンドゥスのひとつが大地をつくり、さまざまな命を生んだ。これが大陸ファートゥスのはじまりである。

 大陸ファートゥスに育まれた自然には、やがて魂が宿った。幻想と呼ばれるものたちの誕生だった。

「幻想と呼ばれるもの?」

「あたしのことよ!」

 フェイが元気いっぱいに手を挙げる。

「妖精はその最たるものでね、自然から生まれた魂をそのままかたどった命だ。木の妖精、花の妖精、水の妖精、火の妖精、風の妖精……それぞれがそれぞれの原点たる自然の力を内包している。このフェイという妖精は」

「あたしは陽の妖精。太陽の光から生まれたの!」

 なるほど、だからこんなに明るいのか。活気ある両目が誇らしげに輝いている。まさに陽光のごとく、だ。

「レオおじさんも幻想なの?」

「ああ、おれは魔術師という幻想さ。おれたちは見た目は人間に似ているからまぎれて生活することもあった。今となっちゃ、希少種もいいところだけどね」

「人間は幻想とは違うの?」

「そうだ。そして、それがこの世界がはらむ問題のひとつでもある」

 レオおじさんの顔が曇った。私の隣に座ったフェイも、心なしか気落ちしている。

「人間たちは自然から生まれた生き物が環境に適応していくためにかたちを変えた命だ。だから自然からは少し遠くなってしまった。そして、遠くなってしまった分、自然や自然に近い幻想のものらを理解できなくなってしまったんだ」

「人間と幻想は争ってるの?」

「いいや。おれたち幻想のものは争いを嫌う。だが人間のほうはそうではない。同じ人間どうしで争い、この世界の恵みを奪い合ってきた」

「変よね。世界は奪い合うものなんかじゃないのに」

 レオおじさんはフェイのことばに困ったように笑って、

「続きは明日にしよう。今日は休んでくれ」

 と言った。

「なにかほしいものはあるかい? 食べられそうなら食事を用意しよう」

「うん……ねえ、レオおじさん。あの騎士? の女のひと、部屋にこもってるって聞いたけど」

「ああ、そうだね。気になるかい?」

 うなずくと、レオおじさんはしばらく黙考して、

「そうだな、きみなら話ができるかもしれない。会いたいなら案内するけど?」

 お願いすることにした。


 部屋から出てみて、驚いた。

 私が寝かされていた部屋はいわゆるツリーハウスというやつだったらしい。

「たいていの幻想のものは自然のなかで暮らしているんだけれどね。おれたちのような魔術師や一部の幻想のものはこうした人間に近い暮らしを好むんだ」

 とレオおじさんが説明してくれた。

 フェイは女王さまに私が目覚めたことを報告してくる、と言って飛んで行った。

 私はレオおじさんに連れられて、5分ほど木々の立ち並ぶ道を歩く。嗅ぎ慣れない土と植物の匂い。コンクリートではない道を歩くのは久しぶりだ。足裏の柔らかい感触に戸惑う。

「ついたよ。ここだ」

 そこもツリーハウスだった。

 しっかりした幹の上に木造のこじんまりした家。梯子を使って上る。

 扉をノックすると、なかから女性の声が返ってきた。

「お邪魔するよ。こんにちは、セシリア嬢。調子はいかがかな?」

「こんにちは、レオンティスさん。ええ、だいぶよくなりました。まだ少し、痛みますが」

「傷はほとんど塞がっているけれど、あまり無理はよくない。あとで薬膳茶をもってこよう」

「ありがとうございます。……あの、そちらは」

 陽の光を浴びた金髪がきらきらとまぶしい。あの夜見たサファイアブルーにはすっかり生気が戻っていた。透きとおるような白い肌と整った顔立ち。まとう空気は清涼な水のきらめきを連想させる。やっぱり、きれいだ。

「彼女はいぶき・暁。おとといの夜、きみを救った子だ」

「覚えています。よかった、目が覚めたのですね」

 女性は顔をほころばせる。

「セシリア・T・ランチェスターです。どうか、セシリアと。いぶきさま」

「呼び捨てでいいです、セシリアさん」

「では私も、敬称はいりません」

 レオおじさんがセシリアのベッド近くの丸椅子を勧めてくれる。

 腰を下ろした私は、彼女の脇に剣が置いてあることに気づいた。

「すみません、こういったものが傍にないと落ち着かないので」

「はあ、あ、そういえば騎士さまだってフェイから聞きました」

「ああ、いえ、それは」

 セシリアは一瞬顔を曇らせると、

「それより、あなたにお礼を。助けていただき、感謝します」

 どうも触らないほうがいい話題のようだ。

 そこまで黙っていたレオおじさんが、気を利かせたようで「薬膳茶を持ってくるよ」と部屋を出て行った。

「いぶき、あなたは魔術師、なのですよね?」

「いやぁ、私は普通の人間だと思うけど」

 そもそも、私がセシリアを助けたとかいう話もどうなんだろう。あのときなにが起きたのか、私自身がよくわかっていないのだ。

「ですが、あのときあなたは……」

「そうらしいんだけどね」

 私は自分の事情をかいつまんで話した。

「異世界、ですか。では、もとの世界では魔術を使ったことは?」

「ないよ、一度も。っていうか、異世界って信じるんだ。ここだと珍しくないの?」

「大陸ファートゥスはまれに異世界とつながることがあるのです。異世界からやってきたひとやモノがここに技術や文化をもたらすこともありますから、我々は彼ら異邦人を客人として丁重に迎える習慣があります」

 理解が追いつかない。あとでレオおじさんに詳しく聞いてみよう。

「セシリア、あのときはすごく弱っていたけど、もう大丈夫?」

「ええ、おかげさまで。この里の方々にもとてもよくしていただいています」

 そう言いつつもセシリアはどこか複雑そうだった。

「幻想のものは嫌い?」

 セシリアが狼狽える。

「嫌い、というのとは違います。我々人間にとっては、彼らは魔物……ひとを襲い、喰らうものですから」

「魔物? でも、フェイ……妖精もレオおじさんも優しいよ?」

「ええ、そうですね。そう、なんですよね……」

 セシリアはそれが不可解だというように眉尻を下げた。

「魔物は理性なくひとを襲う。こうして言葉を交わし、あまつさえ施しをするなど、考えられません。いえ、実際に世話になっている身ですし、感謝もしているのですが、その」

「あー、まあ、なんとなくわかる」

 人間にいろいろいるように、幻想のものにもいろいろいるんだろうか。そしてそうしたものたちと接してきたセシリアにとって、ここに住むものたちの対応は天地がひっくり返るようなありえないことなんだろう。

「ねえ、セシリア。この世界について教えて。大樹ムンドゥスのことや世界がどうやって生まれたのかは聞いたけど、それ以外はさっぱりだから」

 セシリアは快くうなずいてくれた。

「大樹ムンドゥスを中心に広がった大陸には、南に海、北に大きな山がそびえています。大樹ムンドゥスのふもとには大きな街があり、名を王都ツェントルム。人間に残された唯一の国、グランツ王国の中心地です」

「唯一の? ほかの国は?」

「それは、あとでお話ししましょう」

 グランツ王国の王アンドレアス・グランツは1000年に渡り国を治めてきた不死の人王と呼ばれているそうだ。

「1000年、って」

「王都より南に位置する聖地フラムにて、彼の王は永遠の炎よりとわの命を授かったと言われています。アンドレアス王はグランツ王国と大樹ムンドゥスを守る素晴らしい王です」

 セシリアの顔が一瞬曇った気がした。

「聖地フラムはそうした逸話から王と関係が深いのです。今は王国騎士団シュテルンの騎士学校があります」

 シュテルン騎士団。アンドレアス王とともに国と大樹を守ってきたという、高潔な騎士団だとセシリアは言う。

「そして王都より西には法術協会のあるヴァイスハイト。法術師たちの住む街です」

「法術師? 魔術師とは違うの?」

「魔術は血で行うもの。法術は魔術をまねて人間が編み出した技術であり、修練を積めば使うことができるものです」

 才能か技術か、の違いだろう。

「法術は魔物に対抗できる大きな力です。法術師の教育に力を入れてきたグランツ王国だからこそ、今の状況でも生き残っていられるのでしょうね」

「今の状況?」

「先ほども言った、魔物のことです。あれらはひとを襲い、ひとを喰らう。突如として世界にあふれた魔物たちが次々に村を、街を、国を襲った。これが今から300年前のことです」

「300年……なんでそんなことに」

「それは、わかりません。突然変異とも神罰ともいわれていますが。グランツ王国はシュテルン騎士団と法術師が力を合わせて魔物を押し返しました。しかし、数々の国が滅び人間は減っていく一方。北の大地は氷に覆われ、南は砂漠化が進み、西は空を雲が覆い作物が育たなくなっている。世界は荒廃の一途をたどっています」

 私が迷いこんだ世界は予想以上に大変な状況のようだ。

「ねえ、セシリア。異邦人はもとの世界に帰れる?」

 セシリアは少し言いよどむと、こう告げた。

「異邦人がもとの世界に戻ったという話は、聞いたことがありません」


 翌日、私は謁見の間にいた。

 謁見の間とフェイたちは呼んでいたけれど、私が想像するようなお城はなくて、大きな湖の真ん中に大きな蓮の葉があって、その上にツタや木々や花々で飾られた自然の玉座が作られ、そこに女王ウェールがいた。

 美しい銀髪の長い髪を、妖精たちが楽しそうに編んでいる。大好きな女王さまにプレゼントだろうか、花を持ってくる小鳥たちや、湖に棲んでいるのだろう人魚たちがきらきらした石を彼女に手渡していく。愛されているのだろうなぁ、とひと目でわかった。だって私も、優しくほほ笑む彼女をすぐに好きになったから。

「来ましたか、いぶき。もうからだはよいのですか?」

「はい、おかげさまで。あの、いろいろありがとうございます」

「いいえ、礼などいりません。わたくしは、」

 ウェール女王は宝石のような瞳に憂いを滲ませながら、告げる。

「あなたを安寧の地より引きずり出し、恐ろしく大きな困難を背負わせようというのですから」

 やっぱりなぁ、というのが私の感想だった。

 この手厚い待遇には意図を感じていたけれど、あっさり明かされてむしろ拍子抜けだった。

「はあ。やっぱりなにか、とんでもないことに私は巻き込まれたんですね」

「そのとおりです。わたくしはこの大陸ファートゥスを救うため、この世界とは一切かかわりのないあなたを巻き込みました。そして、あなたが拒否するならばどのような手段も講じるでしょう」

 自然に愛される心優しい女王さまは、正直で誠実で一途な人柄のようだ。愛するもののためなら、彼女はどんなことでもするのだろう。

「それで、私にいったいなにをさせるつもりなんですか?」

「この大陸のことは、どこまで聞いていますか?」

「ええと、大樹ムンドゥスから生まれた世界で、今は魔物がはびこってて、そのせいで人間が大ピンチ、ってところまでは」

 女王さまはそのとおりです、と頷いてさらに付け加える。

「この世界にあふれる魔物たちは、もとは我々幻想のものたちです。ですが、我々とは一線を博する存在。300年前にまき散らされたわざわいの化身なのです」」

「わざわいって?」

「穢れです」

 またもやニューワードが出てきた。

「穢れとは、魂のあしき部分―――悲しみ、怒り、憎しみ、そして過度の欲望から生まれるもの。今、大陸全土は穢れによって破滅の一途をたどっています」

「あのぅ、質問いいですか?」

 ウェール女王が優しくうなずく。

「怒るとか、悲しむとか、そういうのってべつに悪いことじゃないと思うんですけど」

 昨日のフェイやレオおじさんは、亡くしただれかを想って悲しんでいた。きっと、怒ってもいる。そういうものを悪いって言い切ってしまうのは、違和感がある。

 ウェール女王は「かしこい子ですね」と笑った。

「ええ、もちろん。愛ゆえに憎むことも、悲しみゆえに優しくなることもある。そして穢れも、自然に浄化される……本来なら」

「本来なら?」

「今、この大陸ファートゥスは呪われています。穢れの浄化は滞り、大陸全土を覆い尽くさんとしています。そして穢れは、魂をそのままかたどった我々幻想のものたちに強く影響する。穢れに呑まれた幻想のものたちは理性を失い、多くのものを傷つけ、奪っている。これが魔物です。ゆえに人間はわれわれ幻想のものたちを敵視し、滅ぼそうとしています」

 要約すると。

 穢れという病にかかった幻想のものたちが暴走して人間を襲い、人間は幻想のものと魔物の区別がつかないからとりあえず全部やっちまおうぜ、という状況らしい。

「どうして穢れの浄化が滞ってるんですか?」

 それが自然現象の一部であるなら、理由もなしにそのシステムが崩れるわけがない。

 女王さまは双眸に悲しみを宿らせる。美人は憂い顔も美人だなぁ。

「本来、穢れの浄化は我らが王、フトゥールムが担っていました。彼の王は幻想のものを守護する王。穢れを浄化し、大地と海と空、あらゆる命と自然を守ってきました。しかし、彼は300年前に死にました」

 浄化システムのかなめがなくなり、世界は混乱に陥ったのだ。

 以来魔物に怯える人間たちが幻想のものに刃を向けるようになり、争いを厭う幻想のものたちはこの森に結界を張り、人間と穢れの影響から逃れたというわけだ。

「で、私がここに来させられたのは、穢れをなんとかするとかいう話ですか?」

「そのとおりです」

 話の文脈を拾えば察しはつく。

「あなたには穢れを浄化する力があります。わたくしはずっと探していた。あなたの力なら、この大陸ファートゥスを、大樹ムンドゥスを、生きとし生けるものたちを救える」

 RPGよろしく、私にはなにか特殊な力があるらしい。

 だけど、それはつまり、

「命がけになるでしょう。そしてあなたにとってはまるでかかわりのない話です」

 そうでしょうね。

 私は赤の他人の事情に巻き込まれ、私にとっては理由のない戦いを強要されているわけだ。

「ちなみに私が断ったときは?」

「レオンティウスに命じ、あなたの意思を奪います」

 女王さまえげつない。

 私は笑ってしまった。こんなにまっすぐで、こんなに誠実で、こんなに優しくて、こんなに冷徹なひとは見たことがない。

 多くのものを背負うとはこういうことなんだろうな。15歳にはちょっとわかんないけど。

「理不尽を強いていることはわかっています。この件について、わたくしは赦しを請わない。わたくしがわたくしの意思で、あなたという命の権利を奪っている。恨んでも、憎んでも構いません」

「ひとつ、聞かせてください。浄化はほんとうに私しかできないんですね」

「はい」

「それはなぜ?」

「理由はわかりません。ですがあなたの身体には、特に、その左手には、我らの王、そしてわたくしの伴侶、フトゥールムの力が宿っている」

「あぁ……」

 私は深く息を吐いた。

 そうか、やっぱりそうなのか。

 それなら私の選ぶ道はひとつだけだ。

「わかりました。協力します」

 この世界を、救わなければ。


 覚えているのは炎。

 あらゆるものを壊し、壊し、壊す炎。

 だれかの声が聞こえる。悲しむ声。苦しむ声。恨む声。ここには死が満ちていた。

 頬に降り注ぐ火の粉を、私はけれど振り払うことさえできなかった。

 腕が上がらない。息ができない。痛みもない。自分が生きているのか、死んでいるのかもわからない。

 真っ黒になった自分の左手が作り物のように見えた。

 わかるのは、これからすぐに私は死ぬだろうということ。

 さっきまで私を励ましていた父の声がもうない。私を抱きしめる母の腕ももう温度を感じない。

 寒い。

 炎に焼き尽くされる現実のなかで、私は、凍えていた。

 寒い。寒くて、寒くて、息が震える。私は死ぬんだ。みんなと一緒に。地獄で一緒に。この目を閉じたら、もう、すぐに。

 そうしたら。

 そうしたら、怖くなくなるだろうか。

 この涙は、止まるだろうか。


「―――なんてことだ」


 男のひとの声が聞こえた。

 いつのまにか、彼は忽然と私の前に現れた。

「ああ、なんて、ことだ」

 嘆いているようだった。悲しみに満ちた彼の手が、私の真っ黒になった左手を握った。

「すまない……」

 彼は繰り返し懺悔する。

 すまない。すまない。すまない。

「いい、よ」

 なんのことかわからなかったけれど、私は、父が私によくそうしてくれたように、言った。

 そして余力すべてを使って笑いかける。

 泣いているひとには、やさしくする。母が教えてくれたように、した。

 感覚のなくなった左手を、彼が強く握りしめるのが見えた。

 熱なんてもう感じないはずなのに、なぜか、それを暖かく感じた。

 ああ、よかった。私はひとりじゃない。

 そこで意識を手放した。

 次に目覚めたときは病院だった。

 左手はすっかりきれいになっていた。


 部屋に戻る気にならず、私は里をぶらついていた。

 妖精、ハーピー、ゴブリン、オーク。ここにはいろいろな種族がいる。これが現実とはなぁ。人生、なにが起きるかわからないものだ。

「いぶき」

 切り株に腰を下ろして里の住人たちを眺めていると、セシリアがやってきた。

 腰に両刃の剣を刷いただけの軽装だ。歩いているところは初めて見たけれど、立ち居振る舞いも洗練されていてきれいだ。スポーツをやっているひとの身体をきれいだと思うのに似ている。

 だけど顔色が優れない。

「こんにちは、セシリア。散歩?」

「こんにちは。いえ、今日は女王ウェールに呼ばれて、今、謁見してきたところです」

「セシリアも?」

「ええ。いぶきも、ですか?」

 私は女王さまからの話をかいつまんで話した。

「浄化……。穢れのことは聞きましたが、あなたに、そんな力が」

「女王さま、セシリアにはなんて?」

「あ、ええ、たいしたことは……いえ、たいしたことなんですが」

 言いよどむ。

 セシリアはひどく動揺しているようだった。本人は平静を装っているけれど、顔色に出ている。

「それで、いぶきはどうするつもりですか?」

「私? うん、やるよ」

 え、という口の形でセシリアが固まった。

「本気、ですか?」

「うん、なんで?」

「それは、ですが、あなたは」

 まあ、言いたいことはわかる。

 私は異邦人で、本来ならこの世界とはなんの関係もなくて、助ける理由も守る義務もないだろう。女王ウェールも私が即決したことに驚いていた。

 だけど、あるのだ。助ける理由も、守る義務も。

「私、子どもころね、死にかけたの」

 死亡者数が万単位で数えられるほどの大規模災害によって、私は家と家族と故郷を失った。

「だけど神さまが助けてくれた」

 顔も覚えていない、男のひと。私を救ってくれたのは彼だ。死にかけて幻覚を見たのだろうとお医者さんは言ったけれど、私は覚えている。真っ黒になった私の左手。今はこうして普通の手のように見えるけれど、これはきっと彼が治してくれたのだと。

「幻想の王、フトゥールムの力がここに宿っているんだと思う。だから私は今こうして生きていられる」

 どういう経緯で彼があの場に居合わせたのか、今となってはわからない。

 けれど私は彼に助けられ、おばあちゃんに守られ、10年間生きてこられた。

「それに、おばあちゃんも言ってたから。困っているひとがいたら助けてあげなさい、って」

「おばあさま、ですか?」

「もう死んじゃったけどね」

 つい最近のことだ。

 10年前の大災害により家族を失った私は、どこにも行く宛てがなかった。そんなとき、同じように入院して同室にいたおばあちゃんが、私を引き取ってくれたのだ。自分も家族を亡くしてしまったから、と言って。

「なんの血のつながりもない私を、ただ同じ部屋にいたっていうだけの理由で、おばあちゃんは引き取ってくれた。私、おばあちゃんに恩返しするつもりだった。大人になったら、お医者さんになって、たくさんのひとを助けて、おばあちゃんにもらったものを返して。でも、おばあちゃんは死んじゃったから」

 病床に伏しながら、途方に暮れる私におばあちゃんは言った。


『もしも私に恩を感じているのなら、あなたはそれを、ほかのひとに返しなさい。生き物はそうやって、みんなでつながりあって生きているのよ』


「だから私は、もらったものを返そうと思う。命を救ってくれたフトゥールムっていう王さまがこの世界を守っていたのなら、私が代わりに守らなくちゃいけない」

 今度は、ちゃんと。今度こそ、ちゃんと。

 私は恩を返せるのだ。

 だからむしろ、私は私を見つけて、ここに呼んでくれた女王さまに感謝している。

 これでようやく、私は私の役目を果たせる。

 そこまで黙って聞いていたセシリアは、ふ、と短く息を吐いた。

「あなたは強いのですね、いぶき」

「強くなんてないよ」

 やるべきことを見つけただけだ。

 セシリアは首を横に振る。

「自分の決めたことを迷わず行おうという意思は、なによりも強さになります。私とは違う」

「セシリア?」

「私は、……私は……」

 私はセシリアの手を取る。

「セシリア、なにがあったの?」

 セシリアは唇を震わせて、泣きそうな眼で私を見つめる。迷子の子どもような顔だった。不安におびえ、行き場を失って、ただ立ち尽くしているような。

 私は立ち上がって、セシリアの頭に手を伸ばした。

「い、いぶき?」

「うん、いいよ。なにも言わなくていい」

 悪夢を見た夜、おばあちゃんがよくやってくれた。セシリアのほうが背が高いから、私じゃちょっとかっこつかないけれど。まあ、こういうのは気持ちが肝心だ。

 というか、セシリアの髪はさらさらでうらやましい。私は髪質が固いしくせがあるから、朝とか結構苦労するんだけど。

 セシリアは困惑を隠せないまま、その場で固まっている。もしかしてこういうの慣れていないのだろうか。しっかりしていそうだし、頼られるほうが多かったりするのだろうな。

「あ、あの、こういうのはその、ちょっと……恥ずかしいのですが」

「まあまあ」

「いぶき……」

「まあまあ」

「……楽しそうですね」

 うん、結構。っていうかだいぶ。

 セシリアの髪、触ってると気持ちいい。柔らかい絹のような感触だ。いいなぁ。

「いぶきの手も、心地よいです」

 そう?

「はい。柔らかくて、きれいで、戦うことを知らない、よい手です」

 それはいいことなのかなぁ。

「いいことですよ。平和である証拠ですから」

 なるほど、そういう考え方もあるか。

 騎士として守ることを主体に生きてきたセシリアにとっては、私のちっぽけな手がいいもののように映るのだろう。

 セシリアがだいぶ落ち着きを取り戻し、そろそろ帰ろうかと私が手を止めようとしたときだった。

 悲鳴が聞こえた。

「今のは」

「あちらですね。見てきます」

 里から離れる方向、森のなかにセシリアが飛び込む。私もあとを追う。

「いぶきは戻ってください」

「だめだよ。今の、フェイの声だった」

「フェイ?」

「私の世話がかり!」

 セシリアは私を止めても無駄だと悟ったのか、しっかりついてきてください、と言ってさらに速度をあげた。ただでさえ慣れない森のなか、セシリアのスピードについていくのは至難の業で、なんとかその背中を見失わないようにするのでせいいっぱいだった。

 悲鳴の方向からほかの妖精や幻想のものたちがこちらに向かって走ってくる。なにかから逃げているようで、みんな必死だ。

 すれ違いざま妖精に問う。

「ねえ、なにがあったの!?」

「穢れよ、結界のなかに入ってきた! あなたたちも逃げなさい!」

「フェイは!」

「みんなを逃がすためにとどまってる!」

「フェイ……!」

「……いぶき、捕まってください」

「へ?」

「全速で走ります。あなたではついてこられないでしょう」

「え、ちょっ、待っ」

「行きます!」

 待ってセシリアこれお姫様抱っこ! 言う暇もなくセシリアが私を横抱きに抱え上げて走り出した。先ほどとは比べものにならないほどのスピード。いや、これ、人間が出せる限界速度軽く突破してない? しかも人間抱えながらこの速度ってセシリア、オリンピック選手軽く超えてるよ! でもありがとう!

 おかげで悲鳴のおおもとまですぐだった。

 森のぽっかり開けた場所に出ると、フェイがいた。対峙するのは黒い、狼のような獣。額に真っ黒な石が埋まっている。ひと目見た瞬間、私の全身に鳥肌が立った。これは生き物じゃない。憎悪、憤怒、怨嗟、あらゆる悪意を固めて無理やり生き物の形に押し込めたようななにか。

「立てますか?」

「う、うん」

 これが、穢れだ。

 私は無意識に左手を握りしめた。

 セシリアが剣を抜いて私の前に立つ。

「妖精、引きなさい。その魔物は私が請け負います」

「なにしに来たのよ人間! って、いぶきまで!? ―――ひゃっ」

「フェイ!」

 フェイが私に目を向けた瞬間、魔物がフェイに飛びかかる。

「こんの……うざい!」

 すんでで牙を躱し、フェイが炎の球を飛ばす。魔物が飛び退ったところへセシリアが切りかかった。

「はっ」

 斬った、と思った。魔物は血ではなく黒い靄をまき散らし、さらに飛び退る。

 セシリアという前衛を得たフェイが後ろに下がりながら叫ぶ。

「人間、そのままそいつの気を引いてなさい。だけど絶対殺さないで」

「なぜですか?」

「穢れた幻想のものは死ぬと穢れをまき散らすのよ! それがさらに穢れを生むの」

「そんな……っ」

「だから浄化が必要なのよ! わかった、いぶき!」

「はあ」

「なにその気の抜けた返事!? しっかりしてよっ、あなたが頼りなのよ!」

 わかってる。わかってはいるけれど、これ、どうやって浄化すればいいの?

「そんなの知らないわよ! 自分でなんとかして!」

 丸投げかよ。

 セシリアに斬りつけられるたび、魔物は黒い靄や飛沫を撒いている。それらは草木や大地に不穏なシミを作っていく。

 穢れって感染性の病みたいなもんなんだな。

 だけどほんと、浄化ってどうすれば。

 まごついている私を見かねたフェイが、魔物をセシリアに任せて私のほうへ飛んでくる。

「いぶき、あなたは一度浄化をしてるのよ」

「え、いつ?」

「あの人間も穢れに侵されていた。それを助けたのはいぶきなの」

 穢れって幻想のものに取りつくんじゃなかったっけ。

 そうは思ったけれど、ひとまずそれは置いておこう。

「一度やったこと、二度めだって必ずできる。あの人間を救ったときのことを思い出して、同じようにすればいいの」

 そんな自転車乗るみたいなノリで言われても。

「ごちゃごちゃ言わない! 早くする! でないとあの人間が食われて死ぬわよ!」

 わかってるって。

 あのときは、たしか、左手が熱くなって―――そう、左手が。彼に救われた左手が。

 ふっと、左腕が熱を持ち始めた。血流が勢いを増す。鼓動を感じる。左手に宿る力の鼓動を。

「その手……」

 フェイが呆然とつぶやいた。

「力を感じる。……王さまの力……」

 ああ、と、涙に滲んだ息を漏らして、フェイが笑った。

「王さま、ここにいたのね」

 フェイが私の左手を握る。暖かい。熱が増す。

「おかえりなさい、私たちの王さま、―――フトゥールム」

 歓喜の熱が、光となってあたりを満たした。

「いぶき!」

 剣で魔物を切り伏せたセシリアが鋭く呼ぶ。

「いぶき、あの魔物の額の石を狙って! あれが穢れの核よ!」

 光。これが浄化の力。だけどわかる。これではだめだ。密度が薄い。集めなければ。集めて、固めて、打ち出すのだ。左手を前に突き出す。集まれ、光。

 収束していく光。もっと、もっと固く、小さく、濃く。

 光は弾丸のように小さく固まっていく。

 起き上がろうとする魔物の首をセシリアが剣先で突き刺し、地面に縫い付けた。悪意の咆哮が響く。黒い靄が土を汚す。

「セシリア、そのまま!」

「はい、いぶき!」

 光の弾丸を打ち出す。弾丸は曲線を描いて魔物の額を打ち貫いた。私は反動で吹き飛ばされ、背中を強かに打ちつけた。


「どうして?」

 声がした。

 少年の声だった。

「どうしていじめるの?」

 泣いているようにも、怒っているようにも聞こえる。

「ぼくは、ただ、なかよくしたいだけなんだ。だって、いままでずっと、そうしてきたじゃないか。ずっと、ずうっとむかしは、そうだったじゃないか。ぼくら、ずっといっしょに、いきてきたじゃないか」

 真っ白な視界が次第に開ける。

 目の前にはたくさんの人間。冷たく、憎しみに満ちた視線に私は怯えた。怯えながら、悲しんでいた。

 もどろうよ、もどりたい、もどらなくちゃ。

 私は必死にそう呼びかける。もう一度、あのころのように手を取り合って、一緒に生きていこう、と。こんな世界でも。こんな世界だから。

「ぼくら、また、ともだちになれる」

 だけど言葉は届かない。

 人間たちが武器を手に私を追い回す。私は泣きながら森へ逃げ帰った。

 かつてはともに生きた命だったのに。

 どうして、今はこんなにも遠いのか。

 ―――どうして、今はこんなにも。


 目を開くと、セシリアが心配そうに私を見ていた。

「いぶき、無事ですか?」

「起きた、いぶき?」

 フェイが私を覗き込む。どうやら私は倒れて、そのまま気を失っていたようだ。

「うん、平気。ちょっと背中打っただけ」

 半身を起こそうとする私をセシリアが支えてくれる。

 あれだけの騒ぎだった広場はしんと静まり、やがて清涼な風が吹き込んできた。

「これが、浄化……?」

 呆然とつぶやく。しみついた穢れが今はもうどこにも感じられない。あれだけの悪意、あれだけの憎しみがかけらも見当たらない。

「そうよ。久しぶりに見たわ。懐かしいなぁ。けどまだまだね」

「そうなのですか?」

「ええ。フトゥールムならあの程度の穢れ、腕の一振りで浄化していたわ」

 王さますごすぎ。私は背中痛い。

「いぶき、大丈夫ですか? どこか、怪我でも」

「自分の力の反動で吹き飛ばされたのよ。もう、しっかりして」

 いやあ、面目ない。

「でも、上出来よ。やっぱりあなたは素敵ね、いぶき!」

 そういうまっすぐな褒め言葉は非常に照れる。もっと言ってほしい。

「うんうん、見事な浄化だ。これならおれが手を出すまでもなかったなぁ」

 いつからいたんですか、レオおじさん。

「妖精たちに呼ばれて駆けつけたんだけれどね。まさか一発で浄化を成功させるとは思わなかったよ」

「もしかして見てました?」

「うん」

「なによ、じゃあ手伝ってよ!」

「いや、だってフェイとセシリア嬢がいたし、おっさん足腰弱ってるし」

「口が動けば詠唱できるでしょ」

「フェイちょっとおっさんに厳しすぎない? 老体労わってよ!」

 まあ、なんだ。

 レオおじさんはたぶん私が浄化できるかどうかを見極めようとして静観したのだろう。女王さまといい、結構スパルタだ。

「あの、ところで、そろそろいぶきを休ませたいのですが」

「いや、むしろセシリアのほうこそ、怪我してない?」

「平気です。むしろ身体がほぐれました」

 みんなタフすぎない?

 私はもうくたくただ。

「慣れない力を使って疲れたんだろう。部屋まで送るよ」

 そういって、レオおじさんがとんと杖で地面をたたくと、魔法陣が現れた。なにこれ。

「転移魔術だよ。部屋まで送る。セシリア嬢、一緒に行ってくれるかい?」

「はい、もちろんです」

「フェイはおれと一緒に女王さまに報告だ。それから、あとでふたりに暖かい飲み物を作ってやって」

「はーい。いぶき、それとセシリアも。来てくれてありがとう。またあとでね」

 私たちがうなずくのを見届けて、レオおじさんが魔術を発動させた。


 私たちは私に与えられた部屋の真ん中に移動していた。

「はー、これが魔術……」

「転移魔術、初めて体験しましたが、ふしぎですね。いぶき、立てますか? ベッドまで移動しましょう」

「いやぁー、あはは」

「……いぶき?」

 立てない。

 腰が完全に抜けている。生まれて初めて戦いというもの目の当たりにして、私の身体は今になって力を失ってしまったようだ。

 意思に反して全身が震えだす。

 私を支えていたセシリアにも伝わってしまったのだろう。セシリアは少し考え込むと、

「いぶき、失礼します」

 私を軽々と抱え上げた。いやだから、なぜお姫様抱っこ。

「無理をしないでください。あなたにはあのような荒事は初めてだったでしょう。こちらこそ、気遣いが足りず申し訳ありません」

「それは、いいんだけど」

 セシリアは私をベッドにおろすと、サイドテーブルに置かれた水差しでグラスに水をそそぐ。手渡されたグラスに口をつける。生き返る。

「セシリアって力持ちなんだね」

「え?」

「あー、いや、女の子にこんなこと言うのは失礼かもしれないんだけど。ほら、さっき走ってたときもすごく速かったし。この世界のひとってみんなあんな感じ?」

 物理法則が私の世界と違うのだろうか。

 そもそもひとを横抱きにするって相当負担が大きいような気がする。

 セシリアはしばらく黙り込んでしまった。まずいことを言ってしまったのだろうか。

「セシリア? えっと、ごめん、私なにか……」

「いえ、いいんです。そうですね、たしかに、ふしぎに思われても仕方がないでしょう」

 あなたには言っておくべきですね、と続けてセシリアは息を吐いた。

「今日、女王ウェールに呼ばれたということは話しましたね」

「うん、さっきの話だよね」

「そこで、女王より聞かされたのです」

「なにを?」

 セシリアは指を組んだり、開いたりしながらことばを探しているようだった。

「父について、です」

「お父さん」

「はい。私は生まれる前に父を失い、母とふたりで暮らしていました。その母も、もう15年前に亡くなりましたが」

 自分の手元を見つめるセシリアの目が、お母さんのことを話すときだけやわらいだ。大好きだったんだね、お母さんのこと。

「その、お父さんって?」

「母からは腕の立つ戦士だったと聞かされていました。守るべきものを守って死んでいった勇敢なひとだと。ですが、」

 セシリアはわずかに声を震わせた。

「人間ではなかった。父は剣精グラディウスなのだと、女王が」

 これはあとで聞いた話だが、剣精グラディウスは争いを厭う幻想のものたちのなかでは珍しく戦いを好む精霊で、はるか昔は気に入った人間に剣を教え、加護を与えたという。しかし、人間どうしの戦争に関わって命を落としたらしい。

「自分の力が人間離れしていることはわかっていました。けれど、見て見ぬふりをした。私は人間なのだと、そう言い聞かせて。そうでなければ、……そうでなければ」

 苦しそうに顔をゆがめ、うつむく。

 震える手に手を重ねると、セシリアの肩から少し、力が抜けた。

「思えば、彼らのほうが正しかったのですね」

「彼らって?」

「王と、法術協会、そしてダリウス騎士団長」

 セシリアが笑う。自分をあざけるような笑い方だった。

「彼らは言いました。私の力は常軌を逸している。こんなものは人間ではないと。私は、」

 魔物だと。

 泣きそうな声だった。いや、きっと、泣いている。涙を流していないだけで、セシリアはずっと、泣いていたんだ。

「私は人間だと言いました。でもだれも聞いてくれなかった。人間のふりをして騎士団に潜り込み、グランツ王国を滅ぼすつもりなのだとみんなが言いました。私は、ただ、守りたかったのに。もうだれも傷つかなくて済むように。もうだれも泣かなくて済むように。もうだれも―――喪わなくて済むように」

 だけど、と言いながら、セシリアの眦からついに、涙がこぼれる。

「今だって、これからだって、私はみんなを守りたい。みんなが怯えずに済むように。もう大丈夫だって言えるように。明日が当たり前に来るんだと、みんなが信じていられるように」

 セシリアの頭を引き寄せる。

「いぶき……!」

 背に回される両手がすがりつくようで、痛々しい。

「この願いは罪ですか。この想いは罪ですか。この命は罪ですか。私は、私は、」

 その願いは本物で、その想いは真実で、その命は尊くて、だけど受け継ぐ血だけで拒まれる。

「私は、生きていてはいけないのですか」


―――ぼくら、また、ともだちになれる。


 少年の声がリフレインする。そうだね、願いや想いが通じないのは、大好きなひとたちに拒まれるのは、とても悲しい。

 悲しくて寂しくて、寒くて、凍えてしまいそうで。

 だから、魔物になってしまったんだ。

「聞いて、セシリア」

 涙に濡れてもなお美しい騎士の顔を見据え、私は言う。

「私はこれからこの世界を救うよ。世界を浄化し、魔物を浄化し、これ以上穢れによってだれも傷つかなくて済むようにする」

 だから。

「手伝ってほしい。セシリアがまだこの世界と、この世界に生きる命が好きだというなら、どうか、」

 セシリアの双眸に僅か、光が戻る。

「私を守って」

 ぼくら、また、ともだちになれる。

 彼の望み、その想い。夢物語と一蹴させない。

 私がこれから紡いでみせる。

 そのための命だ。


 旅立ちはそれから1週間後のことだった。

 快晴の空を仰ぎ、私は一度伸びをしてみる。いい日だ。出立には上出来の気候である。

「お待たせしました」

 真新しい鎧を着こんだセシリアが、私の隣に立つ。

 フェイとレオおじさんも一緒にやってきたようだ。

「森の外まで送るよ」

「あたしはついていくわよ! いぶきのお目付け役だもの」

 フェイが誇らしげに胸を張って、私の肩に乗る。よろしくね。

「セシリア、腰の剣をこちらに」

「え? ですが」

「代わりにこれをやろう」

 レオおじさんが空中に魔法陣を描き、その中に手を突っ込む。どこぞの四次元ポケットよろしく、中から一振りの剣を取り出した。

 装飾の一切がなく、セシリアにあとで聞いたら、かなりの業物だという話だった。

「これは?」

「グラディウスが鍛えた剣だ。名をフォルティス。きみの助けになるだろう」

 セシリアは一瞬ためらったあと、剣を受け取った。

「ありがとう、ございます」

「礼はいいよ。道具は持つべきものが持ったほうがいい」

 おれは剣は苦手だからね、とレオおじさんが肩をすくめる。

「レオおじさんはへっぽこだから」

「うるさい。ほら、もう行くよ」

 レオおじさんは杖で地面をたたく。魔法陣が私たちの周りを取り囲む。

「いぶき」

 呼ばれて顔を上げる。レオおじさんが神妙な顔で私を見つめていた。

「重荷を背負わせたこと、おれは謝罪しない。その代わり、これからおれができる全力できみを助けるよ。だから」

 魔法陣の光が強くなる。

「この世界を、よろしく頼む」

 返事の代わりに私はほほ笑んだ。

 謝罪はいらない。私は私が成すべきことを成すだけだ。

 魔法陣が発動する。

「あ、あとお土産よろしくー」

 いい話で終わっとけばいいのに。

 一瞬で私たちは森の外にいた。

 見渡す限りの草原。滅びかけているとは思えないのどかさだ。

「レオおじさん、なんでかっこよく終われないのかしら」

 フェイの言葉に私は無言でうなずく。セシリアは苦笑していた。

「ま、いいわ! とにかく前進よ、いぶき、セシリア!」

 旅はまだ始まったばかりだ。レオおじさんへのお土産は、そのあいだに決めておこう。

「ええと、まずは……要塞都市シルト、だっけ?」

「はい。ここから西にある都市です。この辺いったいでは一番大きな街でしょう。そこで情報を集めます」

「んん、おっけー。そんじゃま、出発しんこー」

「おー!」

「……?」

 元気よく腕を振り上げるフェイと対照的に、セシリアはクエスチョンマークを浮かべている。

「セシリア、おーって、ほら」

「お、おー……?」

 こうして私たちの旅は、いまいち締まらないまま始まった。

 この旅路は、のちに救世の物語として、永く語られることとなる―――と、いいなぁ。

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私が世界を救ったときの話 あみの @amino003-1029

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