【11】 男の審判

・父、篠宮社長の評価


 その人が選んでくれた服を着ると、いつもと違う女になれる。

 なんだか今日は、ちょっと大人になった気分。

 光沢のあるストライプ地のブラウスにリボンを結んで、上品なひざ丈のキャメルスカート。黒いタイツにアンクルストラップの黒ヒール靴。

 クラシカルな映画の女優さんみたいなスタイル。


 でも。そんな素敵なスタイルにしてくれた専務と一緒に、眞子は社長室のドアの前に並んで立っていた。

「酷いことを言われても、眞子さんは黙っていて」

「大丈夫です。おそばにいます」

 専務もきりっとした面持ち、凛としたスーツ姿でドアに向かっている。

 彼がノックをすると、『はい、どうぞ』という社長の声。

 二人一緒に、重い気持ちのまま社長室へ入る。

「おはようござます、社長」

「失礼いたします、社長」

「おはよう、専務。……本田さんも来てくれたのだね」

 にこりとも微笑んでいない篠宮社長が、今日も紺色のダンディーなスーツ姿で社長デスクに鎮座している。

 硬い顔のまま、専務と一緒に社長デスクの正面へと並ぶ。

「昨日の、丸島屋プレタポルテフロア改装に伴う場所決め。思わぬ結果となりまして、申し訳ありませんでした」

 専務が深々と頭を下げたので、眞子も一緒に頭を下げる。

「まあ、しかたがない。決まってしまったことだ」

 社長も深い溜め息。

「読みが甘かったと反省しております。だからとて、許されることではないことも、取り返しがつかないことになったことも身に沁みているところです」

 頭を下げたまま、重々しく心情を伝えるその声に、眞子も胸が締めつけられる。

「そうだな。東京リラのセカンドブランドが参入することがわかっていて、ロープライス設定だから壁側の箱型店舗には配置されないだろうという緩みはあったかもしれないな」

「申し訳ありませんでした」

「で、専務はどうするのだね。このままというわけにはいかないだろう。このままでは、任せてくれた横浜シルビアに顔向けができない」

 責任を取れ。社長がそう言っているのがわかり、眞子はヒヤリとした。

 提案書ぐらいでは、まさか許されないのでは。そんな気にもなってきた。

 それでも専務は毅然とした姿で、顔を上げた。

「これぐらいで責任を取れるとは思ってはおりませんし、今更ではありますが。このようにしていきたいという大方の指針をまとめさせて頂きました」

 昨夜、二人で徹夜して作ったものが提出される。社長デスクの上に、書類が置かれる。

「これ、おまえが考えたのか」

 初めて、社長が驚いた顔で息子の専務を見た。

「はい。本田と共に、あの場所故の対策などを考えてみました」

「どれ……!」

 いつになくあのクールな社長が興奮しているように見える? すぐに息子が作った提案書をめくって、眼鏡をかけて読み込んでいる。

「ふうむ。うん、いいものもある。確かに。二店舗分の広さを取れたこと、改装費をだいぶ上乗せしてもらったことは救いであって、それが逆にこれからの戦略でもあるな」

「手狭だった店舗を、いまよりグレード感ある改装にして、ゆったり過ごせる接客スペースを取りたいと思います。あちらのセカンドブランドより、クオリティ感のあるものに」

「そうだな。あちらは、せせこましくカジュアルな店になるだろうから、逆にこっちはグレード感を出そうというわけか」

「改装後オープンにはすべての顧客にお招きのDMを発送します。できれば、その時にこの場所にお引っ越ししたという印象づけのイベントもさせていただきたいです。内容はこれから検討させてください」

 そこで社長が提案書を閉じ、デスクの上にさらっと置いた。

 社長の皮椅子で悠然と足を組み、息子の専務をじっといつもの冷淡な視線で睨んでいる。

 眞子もドキドキ。だめなのかな、怒られちゃうのかな。専務がめちゃくちゃにこき下ろされるのかな、どうしよう――と。

「慎之介。ふて腐れてメソメソしていたら不合格。きっとそうだろうと思って、説教を用意していたのだが……。言う気が失せた」

 怒ろうとしていたが、怒るのやめた。そう言われたのだとわかり、専務が信じられないという顔で父親を見ている。

「そう。失敗してもだな。こうして悪あがきをする。それが、いつかおまえがこの椅子に座る時にどんなときもしなくてはならないことだ」

「父さん……」

「おまえに任せた私にも責任がある。それに……。どこかこうなるのではないかと覚悟はしていた。横浜シルビアさんもそれとなく予感はしていただろう」

「ですが、俺は、俺がもう少し……」

「もし。この場所から移動させられるなら、いまより広いスペースを、改装費を出してくれること。その条件をもしもの時におまえは提示していた。そうしてくれなければ、最終的には撤退するとまで伝えていたそうだな」

「はい。長年、横浜シルビアのミセス服は親しまれてきましたし、知名度もあります。質も良く品も良いお洋服を買うなら横浜シルビア。愛好者の年齢層があがっても、百貨店が呼び込みたいミセス&シニア層がブランド的に合致しています。東京リラのセカンドブランドが成功するとも限りません。それに比べて、横浜シルビアには歴史と経歴、実績があります。それをここで外すなら、よその百貨店の参入を考えるまで。そう告げました」

「それが功を奏したと思わないか。私は、負けてもただでは済まさない、そうした専務の駆け引きを評価する」

「それ、本当ですか……。社長……?」

 負けても評価する。父親に、社長にそう言ってもらえ、専務はますます信じられないとばかりに茫然としている。

でも。眞子はもう嬉しくて、飛び上がりたくなった。専務、良かったですね――と抱きつきたい。

 そんな密かな気持ちを抑えていると、いつのまにか社長の視線が眞子へと向いている。

「慎之介。本田さんに感謝するんだな。以上――」

 それだけ言うと、社長は椅子をくるりと回して後ろの窓へと背を向けてしまう。

 専務もちょっと申し訳なさそうに、そんな父親の背を見つめている。自分ひとりでは酒に酔いつぶれて終わっていたかもしれない。本田さんと一緒にいたからこうなれたのだろう。そう言われていると思っているようだったし、眞子も社長がゆうべのことに気が付いていたのだと悟ってしまう。

「失礼いたします」

 ふたり一緒に社長室を出た。

 社長室を出ると、事務室のスタッフがとても心配そうにして専務を見ていた。

 社長室ドアの前はカンナ副社長のデスク。彼女ももうそこにいて、硬い表情で甥っ子を見ていた。

「慎之介、どうだった」

「うん、大丈夫だった」

「へえ、兄さん。怒らなかったんだ」

 カンナ副社長も驚いている。

 専務はそのまま副社長デスクの前へと改まった。

「カンナ、いえ、副社長。俺にアシスタントをつけてくださって感謝いたします。ひとりではなにもできなかった」

「別に。慎之介の使い方がうまかったんだろう。私はいま、新しいアシスタント教育で忙しいから、もう返してくれなくてもいいよ」

「そういう意味ではなくて――」

 そんな叔母と甥のやり取りを見ていて――。眞子は気が付いてしまう。

 やっぱり。カンナ副社長は、わざと……。眞子を自分から切り離して、ひとりでは乗り切れないだろう甥っ子のためにアシスタントをつけたのだと。だとしたら。もうカンナ副社長のところには帰れないのかもしれない。

 それはそれで……。突然の別れのまま、もう一緒に仕事ができないのだとわかり寂しくなってしまう。

「あんたたち、これから改装だの、改装後の顧客案内とかで忙しくなるだろ。そっち、ちゃんとしなよ」

「うん、わかってる。ありがとう、カンナ。いえ、ありがとうございました、副社長」

 専務が恭しく礼をしている姿をみて、カンナ副社長が困った顔をしたので、眞子はそっと笑いたくなる。

「ああ、もう。朝からうっとうしいな。もう、やめなって。朝会、始めろっての」

 叔母さんにしっしっと追い払われ、やっと専務もいつものけろっとした甥っ子の顔になる。

 そんな専務と副社長を見て、場所取りに失敗した専務を案じていただろう古株のスタッフ達もホッとした面々を揃えている。

「よし、朝会を始めるぞ」

 今日は凛々しくきらっとスーツ姿の専務が、颯爽と周知のバインダー片手に事務室正面に立つ姿。

 眞子もほっと微笑んで、事務室の隅に控える。

 専務が周知を元気よくはきはきと伝える中、事務室の角に控えている眞子の隣にカンナ副社長が寄ってきた。

「眞子、今日のそのコーデいいじゃないか。どうしたの、急に女っぽくなってさ――」

 朝の周知中にこんな無駄話をしていたら、カンナ副社長こそ叱責するだろうに。彼女からそんな話題。

「もしかしてー、なんてね」

 甥っ子を見ながら、カンナ副社長がにやっとしたので、眞子はドッキリとする。

 ええ、まさか。そんなことまで見抜いちゃうの??

 ああ、でも。あの、かわいい甥っ子なら……。叔母さんもお父さんもなんでもお見通しなのかもしれない?

 だとしたら。ちょっと気をつけなくちゃ――。

 これから専務とおつきあいをするうえでと、眞子も気を引き締めた。


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