・独占しても?
黒いスラックスに白いシャツ銀のネクタイという、今日はシックな大人の男的なコーディネイトできめている専務が、いつもこの部屋におでかけ用のスーツなどを揃えているクローゼットへと向かっていく。
そこの扉を開けると、専務は大きな箱を一つ抱えて、また眞子が待っているソファーへと戻ってきた。
白くて大きな箱には、金色の大きなリボンがかけられていて、リボンの結び目には冬らしい赤い実や柊などの飾りがある。とても華やかにラッピングされた箱。
それを専務は古いテーブルに置いた。
「開けてみて」
「え? あの、私が、ですか?」
「そう。これ眞子さんのだから」
さらに眞子はギョッとして。ついに専務を見上げたまま硬直してしまう。
「私の……? いえ、あの、こういう贈り物は……」
「だから。眞子さんにと思って準備していたんだって」
うそ! そんなことってあるの!? 七つも年上の、ずっと遠いところにいる男性で、上司で専務だよ?? 眞子の頭の中にそんな言葉が何度も飛び交うまま、ただただ茫然とするしかない。
「い、いただく理由が……」
「理由……? いわないとダメなんだ……」
「だって、私、ただ専務とお仕事をしているだけの……」
「まあ、そうなんだけれど」
私達は仕事だけの関係ではないのですか。という返答をしたためか、それまできらっとしてた専務の眼差しが翳ってしまう。
「一方的だとはわかっている」
うつむいた専務が致し方なさそうに薄笑いを浮かべている。
「でも。せめて。眞子さんには感謝の気持ちだけでも、伝えたくて。俺が女の子に出来る最高のことって……」
最高のことって?
専務が出来る最高のこと。それがわかって、眞子は箱の中になにが入っているのかわかってしまう。
「もしかして。専務、私に……選んでくださったのですか」
専務が出来る最高のこと。その女性を素敵なスタイルに変身させてくれること。洋服を選んでくれること。
箱の中には専務が眞子のために選んだ服が入っている。それをもっと後の、素敵な日に渡す予定だったけれど、今日、着て欲しいから出してしまった――ということらしい。
そうすれば。着替えに帰らずに済む。きちんとした服装で、専務と一緒に社長のところへ、ふたりで一晩かけて作ったものを提出することができる。
眞子がそうしたいと言ったことを叶えるために。予定とは違ってしまったけれど、それを出すことにしたという専務の決意。
もう眞子は泣きそうだった。こんなふうにして、眞子のことを影で考えてくれていた専務の気持ちがいま、心の奥まで押し寄せてくる。
「開けさせていただきます」
金のリボンをといて、白い箱を開ける。ふわっとした薄紙に包まれている洋服……。
光沢があるクリーム色のクラシカルブラウスはストライプ地にリボンつき。ボトムは羊毛フェルトのふわっとした生地のキャメル色のフレアスカート。
「それはオフィス用なんだ。もう一つ……」
もう一つあるよと専務がにっこり指さしたもうひとつ下にも薄紙に包まれた服。その薄紙を開いて、眞子は息が止まるほどびっくりして、側に来ていた専務を見上げてしまう。
「これ、このワンピース……」
朝比奈店長に勧められたけれど、欲しかったけれど諦めたパールがついている黒ワンピースだった。
「どうして、専務」
「あ、やっぱり。欲しかったんだ。すごーく欲しそうな顔していたなあと思って」
「もしかして。帯広の末永様が来られた時……?」
「そう。俺がお嬢様にと末永様にお勧めはしたけれど、買われたのは色違いのグレーのワンピースを選ばれた。俺が勧めた黒いワンピースを眞子さんが片づけている時に、じっと見つめて溜め息をついていたから……。もしかしてと思っていたんだ」
そんな眞子の気持ち、専務は気が付いていた。そして、見ていてくれた?
眞子さんを見ていると心配だよ。
この子、明日は辞めてしまうんじゃないかと思っていたけれど、その女の子は――。
欲しそうにしていただろ。このワンピース――。
眞子は泣きそうになる。ずうっとそんな眞子のことを見ていてくれた人がいた。
口になかなか出して言えないことを、専務は言えるようにしてくれて。そして、眞子の気持ちもそっと気が付いてくれる。いつも!
「ほんとうは、当日に驚かせようと思っていたんだ。売れないうちに早めに買って置いてね。でも……、今日、それに着替えてごらん」
「こんな素敵にセレクトしていただいて……、断れないじゃないですか」
もう眞子の目に涙が滲んでいた。
「断られても困るんだけれど。アシスタントじゃなくて女の子の顔をした眞子さんが、喜んでくれるのをみたくて選んだんだから」
「……う、嬉しいです。だって……。私、これまでずっと……、ずっと……こんなこと……なくって……」
「俺も久しぶりだって」
「そんな、私のこと、気にしてくれる人がいるなんて……いないと、思って……」
そこで専務の『はあっ』という大きな溜め息が聞こえた。
「俺は、けっこう、前から、気にしていたんだけどな……」
また眞子はびっくりして今度はなにも言えなくなる。
前から気にしていた? つまり、専務は、つまり、眞子のこと……?
「地味ぃーな事務の子が入ったなあと思っていたんだけれど。その子が販売員の手伝いに行かされたら、けっこうな売り上げ成績をひっさげて帰ってきたりして『すげえ子だ』とパンチ喰らってからが、最初。アパレルなんて興味がないって女の子が、どんどんどんどんお客様の心を捉えて顧客を増やして、あっちこっちのショップに配置されて、先輩達に意地悪されていまにも辞めそうな顔ばっかりして。でも辞めない。そのうちに、華やかではないけれど、アパレルらしい品格ある服装をするようになって、ついには、あの叔母さんのお気に入りだよ。その『健気さ』が目に付かないはずはないでしょ」
知らなかった! そんな前から専務が眞子を見ていただなんて!? 地味で拙いばかりの仕事ぶりだったと思う。
東京帰りの大人の男で、既にバツイチで、別れた奥様も東京で出会ったモデルだったと聞く。美麗なモデル男並の専務が、そこらへんで地味に仕事をしている女になんか興味がないと思っていたのに……。
「その女の子に近づきたくてもカンナの目が光っていて近づけなくて。で、隙を見て……その、」
「えっ、いままで私にあれこれ雑用みたいなことをお願いしてきたのって……」
専務の顔が真っ赤になった。眞子もびっくりして顔が熱くなってしまう。
「そうだよ。ああ、そうだよ! 眞子さんと話してみたくて、眞子さんがどんな子なのか知りたくて、仕事をダシにして近づいていたんだよ」
きゃー、うそーー! あれってぜんぶ、専務が私と話したくてワザと近づくキッカケにしていたってこと!?
眞子の頭の中がぐるぐる、あれ発注しておいて、とか、シャツにアイロンしておいて、とか、髪の毛洗って! とか――!! あれってぜんぶ、眞子と話したくてしていたこと!?
「そうしたら。なにがあったのか。カンナが急に俺のアシスタントになんて。眞子さんがあんなに泣いたのはかわいそうだったけれど、俺はほんと、マジで、まさか明日から毎日眞子さんと仕事!! と、だいぶ舞い上がっていたんだよ」
「それって……、あの、どう、受け取っていいんですか。私、昨夜、専務にぎゅっとされた時。これってただのお仕事の、と思って……」
甘くて苦い思いを初めて抱いたのに。もしかして、もう苦くなくていいのですか?
そう言いたいけれど怖くて言えない。そして信じられない。現実のことじゃないようで。それに眞子もつい最近までまったく違う男性に夢中だったから。
「……ああ、ぎゅっとしたくなることなんて、しょっちゅうだよ。すごく我慢していた」
照れくさそうな専務が、ふっと眞子へとこぼした言葉。
「愛おしくて――、ずっと」
もう、眞子も止まらない――。昨夜、忘れようとした想いがここで鮮明になる。
「私、昨夜はお仕事の関係だから抱きしめてくれたと思うと……切なくて……、私なんて、仕事でしか……だめな女なんだって……哀しくて」
「ほんとに?」
眞子の気持ちを初めて知ったせいか、今度は専務がとてつもなく驚いた顔に固まった。
「うそだろ、眞子さん。だって、眞子さん……、これでまずっと……彼、」
やっぱり。専務は眞子がずっと徹也に片想いをしていたことに気がついていたよう。
「やっとけじめがつけられたんです。いつまでも敵わぬものに囚われていたことにも。これまでを捨てて、ひとりになって前に行こうと決めたところでした」
涙がぽろりと落ちてしまった瞳で、眞子は専務を見上げた。
初めて涙を拭いてくれた時のように、でも今度はハンカチではなくて、専務の長い指が落ちた涙を拭いてくれる。
「もう俺が独占してもいいんだ」
「……大丈夫ですよ」
急に。専務の黒い目がきらっと光った。でも今日は怖いほどに、男の顔。おじいちゃん眼鏡のままなんだけれど。もう眞子には大人の男の匂いに包まれている。
彼の大きな手がそっと眞子の頬に触れた。そのまま背の高い専務から身をかがめて、眞子の顔へと彼の顔も近づいてくる。
どうしよう。ドキドキして死んじゃいそう。
だって。目の前の(おじいちゃん眼鏡だけど、もう通り越しちゃって)美麗な男の人が、エキゾチックな大人の香りをまとって、私をじっと見つめてくれているんだもの。
「そんな、目を開けているとできないよ」
「う、でも、」
男の人とキスなんて。久しぶりすぎて!
「まいっか。そのかわいい目を見たままでも」
くすっと笑った専務が、長いまつげをふっと伏せると、そのまま眞子のくちびるに、熱いキスを押してくれた。
ほんのちょっと。ちゅっとしただけのキス。でも専務の男の匂いがとりまく、胸が灼けそうなキス。
専務――。
もう眞子もいつのまにか目を閉じていた。
そうしたら、もっと熱がまとわりつく大人のキスになる。
その時にはもう、眞子の身体は専務の腕の中。
少し早い、ホーリーデイ。ホーリーモーニング。
「今度、俺の部屋においで。合い鍵、作っておくから」
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