・メーカー本社、営業部長のお達し


 それから数日後――。


 雪の国となった北の都市に、横浜シルビアの部長と徹也が一緒に訪ねてくるとのこと。

丸島屋の場所取りが失敗したことについての話し合いとのことだった。

 横浜シルビア営業部の部長がわざわざやってくることは余程のことであって、珍しいこと。つまり、それだけ専務の失敗が『大事だった』ということに。

 それでも今日の専務は、この前と違って堂々とした様子で、スーツ姿に整えている。

 今日はまた、黒縁の眼鏡をかけている。

「大丈夫ですか、専務」

 眞子はもういまからハラハラ……。

 でも専務はもう余裕の微笑み、ちっとも臆していない。覚悟もできているということなのだろう。

「大丈夫だって。あ、そうそう。これ約束の」

 ジャケットのポケットから出したものを、専務が机において眞子へとスッと差し出した。

「俺の部屋の鍵。と、地図」

 約束していた合い鍵だった。眞子にとっては初めての合い鍵。

 手に触れただけできゅんとしてしまう。専務も嬉しそうに眞子が手にするのを見つめてくれている。

「ありがとうございます。大事にしますね……」

「俺の部屋、ここから近いから。いつでも泊まっていっていいよ。着替えとかも持ち込んでいいから」

 泊まるって。それってつまり……。着替えを持ってきていいって、それってつまり……。そこでふたりでいっしょにいてなにがあるのか、眞子だって大人の女。わからないわけでもない。なのに専務は大人の男だからなのか、さらっといいのけてしまっている。しかも下心もなさそうな爽やかさ。

「ああ、もう来るな」

 銀の腕時計を、白シャツのカフスをめくって神妙な眼差しで確かめ、やっぱり溜め息の専務。

 横浜シルビアの営業部長がどのような様子を見せるのか。マグノリアとの契約打ち切りなんてならなければいいけれど……。



―◆・◆・◆・◆・◆―


 お昼前に、横浜シルビアの営業二人が到着する。すぐに社長室へと案内され、専務と眞子も呼ばれた。

 社長室には、篠宮社長とカンナ副社長がソファーに座り、眞子と専務はそのそばに立って控えた。

向かいに、徹也と営業部長の三浦部長が硬い面持ちで座っている。

 すでに『思うような結果にならずに申し訳ありませんでした』と、社長とカンナ副社長が頭を下げた後。専務はなにも言わないように言いつけられていて、でも自分で詫びたいという複雑そうな顔をしていて、そんな専務をそばにしていると眞子も泣きたくなる。

 だが三浦部長はにっこり笑顔を見せた。

「いえいえ、頑張ってくださいましたよ。びっくりしましたよ。二店舗の広さに、この改装費すごいですねー。あの丸島屋さんがこれだけ出してくれるってことは、あの場所から退いていもらう慰謝料ってところですかねえ。篠宮専務がもし、場所を移るならこれぐらいのことをしてくれないと撤退すると頑と訴えてくれたのも大きかったでしょうね」

「父親の私の不徳といたすところです。息子に任せっきりで申し訳ありませんでした」

 篠宮社長がふたたび頭を下げる。

 それでも三浦部長は、にっこり笑顔を崩さず……。眞子には逆にその笑顔が不気味に見えてきてしまう……。

「まあ、東京リラさんのお手並み拝見と行きましょうよ。メインブランドとセカンドブランドが食い合うかもしれませんし? セカンドブランドの質もどうかわかりませんし? でもこちらは、いままでより店舗に費用がかけられる。そこを勝負所としましょうよ」

 専務とおなじ考え? そんな気もしてきた。

「改装費は全額丸島屋さんが出してくれるとのことですから、こちら横浜シルビアからも新オープンイベントとしての費用で大きなバックアップができます。そこで顧客の囲い込みをいたしましょう」

 これも専務とおなじ対策? もしかして、あの場所取りって失敗ではなかったのかも? 眞子もそう思えてきてしまう。そして専務も、三浦部長がおなじビジョンを持っているとわかって徐々に表情が和らいできたよう。

「篠宮専務」

 にっこり笑顔を崩さない三浦部長が、父親の後ろに控えて立っている専務を呼んだ。

「はい」

「社長から、提案書をいただき見させて頂きました。あの方針で行ってみましょう」

 あの提案書が受け入れられた! あの夜、諦めないで考えたものがいま専務を救っている! 

「ありがとうございます、三浦部長。ですが、ほんとうに力及ばず、申し訳ありませんでした」

 そこはどうしても専務自身から詫びたかったようで、ようやっと伝えられたと専務も安堵の表情に。

「イベントの企画をこれから重ねていきたいと思っています」

「はい、是非、わたくしどもで提案を――」

「いえ、篠宮専務はなにもしていただかなくて結構」

 三浦部長の顔から笑顔が消え、視線が鋭くなり、ばっさりと切り捨てるような言い方。

 専務も愕然とした顔になっていたので、眞子はハラハラ……。

「うちの古郡にやってもらおうと思っています。こちら横浜シルビアにお任せくださいますよね」

 専務にはもう頼みたくない。こちらメーカー側で一切取り仕切らせてもらう。そんな通告。これが今回の専務への責任の取り方? 

 だけれど、篠宮社長とカンナ副社長は落ち着いていた。兄妹で顔を見合わせ、なにかを目線で確かめ合っているような……。

「それでいいのですか、三浦さん」

 カンナ副社長が妙な念押しをしている。

「もちろんですよ、カンナさん。一度、こちらにすっかり任せてくださいませ。ただ、いままでどおりにこちら現地での準備のアシストはしていただきたいです」

「それは、当然です。……わかりました。そちらの意向に添います」

 カンナ副社長が従順に頭を下げたので、専務ももうなにも言えないようだった。

「では、古郡。年明けまでに一度案をあげてもらうか」

「え、年明け、ですか。改装は来年の秋ですよね」

「こんな大事な改装の、勝負をかけなくてはならない一大事に呑気なことを言う。まさか一つの案を出せばそれでいいと思っていないだろうな。わかったな、年明けまでに第一案を提出しろ」

 自社配下の部下であるせいか、三浦氏の物言いが急に鋭くなった。そして徹也も縮こまりひとまず『はい』と返答はしたが、どこか不服そうだった。

 そんな様子を、篠宮社長もカンナ副社長もじっと眺めている。そして専務も……、なんだか怪訝そうな、横浜シルビアの上司と部下を観察するような妙な顔に変わっていることに眞子が気が付いてしまう。

「せっかく北海道にきたので、ショップの視察をさせていただき、夜はおいしいものを楽しみたいと思っています」

 やっと篠宮社長が僅かに微笑んだ。

「是非、お願いいたします。では、今夜は私がいきつけの店をご案内いたしますよ」

「いやー、嬉しいですね! こうでもしないともうなかなか地方に行けないものですから、実はそれが楽しみでもあったんですよー」

 また三浦部長が、怪しいでも調子の良い笑顔を見せる。なんか腹にいちもつありそうな人で、眞子は話しかけることなんてできそうもない。

 なのに。その三浦部長が急に眞子を見た。

「そちらが、……本田さん、ですか」

 三浦部長の微笑みが、またうっすらと消えたので眞子は硬直する。

「そうです。先日まで私のアシスタントをさせていました」

 専務ではない、カンナ副社長がすぐさま答えてくれる。

「なーるほど。わかりました。お目にかかれて光栄です」

 紳士的な柔らかい言葉だったので、眞子はそれにつられ『ありがとうございます』とお辞儀をする。

「では。くよくよせずに、新しい場所で頑張りましょう!」

 大きな声が大砲のように社長室に響いたので、眞子だけでなく専務までびくっとしていた。

 だけれど、横浜シルビアさんと専務の意向がおなじだったようで、酷くは言われずに済んだ。

 ただ。改装オープンのイベントは専務には任せられない――という通告は、けっこうきつい。


 応接室にふたりで戻ってから、眞子は専務にすぐに声をかける。


「専務、イベントは任せていただけなかったけれど、お客様へのお知らせの趣向を凝らしましょう」

 スーツのジャケットを脱いで、パイプ椅子の背に掛けた専務が、ふっと笑う。

「心配してくれてんの、眞子さん」

「だって。専務はなにもしていただかなくて結構――なんて言われたんですよ!」

 あんな言い方されたら哀しい! 泣きたい気分でうつむくと、そばに青いストライプのネクタイを結んでいる専務が目の前に。

「いつもありがと、眞子さん」

 ぎゅっと抱きしめられていた。でも、いまならもう眞子はその腕にくったりと甘えることができる。

「だって、専務がやってこそ……返上ではないですか。そうしたい、一緒にそうしたかったのに」

 くったりと彼の腕に持たれた眞子の黒髪の頭を、専務がそっと優しく撫でてくれる。そして頭のてっぺんに熱い息。そこに口づけてくれたのがわかった。

 専務とキスをしても、だからって仕事中はいままでどおりの専務と眞子。むしろまだ恋人としてのほうがしっくりしてなくて、時間も浅い。

「大丈夫。あのままでいいんだよ、きっと」

 専務がにやっとしているのを眞子は見てしまう。

「え、どうして」

「いやー、俺の予想あたりまくりかも。とうとう、こんなことになっちゃったかも」

 そうして専務は勝ち誇ったようににやにやして余裕いっぱい。どこも落ち込んでいない。もう眞子は首を傾げるばかり。

「眞子さんを泣かせたぶん、やり返してやらなくちゃな。むふふ、カンナも気が付いていたようだし。これで確定!」

 え、なにが確定なの? 専務の見えていること、眞子にはまだ見えない。

「それよりさあ。ほんとに俺のところに泊まりに来てよ」

「もう、専務ったら。そのうちに行きます」

 いつものちゃっかりおぼっちゃまの専務に戻ってしまって、大事なこと茶化された気がした。

「今年の年末年始はどうするの、眞子さんは」

「実家が市外なので、元日に帰れそうだったら帰るぐらいです。この仕事、年末年始も休みがないことは家族もわかっているので、その後の休暇で帰省しています」

「帰らないなら。俺のところにおいでよ」

 え! 大晦日と元日を専務のところで?

「俺も元日に実家の新年挨拶で帰るんだけれど、俺達アパレル一家は初仕事が初売りだから夕方には切り上げて通常日課になるんだよ。それまでには俺も帰ってくるから」

 専務の部屋で、ふたりですごす? でもいつも仕事が終わって一人きりの年末年始だったのは確か。

「うん、行きます……」

「ゆっくりすごそう。おいしいものを食べて」

 仕事中なのに、専務から優しいキスをしてくれる。でも仕事中だからちょっとだけ。

 それだけなのに。眞子は微笑んでしまう。

「そう、眞子さんはそれでいい。それだけで」

 もうすぐ年の暮れ。初めてふたりでゆっくり過ごす夜。

 眞子はいまからドキドキ。ひさしぶりの男の人との夜だから。


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