第6話 なんだか納得してしまった

 その夜翠子は、どうしてもざらついたような違和感を拭うことができなかった。

 光の様子がおかしい。

 どこが、というと難しいのだけど、いつもとは何かが違う。女房たちが気付いていない様子なのがもどかしい。

 閨に入ると意を決して光の方に向き直った。

 すでに横になっている光の息が僅かに荒い。そっと触れると体が熱かった。

 やっぱり。

 慌ただしく医師が呼ばれた。

 「瘧でございますな。」 

 瘧は瘧鬼のもたらす恐ろしい病だ。高い熱が何度も出て、死んでしまうこともある。

 「これだけの光に溢れた婿君が、どこで瘧鬼になぞ憑かれたのでしょう。」

 母はそんな事を言ってうろたえていたが、父は素早く加持の僧を手配してくれた。

 屋敷中にいつもよりもきつい結界が張られ、特に光のいる東の対には何重にも護りが固められた。

 光を護るのはもちろんだが、瘧鬼が邸内を徘徊するのもとめなくてはならない。光に病をもたらすほどの瘧鬼といえば、警戒するのは当然だった。

 幸い高熱は2日程ですんだが、その後もあまり高くない熱が短時間だが毎日のように出て、瘧鬼のしつこさを示していた。

 「これ程、瘧鬼が離れないということは、もしかしたらどこかで強い穢に出会われたのかもしれませんな。」

 穢に合うと疫鬼というものは、憑きやすくなるものなのだそうだ。

 見鬼でない翠子は自分で瘧鬼を防げないからと周囲に止められたが、それでも度々光の様子を見に行った。

 翠子のいつもの対がそのまま光の病室になってしまったので、翠子はこのところ両親のいる寝殿の一角で寝起きをしている。

 光が高熱を出して眠っている間は、そっと枕辺まで近づいて見守ったりもしたが、光が起きているときはなんとなくを気後れをして、少し離れて様子を見ることが多い。

 光は一人でいると書を読んだり、絵を見たりするのが好きなようだった。もともと翠子の所有する絵巻が対には沢山あったので、女房に目のつくところにさり気なく出しておくように言いつけたりもした。

 読書よりは疲れにくくて、いい暇つぶしになるだろうと思ったのだ。灯火も光が起きている間はことさらに明るくするように手配する。

 食べるものも口当たりのいい水菓子くだものなどを多く揃えさせた。

 徹底的に瘧鬼を叩く祈祷の激しさがきいたのか、熱が出る間隔は少しづつ間遠になっていったが、中々に本復とまではいかない。

 そうこうしているうちに、加持に通ってくれていた阿闍梨の一人が、光を北山に行かせてはどうかと言い出した。北山に、疫鬼を払うのがとても巧みな阿闍梨がいるのだという。そこできっちりと瘧鬼を払い、穢を清めてしまうのが良かろうという話になった。


 移動が病人の体に障ったら何のためにでかけるのかわからなくなってしまう。翠子は光の車の支度に自ら心を砕いた。

 車には真綿を詰めた褥を敷き詰め、真綿を入れた大袿も積み込む。春とはいえ、まだ風の冷たい日もあるし、体を冷やしては大変だ。光が車に乗る直前まで女房たちが代わり合って褥に熨をかけ、火鉢も置いて車中を温めた。

 湯冷ましをつめた竹筒もいくつも用意してある。

 途中の井戸の水などにあたっては大変だと思ったからだ。

 腕の良い牛飼童を何人も付け、光はそろりそろりと北山に運ばれていった。

 この騒ぎで、翠子には自覚が芽生えた。

 自分は、光を心配するのだ、という自覚だ。

 背の君として慕っているというのとはたぶん違うけれど、光に情を感じてはいる。それは光が病に苦しむのを、到底放ってはおけないという程度には強い情だ。

 ただ、同じ閨で休むだけの年月も、翠子の中に何かを育んでいたらしい。その事を確認した翠子には妙な満足感のようなものがあった。ずっと定まらず落ち着かなかった事が、ふと定まり腑に落ちて、納得できたというほうが近いかもしれない。

 色々掛け違って、よくわからなくなって、それでも情は感じている。

 それがどうやら加不足のない翠子の光への気持ちであるらしかった。

 それがわかったところで別に、何が変わるということでもない。そういう意味ではその納得は単なる自己満足に過ぎないのだろう。

 それでも、納得することができて翠子の気持ちは穏やかだった。

 光が普通に元気であってくれればいい。

 兄とか父とかの思惑とか、そもそもこの結婚が企図された事情とかでいうと、それでいいはずはないのだが。

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