第3話 たまにお客のある生活

 兄が光を誘ってみると言っていたのは本心だったようで、そのうちぽつぽつ光の来ない夜があるようになった。そんな日は翠子もしっかり熟睡することができる。睡眠が足りると気持ちにも余裕が生まれるようで、光が来た夜にはいくらかでも優しくできるような気もする。

 まあ、それほど会話は弾まないのだが。

 光が翠子よりも兄と過ごすことが増えても、翠子は特に焦りなども感じていなかった。むしろ翠子の母や乳母が、嘆いているぐらいだ。

 「せっかく足繁くおいでになっても、娘でなく息子の方とすぐに出かけておしまいになる。」

 「まことに。」

 二人してため息ばかりついているが、それは仕方ないのではないかと翠子は思うのだ。

 そりゃ、男同士の方が話は合うというものだろう。

 兄と光は六歳違うので、年の差で言えば翠子よりも大きいが、邸から出たこともほとんどない翠子に比べて、兄は世知にも長けている。話して面白いのは絶対に兄だ。

 「それであの息子は婿君を連れて、どこをふらふらしているわけ?」

 「あの、若様は最近六条の辺りにお通いのようですわ。前東宮妃様のお邸が最近評判になっておられますから。」

 控えていた女房の一人が答えた。

 「まあ、六条御息所のお邸の事? あの方は大変な風流人ですよ。集まるのは当代一流の学者や文人ばかりとか。恥をかきに行ってるようなものではないのかしら。」

 兄は恋文や後朝の歌にこそ熱心だが、特に文人趣味と言うわけではない。

 「あの、その六条御息所という方はいくつぐらいの方ですの?」

 ちょっと気になって翠子も口を挟んだ。

 「まだ二十歳にはおなりにならないのではないかしら。入内遊ばした時に十六でいらした筈だから。前

東宮様との間に姫宮がおいでだった筈ですよ。」

 では、六条御息所という人は、入内から出産を経ての別離までを、ほんの二年ほどの間に味わったと言う事になる。

 それはなんだかあまりにも大変な事なのではないかと翠子には思えた。

 「凛として美しい方だという話で、手蹟なども水際立って素晴らしいものですよ。お若いけれどまことの貴婦人と言いたいようなお方のようね。」

 確か誰かにもらった手蹟があった筈と、母が探させて見せてくれた手蹟は、なるほど凛とした佇まいの溢れる素晴らしいものだった。

 「お方さま、もしや若様は御息所に御懸想遊ばしているのでは?」

 今聞いた話だと兄と御息所は歳が近い。乳母が言い出すまでもなく、兄はその御息所が目当てなのだろうなと翠子も思っていた。むしろ光をダシにしているのかもしれない。今までに得た僅かな情報によれば、光は絵が好きで、詩歌も嫌いではない。

 「それこそ相手になどして貰えませんよ。あの子の書き散らす上っ面の恋歌なぞ、鼻で笑われてしまうでしょうよ。」

 母はなかなか手厳しいが、翠子もそうだろうなとは思った。兄の手蹟は整っているのにどこか軽々しい。本人の為人ひととなりをまことによく写した手蹟で、あれではそこいらの市井の女君ならともかく、御息所のような貴婦人を射止めるのは無理だろう。

 案の定というか、そのうち兄は六条邸に光を置いて近くの女のところに通うようなことを始めたらしい。いかにも兄らしい顛末だったが、それでも光を伴って六条邸に通うのは、光が六条邸の雰囲気を好むからということらしい。兄の意外な面倒見の良さに、翠子は少し驚いたのだった。


 少しぐらい変わった形であっても、慣れてしまえばそれが普通に思えるものだ。たまに訪れる光とたいして話もせずに過すような「結婚」に、いつの間にか翠子は慣れていった。

 ほとんど生活が変わらないので困ることがなかったということもある。生まれたときから過ごしている邸で、ずっと仕えてくれている女房たちにかしづかれた生活に、たまにお客が来るようになったようなものだ。

 光は翠子の感覚では、とうてい背の君という感じではなく、年下の従弟とか、いっそ兄の年下の友人という感じなのだった。

 自分でなく兄が主体のように感じてしまうと、歩み寄ろうという意志は一層おざなりになってしまう。

 歪に安定した結婚生活を、翠子はうっかり受け入れてしまったのだった。

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