第2話 兄には思惑があるらしい

 「婿君の様子はどうだ。仲良くやってるか。」

 兄に会うのは結婚以来初めてだったが、別になんの感慨も浮かばなかった。いつもと全く同じように、うるさいのが来たと思っただけだ。

 「仲良くも何も。」

 勝手に女房に円座を出させて座り込んだ兄に向き直る。

 「あの寝相ってどうにかならないの? 寝てられやしない。」

 光は律儀に毎夜通ってくるが、寝相の悪さは相変わらずだ。おかげで翠子は最近ずっと寝不足で、自動的に不機嫌だった。

 「寝相?」

 ずっと誰にも言えずに溜め込んでいた不満を、兄に向かってぶちまける。兄は盛大に吹き出した。

 「なるほどなあ。そいつは確かに問題だ。」

 「笑い話じゃないのよ。本当に困ってるんだもの。」

 女房に言うような事でもないし、本人に言ったって仕方がない。何といっても寝ている間の事なのだ。意識して改善できるものでもないだろう。だから翠子は黙って我慢しているのだけど、寝不足からくるイライラがなんとなく滲み出るらしくて、光にも怖れられている気配があった。

 「そうだな、むしろこっちで遊びに誘ってみるか。そうすりゃ翠子も寝る時間が取れるだろう。」

 兄はあっさりとそんな解決策を持ち出したが、それはそれで微妙な感じだ。

 「悪い遊びじゃないでしょうね。」

 兄は今、十八歳。

 すでに幾つもの通いどころを持ち、さらには仲間とのお遊びにも忙しく夜はろくに家にいない。この兄に光を預けて大丈夫なのかと考えると、あまり大丈夫ではなさそうな気がしてくる。

 「大事な妹の婿君だ。粗略には扱わんさ。」

 そんなふうに請け合われても不安は募るばかりだ。

 「そんなことよりも、お前は一日も早く姫君を産んでくれ。」

 唐突にそんな事を言われてびっくりした。

 いや、今その大前提が成り立っていない話をした所だったような。

 「いいか、お前の婿君は帝の掌中の玉だ。」

 ぽかんとしている翠子には、一切構うことなく兄は話を続ける。

 「生母の身分が低いし、すでに東宮がおられるから臣籍に下されたが、帝が殊に愛されている皇子なのは間違いない。」

 その事は翠子も知っている。

 そういう立場の皇子だからこそ、父は翠子を添臥に差し出して、後ろ盾になることに決めたのだ。翠子には東宮の添臥の打診もあったので、その選択は世間を驚かせたらしい。

 翠子の母は帝の同腹の妹で、帝とは仲が良かったと言うこともある。何より翠子には入内できない理由があった。

 「いいか、翠子。お前がその婿君の姫を産めば最高の后がねだ。見鬼であれば立后はまず間違いない。」

 翠子の胸の奥がつきん、と痛んだ。

 翠子は見鬼ではない。

 なんのあやかしも見ない。

 だから翠子は東宮ではなく光の添臥になったのだ。どれほど名門の姫君でも見鬼でなければ立后は難しい。

 帝は天孫の子孫だが、その血には証がある。

 見鬼から見ると天孫の直系の血を引くものには強い光が宿るのだ。その光は見鬼だけでなく、あやかしや精霊までも魅了する。さらには穢を焼きしりぞける力もある、らしい。

 翠子にはそんなことは全くわからない。だって見鬼ではないのだから。

 そんな事情なので后にはどうしても見鬼であることが求められる。国母が帝の根拠たる天孫の力を実感できないのもどうかという話だ。

 翠子の兄は見鬼だ。父もそう。母にいたっては見鬼であるのみならず、直系皇族ゆえに天孫の光すら宿している。もっとも、光の宿し方には個人差があるそうで、母の光はそれほど強くはないらしい。逆に、帝でも滅多にないほどに強い光を宿すのが、光君なのだそうだ。

 翠子だけが、見鬼ではない。

 それ以外の条件で言えば、翠子はまさに后がねの娘だ。権門貴族の父と直系皇族出身の母を持ち、しかも東宮との年回りもいい。東宮は翠子より一つ年下で、光よりもよほど自然な組み合わせだ。翠子が見鬼でありさえするのなら。

 見鬼でないことを責められたことはないが、家族も女房たちまでもが残念がっていることは、感じないわけにはいかなかった。

 兄の思惑はつまり、翠子には果たせない入内、立后の夢を翠子の娘に託そうということなのだ。確かに翠子と光の娘なら血筋の上では理想的だ。後ろ盾に兄や父も付けば十分に立后が狙える。

 その意図には納得できるのだが。

 「でも兄様、光君は十二歳よ。まだ先の話だわ。」

 結局そこに戻るのだ。

 「まあ、とりあえずは俺に任せておけ。お前は婿君となんとか仲良くする事を考えろ。まずはそこからだな。」

 言いたいことだけ言って、兄は去っていった。

 「仲良くねぇ。」

 翠子は二人兄妹だ。つまりは年下の相手をしたことがほとんどない。まして男の子となると、直接顔を見たのは光が初めてではないだろうか。

 夜、光がやってくると女房たちが下にも置かず世話をする。翠子にしてみれば手の出しどころもわからない。そもそも翠子にしてからが、女房に世話をされる側なわけで、光と並んで雛遊びの一対のようなものだ。

 この状況で共通の話題もなければやることもない二人の間に、交流の生まれるはずもない。

 褥ではさすがに二人きりだが、光は極めて寝付きが良く、床に入るとあっという間に寝てしまう。光の寝相で寝られないのは翠子だけで、光は熟睡するとまるで起きない。

 翠子と光は仲良くなるどころか、ろくに話したこともないのだ。

 兄の思惑は思惑として、実現までの道のりは中々に険しそうだった。

 

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