絵合 その十六

 あの頃、いたわしいとか、悲しいと思ったよりも、この絵を見ると、配所での光源氏の侘しい暮らしぶりや、心に思った数々のことが、ただもう今、目の前に見るようにわかった。その地の風景や、見も知らない浦々や磯の有様も、隅々まで描き表している。草書に平仮名を所々に混ぜて、正式の詳しい漢文体日記ではなく、感想が書き付けられていて、身にしむ歌などもあった。他の巻々もぜひ見たくなるのだった。


 誰もがもう他のことは考えられなかった。これまでのすべての絵の感興などは、皆この須磨の絵日記に奪われてしまい、感動しきって恍惚としている。


 全てがこの絵に圧倒されて、左方が勝利と決定した。


 夜明け近くなった頃、光源氏は何となしに深い感慨が胸にこみ上げてきて、盃など傾けながら、昔の思い出話などをはじめた。



「わたしは幼い頃から学問に打ち込んできたが、亡き桐壺院もいくらかわたしの学才が身につきそうだとみたのか、あるとき、『学問というものは、世間ではあまりにも重んじられているからだろうか、深く学問を極めた人で、長寿と幸運をあわせて恵まれることは滅多にない。不足のない身分に生まれて、学問などしなくても人にひけをとることもないものは、無理に学問に深入りしないのがいい』と、さとし、むしろ様々な芸道を習わせてくれた。その方面では出来が悪いものもなく、また取り立てて、これといって得意な面もありませんでした。ただその中で、絵を描くことだけは、不思議に好きで、ほんの取りとめもない技芸にすぎないのに、どうしたら満足のゆくまで描いてみることができるのだろうかと思う折々がありました。そのうち思いがけない田舎住まいをして、ひろびろとした四方の海の深い趣を見ましたので、海辺の風景は何もかも残る隈なく心に収めましたが、絵筆の表現には限界があって、なかなか心で思うように描けなかったと思われました。これという折もないのに、帝にわざわざ見てもらうわけにもいかないので、こんな機会にと、お見せしたのですが、なにやらいかにも物好きなようで、後々にどんな評判をたてられることやら」



 と帥の宮に言うのだった。

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