絵合 その十

 藤壺の宮もたまたま参内していた頃のことで、絵については、もともと趣味が深いので、勤行も怠りがちになりながらもみるのだった。女房たちがそれぞれ論評するのを聞き、左と右の組に分けた。左の前斎宮には平の典侍、、侍従の内侍、少将の命婦、右の弘徽殿の女御には、大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦が選ばれた。この人たちは皆、現代の優れた物知りと認められた人たちだった。この人たちが思い思いに弁舌をふるって論戦するのが面白くて、藤壺の宮は興味深く聞いていた。


 まず物語の元祖とも呼ばれている竹取物語に、宇津保物語の俊蔭を組み合わせて、勝負させた。左方は、



「これはなよ竹の節々を重ねたように代々伝わった古い物語で、特に面白い節もないのだが、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、月世界にはるかに上っていってしまった宿縁は、気高く素晴らしくて、何しろ神代のことのようなので、現世の教養の浅い女にはとても見てもわからないでしょうね」



 と言う。すると、右方は、



「かぐや姫の昇天したという空の彼方は、確かに誰もいないので知りようもない。でもこの世では竹の中に生まれるような運命を持っていたのだから、あまり上等な身分ではなかったと思われます。体の光で一つの家の中は照らすことはできても、宮中に上がって帝の畏れ多い御光と並ぶ皇后の地位につくことはできなかった。また、求婚者の阿倍多は、たくさんの黄金を投じて買い求めた火鼠の皮衣がたちまち燃え尽きたように、姫に寄せる燃える思いはあえなく消えてしまった。車持の親王が、本当の蓬莱山にはとても行けないと知りながら、贋物を造って玉の枝にも自分にも瑕うぃつけたのも竹取の翁の絵の欠点になります」



 と言った。絵は巨勢相覧、書は紀貫之が書いている。紙屋紙に唐の絹織物で裏打ちして、赤紫の表紙、紫檀の軸など、表装はありふれたものだった。



「俊蔭は激しい波風に溺れながら、見知らぬ異国を漂泊しましたが、それでもはじめの目的を果たして、ついに異国の朝廷にも我が国でも、たぐいまれな音楽の才能を広く知られ、その名を後世に残した昔の人の志を書いたところが興味深いのです。絵のほうも唐土と日本を取り合わせて、面白いことはやはりこれに並ぶものがありません」



 と言い続けた。料紙は白い色紙に青い表紙で軸は黄色の玉だった。絵は飛鳥部常則、書は小野道風なので、現代風で見事だった。見た目にも輝くように見えた。左のほうでは、それを打ち負かす反論もない。

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