関屋
関屋 その一
伊予の介という人は、桐壺院が亡くなったその翌年、常陸の介になって任国へと下った。あの空蝉も一緒にともなっていったのだった。
光源氏の須磨での気の毒な暮らしの噂も、空蝉ははるか常陸で風の便りに聞き、人知れず案じないこともなかったが、その思いを伝えるつてさえなくて、筑波山の峰を吹き越えてくる風に言伝を託すのも、いかにもはかない気がして、全く何の音信もしないままに歳月が過ぎていった。
いつまでという期限があったわけではない光源氏の流浪の生活も終わって、やがて京に帰り、その翌年の秋に、常陸の介も帰京してきた。
常陸の介の一行が、逢坂の関に入るちょうどその日、たまたま大臣になった光源氏は石山寺に願ほどきに参詣していた。
京から、あの紀伊の守といった息子たちや、迎えに来た人々が、
「今日は光源氏様が石山寺に参詣しています」
と報せたので、それでは道中さぞ混雑するだろうと、まだ夜明け前から道を急いだが、女車が多くて道一杯にゆらりゆらりと練り歩いてきたので、日が高くなってしまった。
大津の打出の浜を通るころには、
「もう光源氏様は粟田山をお越えになった」
と触れながら、前駆の人々が道も避けられないほど大勢、乗り込んできた。
そこで常陸の介の一行は関山でみんな車から降りて、あちらこちらの杉の木の下に車を引き入れ、轅を下ろして木陰にかしこまって隠れるように座り、光源氏の行列を通したのだった。
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