賢木 その三十四
東宮の使いも来た。藤壺の宮は先日あったとき、東宮が話す可愛らしい姿を思い出すにつけても、張り詰めてきた心強さも耐え切れなくなって、返事も言えなかった。見かねて光源氏が、口添えをしてあげるのだった。
誰も誰も、そこにいるすべてのものは、心の動揺の静まらない折なので、光源氏も心のうちを、言い出すことができなかった。
月のすむ雲居をかけてしたふもと
この世の闇になほやまどはむ
「このように思われますのが、何とも詮無いことでございます。ご出家を遂げになってしまわれたことが、羨ましくてなりません」
とだけ言う。女房たちが、藤壺の宮の側近くに控えているので、さまざま思い乱れる心の中も、何一つ言うことができないので、じれったくてならなかった。
大方の憂きにつけては厭へども
いつかこの世を背き果つべき
「なおまだ、煩悩が残りまして」
などと返事のある箇所などは、取次ぎの女房が適当に取り繕って光源氏に伝えているのだろう。悲しみばかりが限りなく尽きないので、胸苦しくなって退出した。
二条の院に帰っても、自分の部屋にひとり休んだまま、眠ることもできず、世の中を疎ましく思い続けた。それにつけても、東宮のことだけが心配でならないのだった。
亡き桐壷院はせめて藤壺の宮だけでも公の後見人にと、中宮に立てたのに、その藤壺の宮が世の辛さに堪えきれなくなって、出家してしまったのだから、もう中宮の地位のままではとてもいられないだろう。その上に光源氏までもが、東宮を見捨てて出家してしまっては、などと限りなく思い惑い、夜を明かすのだった。
今の藤壺の宮には出離者としての暮らしの調度品などこそ必要だろうと、光源氏は思い、それらを年内に贈ろうと、急いで造らせるのだった。
王命婦も藤壺の宮のお供をして尼になってしまったので、そちらも心を込めてお見舞いする。
細々とそのことを話しつづけるのも仰山らしいので、書きもらしてしまったのだろう。ところが、それらが洩れ落ちたのは物足りないことだった。
出家の後は、光源氏が藤壺の宮の邸に参上しても、遠慮が薄らいだので、取り次ぎなしに藤壺の宮自身が返事することもあった。心に深く秘めた恋は、決して消えはしないが、出家の後では以前にもまして、あってはならないことなのだった。
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