賢木 その三十

 光源氏は、あのとき、頭の弁が史記の一節をあてつけがましく口ずさんだことを考え、朧月夜のことで心が咎めて、世の中を煩わしく思った。それで朧月夜にも送らないまま、久しく日が過ぎていった。


 初時雨が、早くも降り染めた頃、何と思ったのか、朧月夜から、




 木枯の吹くにつけつつ待ちし間に

 おぼつかなさのころも経にけり




 と手紙が来た。


 季節もあわれ深い時雨の秋であり、無理をしてこっそり書いたに違いない朧月夜の心のうちもいとしいので、手紙の使いを引きとめ、唐の紙などを入れている厨子を開け、取り分けて上等な紙を選び出し、筆などもことに念入りに選んでいる様子が、いかにも常よりなまめかしく見えた。


 御前の女房たちは、こんなに心を込めている手紙の相手は、いったいだれなのか、と突つきあっているのだった。



「便りをさし上げたところで、何の甲斐もないのに懲りてしまいまして、すっかり気が沈んでおりました。ただもう自分ひとりが情けなく思われ嘆いている間に、あなたから待たれるほど日が過ぎて。




 あひ見ずてしのぶる頃の涙をも

 なべての空のしぐれとや見る




 お互いに心が通い合うのでしたら、どんなに長雨のわびしい空を眺めてした物思いも、忘れることができましょうものを」



 などと、つい情のこもった手紙になってしまうのだった。


 こんなふうに折節によせて便りをさし上げる女房たちも多いようだが、光源氏は薄情だと思われない程度に返事をして、心には深くもとどめていないのだろう。

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