賢木 その二十九
弘徽殿の女御の兄の藤の大納言の子息に頭の弁という、時勢に乗って得意げに威張っている若者がいた。何の屈託もないのだろう。
妹の麗景殿の御方に行こうとして、光源氏の前駆のものがひそやかに先払いをするのに遇ったので、しばらく立ち止まりながら、
<白虹日を貫けり。太子畏ぢたり>
と、とてもゆっくりと謀反の文句を口ずさんだ。光源氏は、まったく目を背けたい気持ちでそれを聞いたが、と言って真っ向からとがめだてすることもできなかった。
弘徽殿の女御の機嫌はこのところまったく険悪至極で、物騒な雲行きばかりが耳に入ってくる上に、こうした弘徽殿の女御の近親の人々までが、露骨な態度で当てこすりをわざと言うようなことも何かとあるのを、光源氏は実に煩わしく思った。けれどもつとめてそ知らぬふうを装っているのだった。
藤壺の宮のところに行った光源氏は、
「帝の御前に参りまして、今まで夜を更かしてしまいました」
と挨拶した。
月光が鮮やかに照り輝いているのを見て、藤壺の宮はこんな美しい月夜には亡き桐壷院が管弦の遊びを催し、華やかに過ごしていたことなどを、思い出している。あの頃と同じ宮中なのに、今は昔に変わることばかり多くて、悲しさをそそられるのだった。
九重に霧や隔つる雲の上の
月をはるかに思ひやるかな
と王命婦から伝えられた。御座所が近くで、藤壺の宮の様子もほのかながらも懐かしく伝わってくるので、光源氏は辛さも忘れて、思わず、感激の涙を流した。
月影は見し世の秋に変はらぬを
へだつる霧の辛くもあるかな
「<霞も人の心なりけり>という古歌もありましたが、昔もこういうことがございましたでしょうか」
などと言った。
藤壺の宮は東宮との別れをいつまでも名残惜しく思い、様々なことを教えたが、東宮のそう深くも心に留めていない様子を、とても頼りなく感じられた。
東宮は普段はとても早く寝るのに、今夜は藤壺の宮が帰るまでは起きていようと思っているのだろう。藤壺の宮の帰りのときは恨めしく思いながらも、さすがに、あとを追うようなことはしなかったのを、藤壺の宮は本当にいじらしく思うのだった。
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