葵 その二十九

 光源氏は、しどけなくくつろいだ姿のまま、直衣の紐だけを直した。


 頭の中将よりかは少し濃い色の鈍色の夏の直衣に、紅のつややかな下重ねを重ねて、地味な喪服姿でいるのが、かえって見飽かない気がした。


 頭の中将も、いかにもしみじみした眼つきで、空の景色を眺めている。




 雨となり時雨るる空の浮き雲を

 いづれの方とわきてながむ




「行方も知れずに」



 と、頭の中将がひとりごとのように呟くと、




 見し人の雨となりにし雲居さへ

 いとど時雨にかきくらすころ




 と、言う光源氏の様子にも、亡き葵の上を偲ぶ心の深さがよくわかるので、頭の中将は、



「はて、妙なこともあるものだ。長年の間、光源氏は葵の上をさほど愛しているようには見えなかった。桐壷院はそれを見かねて忠告し、父大臣のねんごろな扱いも光源氏は気の毒に思い、また、大宮の血筋からいっても、切っても切れない深い血縁でいるなど、あれこれ抜き差しならない関係が絡んでいるので、葵の上を振り捨てることができず、気の重そうな様子ながら、いやいや添い続けているのだろうかと、気の毒に感じた折節もあった。ところが、本当のところは、大切な正妻としては、葵の上を格別に重んじていたのか」



 と、今になって頷けた。


 それにつけても、頭の中将は、ますます葵の上の死が残念に思われるのだった。何事につけても、光が消えうせた気持ちがして、すっかり気が滅入っているのだった。

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