葵 その三十

 庭の枯れた下草の中に、竜胆、撫子などが咲いているのを、光源氏は折らせて、頭の中将が帰ったあと、夕霧の乳母の宰相の君をお使いにして、大宮へ届けた。




 草枯れのまがきに残る撫子を

 別れし秋の形見とぞ見る




「親より色が劣っているとご覧になるでしょうか」



 ほんとうに夕霧の無心な笑顔は、なんとも言えず可愛らしい。大宮は、吹く風につけても、木の葉よりもいっそうもろくなった涙が、まして光源氏の手紙を見てはこらえかね、あふれ落ちた。




 今も見てなかなか袖を朽すかな

 垣ほ荒れにしやまとなでしこ




 と返事があった。




   ###




 光源氏は、独居がやはりまだ、たいそう所在なくて淋しい思いだった。朝顔の姫君だけは、今日の夕暮れのしみじみとしたもの悲しさを、何といってもよくわかってくれるだろう、と推察できる人なので、すっかり暮れきってしまったが、手紙を出した。便りの絶え間がいつの間にか長くなってしまったが、時々思い出したように手紙が来るのに馴れていたので、女房たちは格別気にせず、朝顔に手渡した。空色の唐の紙に、




 わきてこの暮こそ袖は露けけれ

 もの思ふ秋はあまた経ぬれど




「時雨は毎年降りますけれど」



 とあった。筆跡など心をこめてしたためているのが、いつもよりいっそう見事なので、このまま返歌なしではすまされないだろう、と女房たちも言うので、朝顔自身もそう思い、



「喪服で篭もりきりの様子をお察し申し上げますけれど、どうしてお便りができますでしょうか。ご遠慮申し上げます」



 と書いて、




 秋霧に立ちおくれぬと聞きしより

 時雨るる空もいかがとぞ思ふ




 とだけ、ほのかな墨色で書かれたのが、朝顔の筆跡かと思うせいか、奥ゆかしく心惹かれるのだった。


 何事につけても、予想以上に後から良く見えてくるというのは、滅多にない世の中なのに、自分に冷淡な人ほど執心がつのるのが、光源氏の心癖なのだった。



「朝顔の姫君は、いつもすげない態度だけれど、しかるべき折節のしみじみした風情を見逃さない。こういう人こそ、お互いに末永く最後まで愛情を保ってゆけるだろう。それでも、教養や風流の度が過ぎて、人目に立つほどになると、よけいな欠点も出てくるというもの。西の対の紫の上は、そんなふうには育てまい」



 と思った。その紫の上が退屈していて、自分を恋しがっているだろうと、いつも忘れることはないのだけれど、まるで女親のない子を邸に残してあるような気持ちがして、逢わない間が気がかりでならない。


 それもまだ、紫の上が自分を、恨んだり嫉妬したりしていないかなどと、案じないですむのは、いたって気が楽なことなのだった。

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