故意と過失

「じゃあ来週の水曜日にまた来ますね」


 クラスメイトも知人もいない手芸部は緊張するが、女子生徒が多いため物腰柔らかに打ち合わせを済ませることができた。残るは野球部だ。香取はスケジュール表と部活名簿をもう一度確かめて校舎からグラウンドへ出た。



 風が吹く度巻き上がる砂煙を制服で、ローファーで歩く姿は一気に注目を浴びるというもの。野球部が練習しているところに近づくと一瞬手を止め練習着に身を包んだ野球部員たちが香取を見た。


「……ちわーっす」


 普段なら大きな声で挨拶しているであろう声も、相手が部員や監督、教師でなければ少し戸惑いの色を滲ませる。それでも挨拶してくるところはさすが野球部。香取も恥ずかしさと緊張気味に頭を軽く下げとりあえず女子マネージャーのいる方へ向かった。気を利かせた女子マネージャーも手に持っている箒をベンチ横に立てかけ香取に駆け寄ってくる。


「こんにちは! どうかしました?」

「こ、こんにちは。あの、突然すみません。私、写真部の者で……今度部活動新聞の写真を撮りたいんですけど……」


 男子部員と同じ黒の野球帽をかぶり、さわやかな笑顔を向ける女子マネージャーに香取は見覚えがあった。確か同じ三年生。

 香取が恭しくそういうと、女子マネージャーは思い出したように手を叩いた。


「もうそんな時期かー! 今年一年生そこそこ入ったから見ごたえあるかな? あ、日程決めるんでしたよね! 主将呼んできます!」


 慣れたように女子マネージャーが走り出す。はつらつとしていて、ポニーテールにした長い髪が帽子の下で大きく跳ねる。香取はハッとして女子マネージャーに叫んだ。


「す、すみませーん! できればあなたも一緒に来てください!!」


 香取の言葉に一瞬振り向いた女子マネージャーはぽかんとした顔をしたがすぐに笑顔で手を振ってまた走り出した。

 ほどなくして女子マネージャーに連れてこられた主将は背も高くがっちりしており、こちらも同じ三年であろうが面識もほぼないため、香取は女子マネージャーがついていてくれて助かったと心底思った。


「えっと、今日は休んでる子いるから今日連絡回して、来週火曜日くらいが丁度いいかな?」

「ああ、じゃあ今日の帰りに俺からみんなに言うから、メールは任した」

「オッケー! ということで……えーっと、写真部の何さんと呼べばいい?」


 香取の持ってきていたスケジュール表を見ながら、女子マネージャーと主将がとんとん拍子に日程を決めた。メモを取ったところで女子マネージャーが香取をじっと見て言った。


「あ、私香取っていいます。たぶん……同じ三年生だと思うけど……私も名前知らなくてすみません」


 香取のその言葉に女子マネージャーがぱっと明るく笑った。


「そうそう三年生! 私もたぶんそうだと思ったんだよね。あー良かった。私、C組の廣瀬❘舞霞まいかです。香取さん、じゃ堅苦しいから香取ちゃんでいい? 私のことも好きに呼んでいいから」


 ね、っと廣瀬は香取の手を握った。なぜこんなにも急に仲の良い雰囲気になったのかはたぶん廣瀬の人柄だろうが、香取も悪い気はしなかった。


「私はA組です。あと、下の名前、朔って言うので、私もその、好きに呼んで。でもどうしよう。うーん。廣瀬さん……堅苦しいの嫌ならまい……まいちゃん?」

「廣瀬がまいちゃん……うける」


 今日知った人を呼び捨てにする勇気が出なかった香取が呼び名に悩んでいると、廣瀬の隣で主将が噴出した。つかさず廣瀬がその足を蹴飛ばした。


「まいちゃん! いいよ! まいちゃん! 三年生になってまた新しく友達が出来るなんて……でもA組! 香取ちゃん頭よさそうっていうかいいんだろうねー」

「あーいや、そんなことないよ……」

 

 花窟高校では一学年六クラス。A、Bは普通科、言わば特進クラス。Cは商業科と家庭科、Dが機械科、E、Fが農業科である。


「あ、香取がいる」


 脛を蹴られて苦しむ主将に見向きもせず廣瀬が香取と話していると、恐れていた声が聞こえた。まさかここで登場してくるとは。いてはいけないのかと思いながら香取は声のした方を向いた。そこには先ほどまでどこにいたのか分からなかったが右手にグローブを付けた石上が汗を滲ませながら立っていた。相変わらず何を考えているか分からない顔で、しかし久しぶりに野球の格好を見たので違う人の様にも見える。


「石上、香取ちゃんのこと知ってるんだ意外。写真部で野球部担当なんだって! いつも男の子が撮りに来てたから今年は香取ちゃんが担当でよかったね」

「……んー、まあ。あ、じゃあ撮影がてら今度のゴールデンウイークの試合観に来てもらったら」

「え! 何そのナイスアイディア! 石上が冴えてる! 香取ちゃん三日にここで練習試合するから観に来てよ! ね!」


 廣瀬は喜々として香取に迫り、ナイスアイディアを出した石上の肩をばしばしと叩いた。香取はうれしそうな廣瀬に頷くことしかできず半ば強制的にゴールデンウイークの一日が消えてしまった。別に嫌でもないが観に来ても廣瀬とずっと話せるわけでもなく、父母も来て知らぬ人ばかりの状態に、今以上に居たたまれない気持ちでここにいなくてはいけないことに気づかれないよう小さく肩を落とす。


「……まあ、たまには動く人物でもたくさん撮ったら?」


 そんな声がして香取は顔をあげた。石上が一瞬香取を見てすぐに目をそらした。


「平野、そろそろ全体でやろう」

「ああ、いい時間だな。じゃあ香取さん来週火曜日と三日よろしく」


 石上が主将、平野をせっつき、平野も気づいたように周りを見て香取に確認をとって練習に戻っていった。


「私も戻るね。またいつでも観に来てね。他にも女子マネいるからさ」


 廣瀬もまたねとベンチの方へ走っていった。

 男子部員が一度集まってそれぞれの守備位置に散って行く頃、香取も自分の部室へ戻るため野球部に背を向けた。その背中を守備位置につきながら石上が視線を向けたのには気づかずに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エッグシェルの忘れ水 Jami @harujami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ