Episode32

翌日の早朝。


殺し屋は路地裏喫茶の近辺でターゲットの少女――アリスという名前だったか――が現れるのを待っている。


一晩たってもなかなか彼女が姿を現さないので、もう来ないものかと思っていたが、不意に路地裏の奥からアリスがつかつかと歩み出てきた。


アリスはしばらく周囲を見回した後、踵を返して再び路地裏の奥の方へ姿を消す。


いかにも、頼るところがなくて渋々ここまでやってきたが、迷惑をかけたくないのでやっぱり諦めて帰ってしまった――という感じの仕草。


拳銃で少女を射殺するのは容易だったが、ここは場所が悪い。行きつけのお店の前を殺人現場にすることはできない。殺し屋はアリスの後をこっそり追って、離れで仕留めることにする。


アリスは路地裏を出て、路上を足早に歩いていく。どんどん、人目の付きやすい住宅街の方へ。


殺し屋はすぐに感づく。彼女は殺しのしにくい場所をあえて通っている。俺を、どこかへ誘い込もうとしている。


アリスの歩みはとまらない。人気を気にして下手に手を出せないため、殺し屋は距離を保ったまま黙ってついていく。


やがて、廃墟の敷地の中で彼女は立ち止った。


振り向きもせずに言う。


「あなたが、私のパートナーを殺した人」


殺し屋は懐から拳銃を抜いて、無言のままアリスの後頭部にぴったり照準を合わせる。ちゃんと、確実に一発で撃ち殺せるように。


アリスは逃げ出す素振りを見せない。


ここで観念したのか。死に場所を探していたのか。


見たところ、彼女は白のワンピースを着たままの丸腰だ。武器を持っている様子もない。開き直り、自暴自棄になっている。


まだ子供だとはいえ、少女も同業の端くれ。覚悟はできているのだろう。抵抗がないわけではないが、金でやとわれればその通りに従うし、報酬分の仕事はきっちりこなす。容赦はしない。


躊躇いなく引き金を絞る。


これで終わったかと思ったが、アリスは寸でのところで身をかがめると、弾丸をひょいと交わして前方へ駆け出していった。一目散に廃墟の中へ入っていく。


殺し屋は困惑した面持ちで顔を強張らせた。


……何なんだ。


もう諦めたんじゃないのか。子供だから、死ぬ勇気が少しだけ足りていないのか。


廃墟の入口にドアはついていない。殺し屋は試しに数発、そちらへ弾丸を撃ち込んでみたが、手ごたえは返ってこなかった。入るしかなさそうだ。慎重に、殺し屋は廃墟の中へ足を踏み入れる。


廃墟の一階。


内装はロビーのようないで立ちで、隣には二階へ続く階段が見える。そこら中、上から白っぽい埃をかぶっている。塵にまみれた空間で息をするだけでも気分が悪かったが、どうにも、それだけではない。


殺し屋は異変を察知する。


ここの空気はひどく淀んでいるし、鼻につく煙の臭いで満ちている。


「…………」


前方に、アリスの姿がかすんで見えた。先ほどと違って、顔にキツネのお面を被っているのが目を引く。一体、アイツは何がしたい?


殺し屋は口を開いた。


「どういうつもりだ」


案の定、返事はかえってこない。


廃墟の中の異様な空気。キツネのお面を被った少女。わけが分からず、殺し屋はだんだん不気味な心持ちになってくる。冷や汗のようなものがでてきて、イライラが募る。


「おい、なにか言ったらどうなんだ」


銃口を少女へ向ける。


「……ん?」


その時、殺し屋は周囲の床に落ちている乾燥した葉っぱの存在に気づいた。それも、一つだけではなく、大量の数だ。


枯れ葉か? どうしてこんなに――、


怪訝に思って眉をひそめようとすると、瞬間、強烈な眩暈と吐き気が殺し屋を襲った。全身に悪寒が走るような感覚。とても立っていられず、殺し屋はその場に卒倒する。


何が起きたのか理解が追いつかない。


尋常ではない視界のブレに、脳がパニックを起こして体中を痙攣させる。口から泡が噴き出す。やがて目の焦点が合わなくなっていき、殺し屋は混乱の末に意識を失って白目をむいた。







「やったね。成功だ」


アリスが一階の窓を開け放って完全に中の煙を外へ追い出すと、二階に隠れていたユズキが速足に下りてくる。アリスと同じで彼もお面――私のと違って戦隊もののやつだけれど――を被っているから、声はややくぐもって聞こえる。


借りていたキツネのお面をユズキに返し、アリスは薄く微笑む。


「そうね。まさか本当にコイツをやっつけちゃうなんて」


ユズキの提案した考えはシンプルでかつ強力だった。大量に大麻を炊いた空間に敵を誘い込み、昏睡させる。用意したお面は煙を吸わないためのマスクみたいなものだ。


「あのハッパの在りかは、鈴木さんに教えてもらったんだ」


とユズキは言う。


「鈴木さん?」


その人が、廃墟の床下にわざわざ大量の大麻を隠していたのか。


アリスは、二人してその保存庫から大麻を取り出して床中に並べる作業をした昨晩の出来事を思い出す。


「うん。今は刑務所にいるんだけど」


言いながら、ユズキは倒れた男に息があるかどうか確認する。


男の口元に聞き耳を立てて、


「……どうやら、まだ死んではいないみたいだね」


どこかほっとした表情を浮かべる。


ユズキは出口の方へ歩き出す。


「僕は警察へ通報してくる。アリスは、どうする?」


「……ここで待ってる」


「わかった」


テキパキと行動するユズキは、落ち着き払った態度で、近くの公衆電話を探しにその場を後にした。廃墟に残されたのはアリスと殺し屋の二人だけ。


パートナーを殺された少女と、そのパートナーを殺した男。


「…………」


アリスは動かなくなった殺し屋をじっと見下ろす。


……対決は、ユズキのおかげでアリスが制した。


殺し屋の手元には拳銃が落ちている。アリスは、それを無言のまま拾い上げる。手にした時の、ずっしりとした重たい感触。弾薬はまだ残っている。


泰造は死んだ。


けれど、泰造を殺したこの殺し屋は、まだ生きている。


コイツを殺しても、泰造はもう生き返らない。それはわかっている。わかってはいるが、このどうしても抑えがたい感情に、アリスはどうにか区切りをつけないといけない。


「……ありがとう。ユズキ」


そう呟いて、アリスは殺し屋の後ろの襟首を掴むと、無理やり出口の方へずるずる引きずっていく。


――でも、ごめんなさい。私はやっぱり、コイツを許すことができない。


自分が前へ進むために、アリスはこの男を殺さねばならない。アリスはもはやただの殺人犯と一緒なのだ。


ユズキに合わせる顔がないが、せめて、彼のわからない場所で。


「さようなら。いつかきっと、また会いに来るから……」


眩しい日差しに包まれて、アリスはまた殺し屋の世界へ戻っていく。報復の連鎖からは逃れることができない。


自分の復讐が終わるのは、もっとずっと遠い先のことになるだろうと思う。








しばらくして通報を終えたユズキが廃墟へ戻ってくると、そこにアリスと倒れた男の姿はなかった。二人は忽然と消えてしまった。床にばらまかれた大量の大麻だけが置き去りにされてしまったかのように残されている。


ユズキは廃墟中を探し回ったが、二人の姿は一向に見つからない。そのうち、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてくる。


アリス……。


このまま警察に見つかるわけにもいかない。


ユズキは苦い気持ちを抱えたまま、慌てて路地裏喫茶へ引き返していく。


後日、いつまで待っても、店内に彼女が姿を現すことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

路地裏のアンサンブル pakucyann @pakucyann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ