小咄「新年会」
恋人は毎年冬用のスーツを新調する。
おれはそれに付き合うのをとても楽しみにしているのだが、ひとつだけ納得のいかないことがある。それをおろすのが何故か、彼の師匠夫妻に招かれる「新年会」になるからだ。
はじめのうちは、正月とお盆疲れの細君の気晴らしと息抜きのために都会にホテルをとっていたのだろう。その食事におれたち二人が呼ばれるかたちだった。それが、あちらが養子をとってから夏は気楽なバーベキューのようなものになり、だんだんと年中行事の様相を帯びはじめ、冬はいつの間にか端正な招待状が届くようになった。
それを見ると、もうそんな季節か一年早かったな、などと彼と暖かい部屋で語り合う。そういう感じだ。
店はもちろん師匠が選ぶ。ちなみに支払いもあちらだ。となれば、しがない研究センター員であるおれはありがたくご相伴にあずかるのは必定だ。
おれも、今日のようにあちらが夫婦同伴なときは楽しく参加した。格式のあるレストランに招待されるとあって少々肩は凝るのだが、盛装した彼の横で美味しいものを食べるのは悪くない。いや、悪くないどころではなく、今夜も料理に関しては文句のつけようがなかった。
デザートまできっちりと平らげて席を立ち、モダンな喫煙室で煙草に火をつける。すると化粧室から出てきた彼女と目があった。淡いペパーミントグリーンのカクテルドレス、おれもつまり、しっかりとフォーマルを着込んでいた。新調するだけの余裕はないが、タイとカフスは新しくした。
「彼はずいぶんと景気よさそうね。いいスーツ着てる」
このひとは舞台美術家だ。去年とは違う服をきたおれの恋人をそう評した。
「おかげさまでおれのことなんて置いてきぼりで仕事ばかりしてますよ」
「あなたも出張ばかりしてるってはなしじゃなかった?」
たしかに地方によく出かけていた。おれの仕事は地方ごとの夢見式の研究だったから。
「そちらはお互いに海外だと大変ですね」
彼女が微笑んでかるく頭を揺すってこたえた。
「いまは視界のどこにいても端末でつながれるから」
おれはそれにうなずいただけですまし、はなしをずらした。
「師匠は毎年洒落た店に招待してくれますね」
「だって、ものすごく気合いはいってるもの。あのひと着物も新調するのよ?」
おれはその瞬間、盛大に煙をむせた。彼女はだいじょうぶ? と慌てた顔をした。おれはまだ咳きこむ胸をおさえながら平気だと示し続きをうながした。
「新年だから当然かと思ってたけど、どうもそういうわけじゃないのよ。だってあたしの誕生日祝いのお店なんて毎年同じよ? そりゃ地元でって決めてるからしょうがないけど、気合いの入り具合がまるで違うのよ!」
「……うちも、そうなんで」
おれは微苦笑をうかべ、唖然とした様子の彼女の顔をみおろしてつけたした。
「やたらそわそわしてめかしこむし、おれの誕生プレゼント選ぶときと比べ物にならないほど真剣にお返しを悩みます」
おれたちは顔を見合わせてなんともいえない表情で互いを見つめ合った。
「もう、もうっ、なんだかなああ」
そう言ってこどもみたいに頬をふくらませた彼女へと――それとも、じぶんへと?――おれはさらに追い打ちをかけるように続けた。
「しかもあなたがいないときのこの会、おれには非常に居心地悪いです」
「知ってる。去年あなたがいなかったとき味わったから……。夏は大勢で話しどころじゃないものね。だからこの集まりがあのひとたちにとっては年一回のお楽しみなんでしょうけどねえ」
年いちどの逢瀬を愉しんでいるような彼らに対して思うところがないわけではない、という顔をした彼女におれは言った。
「まあでも、よそいきの彼を間近に見るのは悪くないです」
「……なんであたし、あなたにいつも惚気られるのかよくわからないわ」
おれは肩をすくめただけで謝罪をせずに新しく煙草に火をつけた。彼女はおれをちょっと睨んでからおれがそれに動じないのを見て艶やかに微笑んだ。
「なーんか悔しいから、新しい帯でもおねだりしちゃおうかなあ」
そう言いながら背をむけた彼女を見送らず、おれはこの後、いつになく上機嫌で酔っ払った恋人の仕立てのいい上着をどうやって脱がそうかとばかり考えていた。
了
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