小咄「残り香」

昨日の「フレグランス」の続きで、「夢うつつ夢うつつ補遺」の後のはなし。


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 あなたの叔父であるひとが荷物を送ってきた翌週の夜のこと。

 コンビニの前で車がとまり、そのひとがおりた。あなたはいない日のことで、いや、いないのを見計らって店に顔を出したのはわかっていた。店長へ、少し借りるぞと言いおいて、おれを外へ連れ出し煙草に火をつけた。おれは、吸わなかった。整いすぎてややもすれば冷たい印象を受けなくもないその顏を炎が照らすのを黙って眺めた。

 礼は口にしなかった。おれがしなければならないのは謝罪だ。

 煙を吐きだしてようやくおれを見た。一服してなだらかになった肩へ頭をさげようとしたところを遮られた。

「謝らなくていい。きみが悪いわけじゃない」

 せっかくスーツを新調してくれようとした叔父にあなたがねだったのはおれとの食事だった。それに先立ってスーツまわりのあれこれをもたせたのに、だ。

「彼も気づいてないわけでなく、それでも違うものを望んだのだから、私は別に構わないよ」

 その面には何とも言い難い微笑みが浮かんでいたのに、おれは構いますと言いたくなったのは、おれの見栄だか意地だかのせいに違いない。

 顔をあげると、切れ長の目はおれでなく、コンビニのあかりを眺めていた。店長は棚の整理をしていてこちらを見ていない。エプロンの後ろの紐がほどけかけている。腹が出てるし、いいかげんに結ぶからだ。あなたには結んでくれと頼んだりするがおれには言ってこない。しっかりしてくださいと叱られながら甲斐甲斐しく世話を焼かれるのが嬉しいらしい。まったくどうかしている。いや、気持ちはわからなくはないが。

 そういうおれの視線に気づいて、こちらに顔をむける。

「あのフレグランスを彼は嫌いだったのかい?」

「いえ、嫌いではないのは間違いないです……」

 テーブルのうえに置いていったそれについてはもう、覚悟を決めていた。あなたは電話でそれを伝えることができなかった。ただし、その夜にあかりを消したあと、叔父に悪いことをしたな、となんとも申し訳なさそうに呟いた。おれにもすまないと謝った。俺のせいで手間賃を受けとり損なったなと。

 あのかおりが好きだとは言わなかった。いや、きっと、言えなかったのだろう。それはあなたらしい慎ましさでなく、戸惑いだった。

 あなたはとても素直だ。そのときに口に出せなかった言葉を、あとになってこちらがたじろぐほどの正直さで告げることがある。だから、そこまで謝罪してそれを口にしなかったあなたには、何かしら、おそれるものがあったのだ。

 おれは、それもわかっていた。どうしようもなくわかってしまった。 

 あのとき、あなたの嫉妬を感じとっておれが嬉しくなかったはずはない。でもおれは、すぐに席を立った。あなたにかける言葉が見つからなかった。いや、あなたの叔父が、おれへそれを託した意味を言葉にしようとしてできなかった。あなたはただたんに、蓋のあいている小瓶をあなたの叔父がつかっているもののひとつだとでもおもったのだろう。その日によって使い分けているのを知っているから。店長と同じコロンの日があると、呟いたことがある。それが、色事に鈍いあなたなりに、ふたりの関係を察したきっかけだったらしい。

 蓋はあいているけれど、ほとんど減ってはいない。あまり使われた様子はないのに真新しい品であること――それには当然、意味がある。

 真実をいうなら、あなたではなく、おれが、それを受けとり損なったのだ。それは、あまりにも重い。重く、切ない。

 だから、あなたが嫌いではないということを告げはしても自分からとりにいきましょうか、とは言いださなかった。

 あのひとは、それらすべて、おれの心中をあますところなく汲みとっていたに違いない。おれの目をまっすぐに見て、こう言った。

「では、店長に渡しておく。きみの、好きなようになさい」

 おれはただ肯いた。

 店長はたぶん、何もかもを察するだろう。

 その愛人が、毎年ごとに封を切りつづけた日々を終わりにすることも。あなたの「守り」として、それを授けようと考えたことも。


 おれはまだ、そのフレグランスはあなたの叔母が好きだったのだと伝えられていない。もしかすると、もうあなたは気がついたかもしれないと思いつつ。

 あなたはときとして目の前の感情にとらわれて何もかもを見失うことがあるけれど、ほんとうに察しが悪いわけでなく、ありとあらゆることに感づいてもいるのだから。


 依頼人が嫌う可能性が高いのでフレグランスはつけないとあなたは言った。そもそもこの国では、点や線でつけるような香りは普及していない。

 だが、これからおれたちが暮らす国ではそうではない。

 なんの香りもまとわない「裸」のあなたを知るのはおれだけでいい。それをさらす必要はどこにもないし、それは嫌だとわがままを言う。


 あのはじめての贈り物以来、あのひとはおれやあなたに何くれとなく世話を焼いてくれた。あのひとがあなたにほんとうに授けたかったのは、服を着替えるほどに気軽でいながら十分に威力のある「蔽い」としての守護ではなかったか。


 それに。

 しばらく離れて暮らすおれたちに、何かしらそれらしい標はあっても悪くない。照れ屋のあなたは始めは嫌がるかもしれないが、ほんとうに嫌いなわけではないのは知っている。近いうちに、あなたといっしょにそれを探しに出かけよう。



 了


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ラスボスというひとは、ひとつの物事をするのにふたつ、みっつの手を打ってくるので書くのが大変なのであるw(実はいちばん嬉しかったのは店長じゃないかと思ったりもする、今回みたいに渡されなくてもそれがなくなっているのに気づくひとだろうから。そしてそれを嬉しがるじぶんに厭き厭きしたりするんだろうなと)

でもようやくさいきん、少し、そのへんが書けるようになってきたかなあと。

まあしかし、いろいろふっとばして、このひとはひとに服着せるのがそもそものところで好きなんだとおもうw 

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