小咄「電車」

 ふたりが一緒に暮らし始めたころの電車デートのことなんかをちらっと書いてみたよ☆


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 車窓から眺める景色が好きらしい、ということにはすぐ気がついた。

 ある巨匠の映画祭というのに連れていかれ、俺は途中で少し寝てしまったのだが、彼はずっと熱心にスクリーンを見つめていた。ときに食い入るように、と言ってもいいほどの執着で。

 その帰りのことだ。

 みなが帰宅する時間帯で、のぼりの電車は空いていた。あいてるから座ったら、と声をかけられた。疲れてるでしょ、と。

 俺は素直に腰かけた。彼も、その隣りに座るものと思って。

 すると彼は俺の目の前に立って、さっきの映画のはなしをまたぽつぽつとしはじめた。

 映画館を出てすぐ、眠ってしまったと告げたときは、ああ少し退屈なところあったね、と口にして、どっかで食べて帰るよね、と話題を変えた。それから蕎麦屋にはいって少しだけ飲んだ。明日はバイトも依頼もないのでゆっくりと、彼のはなしに耳を傾けながら杯を重ねた。

 俺は、座れば、と言わなかった。

 いつも同じ高さにある顔を下から仰ぎみて、その語りにあいづちをうった。なるほど、あのシーンにはそういう意味付けがあったのか、と(寝ていたせいもあって)繋がらなかった物語が艶やかに鮮やかにたちあがっていくのに感動していると、彼がふと、吊革から手をはなして腰をかがめ、俺の額のすぐそばでひそめた声で囁いた。

「眠かったら寝ていいよ。仕事あけで疲れてるのに朝からずっと付き合ってくれてどうもありがとう」

 頷くかわりに目をとじた。気恥ずかしさで顔を伏せたのに、さらにひそめられたおやすみの声が額に触れた。俺は頑なに目をとじた。その視線がじぶんに注がれている。目を閉じているのにわかるほど。だから俺は、地元の駅までこのまま眠ったふりをしようと考えた。さっきまでたしかに眠かったはずなのに、と思いながら。


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