『夢の花綵』「視界樹の枝先を揺らす」2
読み返してみたがどうにもまとまりがない。これを読む相手に己の言いたいことが伝わるだろうかと柄にもなく心配になるが他に書きようがないのだ。
夢使いとして語るとき常に相手が目の前にいる。その反応をうかがい、確かめながらはなす。だがこれはそういうわけにはいかない。そもそもこれを記すきっかけは己の妻にあるのだが本人はこれを読むことはない。
彼女は海外で仕事をしている。彼女などと書くといかにも白々しい。よそいきの顔をつくるのもなんなのであらためる。あいつは己と一緒になった当時まだデザイン事務所勤めだった。それから何年かしてじぶんで事務所を起こし一昨年なんの間違いか舞台美術なんてものを始めてこれがあたった。運がいいとしかいいようがないが(運も実力のうちとあいつは微笑むことだろう)、半分異国人の演出家に認められていつのまにか海外公演に付き添うようになっていた。
つまり己は常に置いてきぼりを喰らっている。
愚痴を書くつもりではなかったが、その他にも述べておかないとならないことがある。
あいつはこどもが産めなかった。三年過ぎてもその兆しがないのでてっきり年の離れた己のほうに何かあると思っていたがそうではなかった。あいつは薄々気づいていたようだ。己はそれを知らずにいた。
くりかえすが、己はなにも知らずにいた。気づきもしなかった。あいつのことはそれなりに理解しているとおもっていたくせに。
離婚したいと言い出されたときの己の狼狽ぶりは語り草になっている。笑いごとではない。己は生まれてはじめて女に手をあげた。じぶんの妻に。
あいつが何も言わなかったからだが。
勝手に調べて己に秘密にした。
理由はいえないが別れてくれといきなりきりだされて納得できるはずもない。
あいつは突然家を出た。殴ったのだから出て行かれてもしょうがない。ほとぼりが冷めたころに迎えにいけばいい。己はまだ、そのときにもまったく何も理解していなかった。
たぶんあの子がいなければ己はあいつを失っていたことだろう。その感謝の念でこれを記しているわけではないが。そう付け加えたくなるのはあの男の言いたかったことをようやくにして理解したような気がしたからだ。
己は今、その言葉を届けるに相応しい相手へと随分と苦労しながら文字を綴っている。
馴れ初めを話さねばなるまい。
妻の七つの夢見式を執り行ったのは己だ。初仕事だった。しかもこの地でもっとも馨しい香音を鳴らした。それは古の習いに従い《香ぐの音》と呼ぶほどに古雅たる壮麗さであの身におりた。嫋嫋と花の馨が降りしきり、永遠に已むことない慈雨に溺れるようであった。己は夢使いである事実に酔い痴れた。
とまれ、ほぼ同時に自身の限界を思い知らされた。己の弟子もまた夢見式を迎えたのだ。弟子のはなしはここで擱く。本人に聴けばいい。
それでも記しておくべき振る舞いもある。嫉妬の念から弟子の想いを握り潰した。当時高校生だった娘にうつつを抜かしていたわけではない。惚れていたなら言い訳もたつ。誓っていうがどうこうなると考えもしなかった。我ながら因業すぎるとおのれの所業に自嘲しただけで弟子に女をあてがった。
あまり言い訳をするとかえって怪しまれるだろう。しかも己がその娘を娶ったと知れば、あの男は大いに悦んだに違いない。
だからこそあの男に別離のとき思いつきもしなかった言葉を手向けてやりたい。そういう気持ちもある。
己と妻のことだ。
売り言葉に買い言葉で出て行けと追いやって後、あいつがまっすぐに向かったのは己の弟子の処だった。弟子には男の恋人がいる。浮気の心配はしなかった。いや、まったく心配しなかったわけではない。少しは疑った。
己に連絡をくれたのは彼らふたりではなかった。己の弟子の弟子。
弟子の従姉の娘でもある少女。
己はいま彼女のためにこれをかいている。そしてむろんこれを読むことのない妻のために。弟子の恋人あてでなく。
つまりあの男と関係があった人物のためでなく。
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